Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

年賀状じまい 後編

2025-01-01 23:14:56 | ひとから学ぶ

年賀状じまい 前編より

 元旦に年賀状が届くように用意していないわたしが言う資格はないかもしれないが、近年は届いた年賀状に返信するように年賀状を書いている。忙しくてとても年内に正月の気分にはなれないせいもある。定年したのだから余裕でいたのだが、やはり今年度は無理だ。来年も同じことを書いている可能性もあるが、それをしないために今は努力をしている。

 やはり「年賀状じまい」を宣言される年賀状が何枚かあった。もちろん高齢の方から「今年で…」というものもあるが、若い人からも同じような告知がある。やはり自分より遥かに年下の方から宣言されると、気分はよくない。前編でも記した通り、年賀状しか通じる手立てがない人からの告知は、つまるところ絶縁にも聞こえる。それでもいいと思う関係だが、絶縁されるという感じが気分が良いはずもない。年の初めからそんな気分にさせてくれるのだから、こちらから絶縁したいものだ。そのくらいなら「出さなければ良いのに」と妻に言うと、「そういうものじゃない」と言うが、たかが年賀状1枚でも、送るという行為をしたからには相手に気分を害すような告知はしてほしくない。そもそもかかわりがなくなるとすぐに年賀状を出さない人も多い。今までお世話になってもだ。ということはそもそも年賀状とは「何」?ということになる。ようは出すのは辞めようという根拠があるわけで、それでも告知して「辞めます」と言ってくれる人の方が、まだ丁寧だと言えば、確かにそうかもしれない。

 今どきだから「「年賀状じまい」が届いた時の作法、どうすれば?」というアドバイスもネット上には多い。そんな中に「来年以降は年賀状は出さない方がよいでしょうか」という問いがある。「私は送らないし、あなたも送らないで」と捉えるのなら、当然送るべきではないのだろうが、近況報告を兼ねて年賀状で伝えてきたのなら、返信を断りながら出せば良い、というアドバイスがある。人はそれぞれで、礼儀として必ず返信しなければならないと考えている人には、やはり迷惑になるのかもしれないが、年賀状でなくとも手紙は近況報告など意図があって出すもの。そうした事例と捉えればあくまでも年過剰にこだわる必要も無いということになる。そんなことを考えていて思い出したのは、そういえばずいぶん昔、年賀に併せて手紙を送っていたことがあった。年賀状を併せて出していたか記憶にないが、正月なら少し余裕をもって読んでもらえるかもしれないと考えて、正月に届くよう狙って投函していた記憶がある。とすれば年賀状を、いわゆる「年賀状」ではなく、自分スタイルの新年のあいさつに変えれば良いだけのこと、とも思う。もう少し歳をとったら、そんな仕掛けに変えていきたいと、元旦に思った。

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年賀状じまい 前編

2024-12-04 23:46:05 | ひとから学ぶ

 「喪中につき年頭のご挨拶はご遠慮させていただきます」、いわゆる年賀状を喪中のため出しませんよ、と告知するためのハガキ。今年は例年以上に多かった。そしてその中にも付け加えて「誠に勝手ながら来年より年賀状じまいをさせていただきます」と記述されているものがあった。世間では新年の年過剰は3割減といっている。当り前だろう、年賀状離れが以前から進んでいるし、この10月からの郵便代の値上げである。形骸化していると思う人たちには、これ幸いと年賀状を出さない口実にしている。

 以前から「年賀状じまい」を告知する年賀状は届いていた。しかし、高齢の方からそうした年賀状を頂いたものだが、最近は高齢の方ではない方からもそうした年賀状がちらほらし始めた。そして今回の喪中のハガキでの年賀状じまいの告知。そもそもこのハガキをいただいた方と、ふだん会うことはない。遠いところに住んでいるわけではないが、会うことはない。接点がないのだから当たり前かもしれないが、昔からの縁だからわたしが退職の区切りとして発行した本も贈呈した。とはいえ前述したように年賀状だけ、ようは1年に一度の接点だった。それを拒絶するような年賀状じまいには、こちらとしては気分はあまり良好ではない。もちろんその方は高齢ではなく、わたしよりも「若い」。年賀状に対して、それほどこだわっているわけではないが、ただの一度の接点すら断とうとされると、少し違和感が湧く。自分の年齢、そして相手の年齢も考慮するうえで、さらに接点を見いだしていったとき、おそらくもう会うこともないのかもしれない。とはいえ、どこかで偶然会う可能性が全くないわけでもない。にもかかわらず、一時でも親しく仕事をさせてもらったこと、また悩みを聞いたこと、などなどから追憶すれば、年下からこのような断りを告知するのはどうか、とも思う。繰り返すが年賀状にこだわっているわけではないが…。

続く

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毎朝の鬱陶しい“奴”のこのごろ

2024-11-20 23:31:15 | ひとから学ぶ

 最近、毎朝鬱陶しかった“奴”が、接近してこない。高速を降りて、駐車場までの一般道、後ろにつかれると接近されて鬱陶しくて仕方なかった。したがってなるべくなら高速上で抜いてくれればそれでもう会うことも無いのだが、これがけっこう高速の出口辺りで後ろにつかれる。一般道に出てからとなると、奴を「お先にどうぞ」と除けるのも面倒なこと。そもそもそんなことに気を遣いたくないもの。ここに書いていることそのものも鬱陶しいことなのだが、「気を遣う」という意識そのものも、奴はどう思っているか知らないが、迷惑なこと。会わないのが一番なのだが、「またか」という感じに頻繁に遭遇する出来事。

 同僚が言うには、けっこう長い区間を走っている車の様。ようは大方の車を抜いてくるわけで、その数は相当のものなのだろう。たまに「何キロ出しているんだ」と抜かれた後について行ってみると、140キロくらい出している。さすがにしょっちゅう会う車だから、「ついて行く」といっても抜かれてから間をおいて、接近はしないようにしているが、等間隔で車速を見るとそのくらいの速度だ。毎日毎日長いスパンをこの速度で走っているということは、毎日毎日抜かれている車がいるということ。目立つ車ではないが、みんなが知っている目立った車であることに間違いない。「毎朝の鬱陶しい“奴”」ではわたしと20キロくらいの違いだろうか、と記したが、最近は100キロ以下で走ることが多いから、そんなレベルではない。にもかかわらず、高速出口で頻繁に後ろにつかれる。何度かスマートインター内で除けるようにレーンを逸れたことがあったから、わたしが嫌がっていると察知したかどうかはわからない。ふつうはいつも出口に向かう車が、ふつうではないラインに入っていくのだから察知するとは思うが、果たして…。

 何度か一般道に下りてから奴を避けるように高速で走ったこともある。それが奴にとってわたしを意識させるきっかけになったかどうかはわからないが、このところ後ろについても煽られることはなくなった。それでもこれまでの印象があるから、「意識する」ことに変わりはない。奴に限らないが、接近する車すべてに「勘弁しろよ」と言いたいところだ。というか、わたし的には、ほぼ3台に1台は「意識せざるをえない」車間をとってくるのが実情だ。

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ファースト 前編

2024-11-06 23:59:59 | ひとから学ぶ

 アメリカの大統領に再びアメリカファーストを唱えたあの人が当選するようだ。「USA」を叫ぶ当選を喜ぶ声が大きい。世界中が自国第一主義になっていくのも、アメリカの低迷を見れば自然な流れなのだろう。それは日本も同じだ。一時〇〇ファーストが流行った。しかし、政治への期待の声をテレビで流すと、やはり自分中心の政策をみながみな口にする。当たり前だが、自分の生活が潤う政策を誰もが望む。昔のように「人のため」に財産を提供する人もいなければ、命を懸ける者などあるはずもない。しかし、政治には、やはり個人主義であってほしくない、そう思う。大きな視野で動かしていくものだと思うのだが、そういう道から外させたのも現政権であったかもしれない。

 下野したあの時代、現政権は身に沁みたはずなのに、同じことを繰り返した。というより、国民は何を期待していたのか、それもまた自らの第一主義を見込んでのものだったのかもしれない。例えば石破さんは、かつての安倍派の力を削ぐように敗北を導いた。かつて「モリカケ問題」が話題になっても、安部さんの人気は落ちなかった。亡くなった今だからこのような敗北に繋がったが、安部さんが今もなお中枢にいたら、このような流れを国民が選択したかどうか。結局石破さんはもちろんだが、現政権はかつてのつけを負っているにすぎない。石破さんが悪いわけでも何でもないのに、それを背負わざるを得ないのは、仕方ないことなのだろう。あれほど問題になっても安倍さんに期待した人々が、いとも簡単に現政権に敗北を味あわせているのも、妙な話なのだ。繰り返すが、期待する声を発すれば、自らの第一主義に過ぎない。アメリカも、日本の一個人も、なんら変わらない。そして、それは危ない道へ進んでいる証かもしれない。

 地方のリーダーは、力を示すために時の政権に寄り添う。もちろん全てではないが、地方にとっては当たり前の道だ。しかし、現実的に政治があからさまに地域に差をつけることはない(もちろん「ある」こともあるだろうが、小さな行政にそれほど差異は認められず、むしろそれぞれの行政の力量による差の方が大きい)。にもかかわらず、政治力に頼る。もちろん小さな声は届かないし、届けようと思えば道筋がある。行政はそれほど不公平ではない。「説明不足」という言葉をよく聞くが、詳細説明をすればそれを逆手にとる者もいる。均衡を保つための策を、創り上げてきたことを認め、その上で冷静に見渡せば、しなくても良い行動がたくさんあるのに、せざるを得ない立場、あるいは関係を築いている現実を認めることが、この後の人口減少した世の中の解決策だと、わたしは思うのだが、まだまだそれは続くのだろう。その策に溺れている自治体のトップが諸悪の根源かもしれない。それもまた、第一主義なのだ。当たり前だか、当選するには、他人のために働いていたらダメだからだ。この仕組み、どう見ても検討の余地あり、と思うのだが…。

続く

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ある一日

2024-11-05 23:08:20 | ひとから学ぶ

 昨日は息子の結婚式だった。「結婚式はやらない」と言った際に、「今どきだから」とは思ったが、「いいのかな」というちょっとした思いもあった。女性にしてみたらそうしたイベントを求めるこころもちもあると思ったからだ。既に半年前には籍を入れて、それで済んでいたのだが、思いがけなく「結婚式をしたい」という話があって、昨日となった。結婚したというけじめと言うか、区切りと言う意味では、たとえ内輪であってもそうした披露はあっても良いものなのだろう、とは思う。したがって本当に身近だけの結婚式だったが、近ごろそうした場面にも接しないわたしたちには、良い経験でもあった。

 このご時世だから、家と家といったつきあいがどうの、ということもない。しかし「親戚になる」という事実は、昔と変わらない。変わるものもあれば、変わらないものもある。世の中もその通りだが、とはいえ世の中は昔とは違うところがたくさん…。「個」の世界に入り込んでいる今の世で、どう生き、また次世代が変わっていくか、まったくわからないわたしたちには、もう次世代に自由に生きてもらうしかないのだろう、とは「諦め」でもないし、「捨てている」わけでもない。

 さて、今日は連休後の平日。結婚式をした会場で泊り、朝食会場に身を置くと、平日にもかかわらず、多くの家族連れが朝早いのにたくさんいた。これこそ世の中が「変わった」ところなのかもしれないが…。

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高速バス利用法

2024-10-29 23:48:58 | ひとから学ぶ

 もう仕事で東京に行くことはないが、近年高速バスのことについて何度かここに記した。いずれも仕事の関係で東京に行ったことについて触れたもの。2年前に記した「高速バスの違和感」では、「どのような観点で予約席が埋まっていくのか、よくわからない」と記した。予約時に窓口で空席を埋めていく際に、何か基本ルールのようなものがあるのか、という疑問だった。今回民俗学会の年会に向かう際、高速バスを利用した。仕事で予約をする際に利用していた「ハイウェイバスドットコム」を利用してのものだが、高速バスを運営する会社のホームページからインターネット予約については「予約はこちら」といって同ホームページへ誘導している。したがって全国のみなが利用しているものなのだろうが、既に2週間後に迫っていたころ予約したから、席はだいぶ埋まっていた。ふつうに考えると窓側の席が埋まっていくように思うが、もちろん傾向はそのとおりなのだが、通路側の席が埋まっていて、窓側が空いているというケースも珍しくない。

 これまで新宿へ行く際に利用するのは飯田始発のバスしか利用したことはなかったが、バス停まで自家用車で行くことになるから、ここでなくてはならないというバス停はない。したがって今回は駒ヶ根始発のバスを利用した。このバスの難点は、駒ヶ根から伊那まで一般道を走るということ。ようは時間を要す。最寄りのバス停で乗るのと比較すると30分ほど余計に時間を要すだろうか。ただし、始発から乗車することになるのと、駐車場が広いということもあって、利用しやすい。ということで初めて駒ヶ根始発の新宿行きを利用した。予約の際にAからCまで埋まっていて、Dが空いていたのでその席を予約した。ようは窓側である。「きっと3人連れでAからCまで並んで取ったのだろう」、そう思っていた。ところが実際に乗ってみるとCの方は一人で利用していて、それも女性だった。以前にも記したが、窓口で席を取っていく場合、案内の方が女性と男性をある程度意識して埋めていくと思っていたら、そうでもないことを知った。ネットで予約となれば、埋まっている席が女性か男性かは不明だ。したがって同性同士になるわけではない。そして今回特に感じたのは、土日だからということもあるのか、バスを利用している人、そのものが女性の方が多い。男性はかなり少ない、そう感じた。そして、やはり満席に近い。隣の席が空席という例は珍しいほど。ちなみに予約の際には埋まっていたAからBには、結局利用者がいなかった。そもそも予約した後に解約があり、さらに別の人が予約するということもある。本当のところはわからないが、くじ引きのような世界だ。

 そして帰路である。予約した時間より早いバスで帰ろうと、新宿の窓口で「空きはないか」と聞くと、「今から出るバスが1席だけ空いている」と言われ、即決でそのバスに変更した。掲示板には「満席」と表示されていたので、乗車口にやってきていたバスには「乗れないだろう」と期待していなかったのだか、実際はみんな乗ってみないとわからない。そして、さらにラッキーだったのは、となりの席は空いたままだった。往路はそのようなことはできないが、復路については、よほど混んでる時期以外は、遅めのバスを予約しておいて、変更した方が、意外とこういうケースに巡り合うということだ。

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毎朝の鬱陶しい“奴”

2024-10-09 23:31:22 | ひとから学ぶ

 会社への道、かなり後方からいつもの車が見えてきたので、スマートインターのあるパーキングに入ると誘導路から外れて大型車の駐車スペースにハンドルを切った。2度目のことである。この「いつもの車」が視界に入ると嫌悪感が高まる。ずいぶん以前に記したアルファロメオも嫌悪感がすぐに高まったが、最近はこの車がわたしの通勤時間帯に被る。高速道路から同じスマートインターで降りて、わたしの駐車場のある場所まで経路が被るため、時間帯が同じなら、毎日のようにその姿が目に入る。その車が視界に入れば「またか」と思い、近ごろは「避けたい」と思ってあえて道を外れるか、高速道路上では走行車線にすぐに入って“奴”の視界から消えることにしている。繰り返すが、以前記したアルファロメオのように一瞬に抜き去っていく車と違って、速度差はせいぜい20キロくらいだから、付き合う時間が長くなってしまう。だから余計に鬱陶しいのである。高速道路から駐車場まで、付き合ったとしてもほん数分のことなのだが…。

 とりわけ鬱陶しいのは、インターを出て駐車場までの一般道だ。後ろに着かれると接近してくる。これまでにも何度も記している通り、接近されるのが嫌で仕方ない。誰でもそうだと思うのだが、とりわけ駐車場へ入る際に減速すると、ぶつかるくらいに接近してくる。したがって奴が後ろに着いていると、一般道ではあるものの、速度を上げて奴との車間が開くようにする。かなりの速度にしないと車間が開かない。ということで、もはやこんな駆け引きが鬱陶しいから「避ける」ことにした。逆にうしろからついて行って接近してやろうとも思うが、信号機で止まると、公園の駐車場内をショートカットして信号機を回避するくらい焦った運転をする。「バカか」と思うのだが、いつもこんな感じの運転を繰り返す。ちなみにわたしよりは少し若いのだろうが、“オッサン”である。

 同じ道を走る同僚たちに聞くと、皆がみな奴を意識しているよう。若い彼は「煽ったろうか」、プラス「止まった時に文句言ったろうか」と口にする。「それは辞めた方がいい」とアドバイスしたが、皆に意識されているということは、誰からも嫌がられているはず。可哀そうな“奴”だ。

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闇の世界へ、サヨウナラ

2024-09-26 23:45:24 | ひとから学ぶ

 今朝、会社へ向かって歩いていると、マチの中で道路上を掃いている人を見かけた。秋だからといって、まだ落葉が盛んな時期ではない。見た感じでは落ち葉を掃いているわけでもなく、「何を掃いているのだろう」と気になったのだが、掃くようなモノは目に入らなかった。既に目的のモノは掃き終わっていて、わたしの目に入らなかっただけかもしれない。ということで箒で掃く最後の段階だったのかもしれないが、そのおじさん、側溝の暗渠に時おりあるグレーチングの中に掃き落としていた。ようは掃除したモノは、側溝内に消えていったというわけだ。どのようなモノだったのか、見当もつかないが、それほど大きなモノではなかっただろう、とは思う。

 玄関先の目障りなものを、目の前から消す。その行き所が側溝(暗渠)となれば、いずれはその闇の中はモノで溢れ、側溝としての機能を失う、かもしれない。もちろんよほどのことがなければだが、いっぽう近年はちょっとした雨で側溝は溢れる。そしてそこに溜まっていたものも流されていくのかもしれない。目障りなものを闇に葬るには、側溝は身近なゴミ捨て場、かもしれない。とりわけ暗渠になっていればなおさらだ。周囲の人も気がつかず、気がついたとしても、それは事故があってからのこと。この闇の世界は「罪深い」。

 「人が見ていなければ」とかつては、いいや今もそうかもしれないが、ゴミは葬られる。それはゴミとして容易に処分可能なら、合法不法は無関係だ。とりわけ人目につかない、そして身近な場所は、うってつけでもある。雪が降って、自家の前は綺麗にするのに、その雪が道に押し出されたりするのは、闇ではないが似たような意識。雪はそのうちに解けて消えてしまうから、暗渠の世界、ようは闇の世界と同じようなもの。おじさんにとって、グレーチングの先の世界など、もはや自分の世界ではないのだ。

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ある地域の自治組織

2024-08-02 23:06:32 | ひとから学ぶ

 ある地域での話を聞いた。約250戸くらいあるという集落は「区」である。その下に常会が8あり、「ゴコ」と称されているいわゆる隣組に当る集まりが25ほどあるという。区の役員は「耕地総代」とも称されるようだが、4つの集落から一人ずつ4人選出されるという。そして区長はその4人で話し合いで決められるという。一人は区長、ほかに副区長、総務、会計という役員となる。耕地総代4人の互選で区長が決まる、というのは意外だったが、ここまではごく普通な姿かもしれない。そして何と言ってもこの区の構成には、通常神社の氏子総代と言われる人が「文化保存伝習部」という名称で区の役員に加わることだ。神社総代が区の役員に入るというのは、きっと違和感があるだろうことは容易にわかる。政教分離は、国家と宗教団体の分離の原則をいう。神社という宗教性の高いものが、自治組織の中では分離されて当然なのかもしれないが、実は自治組織の中で、意識されていても、従来通り自治組織の役員のように捉われている例は多い。寺は檀家制度によって集落全ての人が同じ寺に属すことはなく、また集落ごと寺があるわけでもない。そのいっぽうで神社は、集落単位で氏子になっていることがほとんどだ。自由に神社を選択しているなどという例は聞いたことがない。したがって神社総代を決めるには、自治組織の役員との重複を避ける意味でも、自治組織の役員選考に合わせて行われるケースが多くなる。とりわけ農村部はこの形が一般的かもしれない(長野県内では)。

 ということでここで例示した区では、神社総代ではまずいから、という意識もあったのだろうが、前述したような名称を付して、実際氏子総代と同様の役を担っているという。しかし、「文化保存伝習部」という名がついていることで、むしろ氏子総代以上に自治活動にかかわることが多いよう。まさに自治組織を担う一役員なのである。耕地総代と文化保存伝習部、合わせて8名については、常会からの推薦というようなスタイルをとっているようで、8常会の常会長は、区の役員を決める選考委員になるのだという。これら8名の役員の任期は2年で、任期が切れるとそっくり変わるのだという。したがって役員が次期重なることがないため、けっこう大変だという。そして何と言っても事業が多い上に、とりわけ耕地総代と言われる4名は出席する日数が多く、役員の負担が大きいという。あまりに役員の負担が大きいため、役員のなり手がいなくなると懸念されていて、現在の役員構成に限らず、区の様々な問題を検討しようということで、「検討委員会」が編成されたという。

 かつてこの地区の祭礼について何度となく足を運んで調べたことがあったが、当時からその祭礼に行われる芸能への力の入れように驚いたもの。地域の一体感がなければなかなかできないことと思ったものだが、今回自治組織の役員の実態を聞いて、この徳の役員の大変さを実感したわけである。わたしの周辺の地域と違い、都市近郊である。にもかかわらず、氏子総代が自治に大きくかかわり、そして隣組を「ゴコ」という。地域の自治とは、見た目以上にその地域の特殊性があり、都市近郊でもつきあいが強い地域が意外に多い。もちろんあくまでもこの区らしいものであって、隣もそうだというわけではない。地域社会がとても多様だという例である。

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真夏の避暑空間

2024-07-25 23:39:50 | ひとから学ぶ

 ある図書館へ平日の昼間訪れた。もちろん調べものに行ったわけだが、机でしばらく調べていると、まず高齢の女性がわたしの前にやってきた。本を読む風でもないが、落ち着きがなかったので「なぜなのだろう」と様子をうかがっていた。しばらくすると、今度は高齢の男性が手荷物を持って女性の横に座った。袋の中からアルバムのようなものを取り出して、机の上に出した。最初は女性は関係のないのかと思っていると、女性が小さな声を掛けていて、その様子から二人は夫婦だとわかった。女性も男性も、よそ行きの姿ではなく、まるで家の中で過ごしているのと変わりない格好のよう。普段着よりもさらに自宅着という感じ。机の上に持ってきた荷物を雑然と広げ、大きな机の上はその夫婦の持ってきたモノが広がっている。最初は図書館にある新聞を広げていた女性は、それを返すと編み物を始めた。男性の方は、写真の整理をしている。なるほどアルバムはそのため持ってきたのだ。編み物をしている女性を見て、男性の写真整理が終わるまで続けるのかと思っていると、間もなく編み物に飽きたようで、また違うことを始める。

 このように夫婦は図書館にやってきたが、そもそも図書館の本を読みに来た風でもない。時は午後2時を過ぎ、疎とは炎天下。今日はどう見ても35度以上の暑さ。お二人は、家からここに避暑に来たのだろう。まるで自宅で過ごしているような動き。自宅に冷房がないのか、あるいは電気代を抑えるためにここに来たのか、そのあたりは定かではないが、もちろんこの夫婦に限らず、同じ意図で訪れている人がいるのかもしれないが、これほど図書館とは異なった空間を醸し出している姿はなかなか見たことがない。暑い夏が故の、唖然とする光景だった。

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これも「残念なこと」

2024-07-17 23:45:13 | ひとから学ぶ

 ある市でのこと。ここにも何度かここに至る経過のようなものを記したから、思うところがあるのだが、友人が代表を務める委員会の事務局(市のある部局)と長らく調整していた件が、結局友人の申し入れは全く聞き入れられず、上からの指示で思わぬ方向へ進むことになったと、友人から知らされた。わたしも何度となくその事務局に依頼されて会議に参加したこともあって、さらには友人と対策を練っただけに、「あの時間は何だったんだ」と思うばかり。もともとその部局は市長の意向もあって立ち上げられたもので、現在、県内でも他では表立った動きがない事業だけに、その業界では注目されていた。しかしながらその実態はまったく残念なもので、友人は上から見事なほどにその立場を虚仮にされて、わたし以上に残念な想いを募らせているに違いない。

 そもそもここでいう「上」とは、友人と同じ委嘱された身であり、委員長に選ばれただけの立場なのに「権限は自分にある」と、友人の願いをことごとく破棄した上に、会議の場で虚仮下ろすような言葉を友人に吐いたともいう。その「上」に限らず、わたしがかかわった何度かの会議で「この人たちはいったい…」と思うような言葉をいくつも耳にした。例えばここでいう「上」の人は、「立場をわきまえろ」と、会議の席でわたしに吐いた。会議の中には事務局と委嘱された委員、そして今になって察すると助言者にあたるわたし(友人から推薦で事務局から依頼されていて、その会議の中では同じ立場だと認識していた)だった。「上」は委員と助言者は同等ではないのだから「口を出すな」というような意図があったのだろう。それまでかかわっていた会議の中では同じ立場(もちろん委員とそうでないわたしは、委嘱上の違いがあることは認識していたが)だと思っていたら、たまたま会議に同席した「上」に「お前は違う」と明確に言われたと、その時に察知したわけである。もちろん納得できなかったので意見をしたところ、口を濁すようにごまかされたが、以後その会議において同じ立場ではないという捉え方がされて、事務局もわたしには意見を聞かなくなることに…。

 これは「上」からの言葉であったが、同じ会議でそれまでにも意外な言葉はいくつも耳にした。「地元に残った人たちは勉強が苦手だったから」と口にされた方は、地域で聞き取りをしても「これ以上何を聞くの?地元の人たちが語った内容はわたしでも知っていること」と口にした。また「聞き取りをしたが良い話者ではなかった。何も得るものがなかった」と口にされた方も…。そんな言葉にわたしは憤慨し、「それでも機会を得た話者から何を聞き出すか努力しなければいけない」と言ったが、そもそも聞き取りは「必要なのか?」という意識が彼らには漂っていた。「上」も含めて、いずれも教員OBである。民俗の世界では、このような経験がほぼ皆無だっただけに、「この人たちはいったい何者なのか」と思ったわけだが、考えてみればどんな学歴でも等しく見てくれるのは「民俗学」の世界だけなのかもしれない。先ごろ自費出版した際にも、わたしが「高卒だから」ということを「あとがき」に記したところ、大学の先生から次のような言葉をいただいた。

「あとがき」で御自身の立場を述べられておられますが、戦前に松本で行なわれた「話をきく会」の主催者三人は、全員研究・教育・文化財等を職業とした者ではありません。池上喜作は中卒で商人、弟の隆祐は大卒ですが代議士、胡桃沢勘内は小学校を出ただけの銀行員でした。ただただ民俗学が好きなだけだったのです。一般の方たちが加われるのが、この学問の価値であり、柳田もそれを願っていたと思います。

 残念ながら田舎では知識の高いのは教員、という認識が本人たちにいまもってあることを知った。そしてそのような人たちがある市の予算を使って残念なものを作ろうとしていることを、市長は知らないだろう。そもそも友人が市長に直接話そうとしたらお咎めをもらった。今、この市はだめかもしれない。

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畔草のこと

2024-07-06 23:13:14 | ひとから学ぶ

 8月例会において、畔草管理について報告する予定だ。先ごろ発行された「長野県民俗の会通信」302号へ、わたしが先ごろ刊行した本への書評をいただいた板橋春夫先生は、第1部の「写真で見る上伊那の民俗」の中で一番感動したのは、「畦草刈り」についての記事だったという。そして「昭和五十年代に圃場整備された地域の区画は大きい。しかも苗が植えられた後、雑草が生える畦がきれいに草刈りされる。著者はそれを美しいと見る。どの家も周りを気にしながら草刈りに精を出すが、それは見栄ではなく、強制でもなく、きれいにしたい、という気持ちが地域全体にある雰囲気なのである。」とその写真から捉えられた。その上で、「それに対して、評者が住む群馬県伊勢崎市の水田はどうだろうか。お恥ずかしい限りである。散歩に出て、近くの水田地帯を歩く。二十年前から歩いているが、近年は畦に雑草が多くなり気になっていた。なかには耕作放棄の場所もある。近所に住む農家の人に聞くと、二毛作なのだが、稲刈り後に麦を作らない家が出ているという。また、稲は水まわりなど手間が掛かるので、稲作をやめて麦一本化の農家もあるらしい。それで荒れていると説明してくれた。」という。これは致し方ないことで、高齢化した担い手組織がこの後どうなっていくか不透明な中、とりわけわたしのフィールド空間では、そう遠くないうちに耕作できなくなるのでは、という印象が拭えない。何より転作誘導されなくなったのに、水田が減少している。例えば西天竜である。10年ほど前には水田の青々した姿が当たり前だったが、今は転作されている姿が目立つ。もちろん転作なら良いが、何も作られていない水田も目に付くようになった。コメ作りが加速的に減っているのでは、と思うほどこの時期になって水田の姿が少ないのである。

 そして草刈りである。例会におけるわたしの報告は、今ところ次のようなテーマを考えている。

①草刈の現在
②草刈の範囲
③刈った草をどうする
④この後の草刈

というようなもの。以前から日記で記しているように、本ブログにおいて閲覧の多い記事に「草刈をする範囲」がある。そこにも図を示しているが、わが家の場合、草刈をする範囲が、ふつうの人より広い。そうなった経緯もあり、それについても触れる予定だが、地域によって違いもあれば、農家の考え方によっても異なる。そしてその範囲は、あるいは暗黙の了解は変化しつつある。その上でこの後、どう変わっていくのか、といったところまで触れる予定である。

 さて、今日も草を刈った。昨日の石拾いでふだんしない動きをしたせいで「腰が痛い」。それでも我が家では、1週間草刈を何もしないと、あちこち草の丈が伸びて、この先の炎天下での作業負担が嵩む。したがって少しでも草を刈っておかないと、間に合わなくなるというわけである。「草刈をする範囲」でも触れている上側の田んぼとの境界ライン。写真のとおりである。ふつうは法下が境界(ここでいう境界とは草刈境界のことを言う)であるが、わが家と上の田んぼとの境界は法下ではない。その上、写真でもわかるように、わが家では前週に法半分まで刈っておいて、草寄せをしてなかったのだが、上の田んぼの人が今日草を刈って、その草が我が家で刈った範囲に倒れ込んでいるのである。そもそも上の田んぼの人が刈る法面を我が家で刈っているのに、その刈り倒した草の上に、草が倒れ込んでいて、「これ誰が草を寄せるの?」状態になっているのである。果たして、この後動きがあるのか、ないのか……。

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何が「不公平感」か

2024-06-13 23:34:16 | ひとから学ぶ

 先ごろ、8日の信濃舞知日新聞中信地域版のページに「不公平感ないか?」 塩尻安協の賛助金、朝日支部は村が公金支出 他支部から疑問もという記事が掲載された。「塩尻交通安全協会(塩尻市、朝日村)が全11支部に上納を求め、協会の運営費として使う「世帯割賛助金」について、朝日村全域を範囲とする朝日支部(事務局・朝日村総務課)は本年度から、村が支出する補助金を充てることにした。」というもの。集金する安協担当者の手間を省く意味で「公金支出」となったのだが、それに対して「疑問」という声を記事は取り上げている。「疑問」の意図は、ようは賛助金、いわゆる赤い羽根や緑の募金のように、募金的意味合いがあるものを一律公金支出では、「出したくない」人の意見が無視されることにならないか、というわけである。確かに一理あるものの、記事の内容を読んでいくと、むしろ違う意味の不公平感が浮かぶ。ようは徴収率の問題である。

 塩尻の安協では「支部に集金を求める世帯割賛助金は以前、所有する車の台数や運転免許証を持つ人の数に応じて、各支部が独自に世帯当たりの額を決め、集金していたという。だが、支部により額が異なることから「不公平ではないか」との声があり、塩尻市と相談し、一律千円を目標に集めることにした。」という。その上で世帯数に対する徴収率は、「2023年度は高い方から順に、楢川支部(76%)、洗馬支部(73%)、朝日支部(64%)、北小野支部(60%)。低い方からは片丘支部(15%)、広丘支部(22%)」などだったという。この徴収率の違いは、隣の動向をうかがいながら行動する田舎らしいパターンを映し出している。そして田舎というか山間部ほど徴収率が高く、都市部は著しくその率が低下する。面白いのは徴収率の低い片丘支部では、「6~7年前、住民から使途を問われた集金担当者が明確に答えられなかったのを機に、ある常会がそっくり支払いをやめた。「払わなくてよいようだ」との話が広がり、現在の低徴収率につながった」らしい。ようは個々の家で隣をのぞいたのではなく、集団で隣の様子をうかがって、「あそこで出さないのなら、うちも出さなくて良い」という感じの行動が起きたというわけである。こう見てみると、一律公金支出の方が、よほど講へ宇世が保たれていると見える。募金とか賛助金について、どこの地区がいくらだから、ここではいくら、みたいなことにならないように、あまり地域ごとの金額を告知しない傾向もあるのかもしれない。しかし、そもそもその賛助金とは「何なのか」ということになる。

 実は2015年1月30日の日記「集金常会・中編」に、同じ塩尻市の安協の話題を記している。塩尻市「声のひろば」というページに「常会の役員が交通安全協会の費用というので、毎年千円集めていますが、あれは何のことでしょう。常会を通して、赤十字とかいろいろの費用が集められ、公共の費用をこういう形で集めれば、反対のしようがないですが、再考していただくわけにはいきませんか。常会役員をこういう形で使うのは、どういうものでしょうか。」というものがあって、その回答についてわたしは日記に記している。そもそも安協の担当者は常会で決められていて、常会に入っていない人から集金する必要はない。裏を返せば、いわゆる自治会に加入しなければ、このような賛助金に限らず募金の話もないわけで、それが納得できなければ自治会を脱退すれば良い、という短絡的なことに繋がりかねない(実際、そういう事実もあるだろう)。そう考えると、そもそも自治体がらみでこのような集金を、個々の家に求める手法そのものが言及されるべきこと。しかし、いまだに地域社会はそこまで異論は発していないのも事実。そして都市化した地域ほど協力者は減る。わかりきったことではあるが、「どこかおかしい」ことに変わりはない、そう思う。

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『栄村東部谷の民俗』を概観して

2024-05-29 23:26:04 | ひとから学ぶ

 「意外と文字化されていない事実」で触れた埼玉大学文化人類学研究会が1992年に発行した『栄村東部谷の民俗』を確認してみた。「志久見川沿いの集落景観」で触れた集落ごとのお堂の存在についての記述を求めたわけであるが、民俗学を専攻されている学生たちの目にどのように映ったのかが知りたかった。「東部谷」と銘打っている「谷」は志久見川の谷に当る。ただ調査されたのは北から志久見、長瀬、北野、極野の4集落であり、今回わたしが志久見川を下りながら概観した全ての集落に渡っていたわけではなく、代表的な集落をピックアップしたということになる。したがって「どこの集落にもある堂」という視点はそこにはないものの、それぞれの集落についてそれぞれの堂の記述がされていて興味深い。4集落ごと第1章において「概要」を示しており、その中で県道を南へ川を遡る形で概観している。そこには堂の存在がルート上のどこにあるか記載されているが、それと現在の地図(グーグルマップや国土地理院の地図)を対比して遡上しても、どの堂なのかはっきり今となっては分からない部分もある。ただ、かなり詳細に記述されているので、本書を参照しながら、集落を実地で遡ってみると良いのかもしれない。何より本書には集落図が記載されており、ありがたい。その集落図と現在の集落をグーグルマップで対比すると、家の数がかなり減少していることに気づく。その上で「志久見」の第1章概要に記されている「薬師」といわれる字名のあたりが柳在家との境界になり、そこには薬師堂があるというのだが、わたしが現地で県道を北へ下りながらの視線に薬師堂は目に入らなかった。どこにそれがあったのか、これもまた宿題である。そもそも「第四節 堂宇・小祠」の中には十王堂は登場するが薬師堂は見えない。記載間違いなのかどうかも含めて、あらためて現地踏査が必要なのだろう。

 集落内において堂の存在、あるいはかかわりについてどうなのか、という面においても読み込むと見えてくるのだろうが、地図と文章を対比しながら再確認してみようと思う。本書を概観した中で気づくのは、どの集落にも「修験」が登場することである。ホウインサマとかホウゲンサマと呼ばれる人たちで他地区に住まうそれらの人を頼り、様々な場面で依頼していたようである。新築の際のジマツリや新年のカドツケなどお祓いと言えばそうした修験にかかわる方に来てもらっていたようだ。その中で、新年になって行われるヒマチはどこの集落でも行われていたようだ。このヒマチ、我が家の近辺でもオヒマチと称して行われていたもので、それらは修験者が担っていた。いまでこそ修験者の存在は薄くなっているが、かつてはどこでも修験者とのかかわりがあったのではないかと想像する。

 また、葬送の記述ではかつての葬儀の様子が詳細に記されており、現在もうかがえるように、お堂のある墓地において引導が渡され、そのお堂には葬送道具が保管されていた様子が見える。単純にお堂といっても、集落に複数のお堂があるところもあり、役割があったようにもうかがえる。いずれにしてもそれほど戸数の多くない集落において、自ら管理するお堂を持ち(これらは寺の管理するものではない)、そこを中心に人々がかかわり、暮らしていた様子がうかがえ、本書は志久見川沿いの人々のかつての暮らしを、そして現在の姿と対比しながら見るには大変参考になる書であることに間違いはない。

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気遣いと、選択と

2024-05-21 23:12:59 | ひとから学ぶ

 朝通勤時、ふだんなら渋滞もしないような場所で渋滞する。地方なので、通常なら渋滞など発生するはずもないのだが、朝の通勤時だけは別の世界が訪れる。なぜかと言えば、交差点を右折しようとする車が曲がれずに待っているから、後ろに車が繋がる。右折先に通勤先の会社があるからなのだが、大会社ではないので、何台も右折するというわけではない。しかしながら、対向車線の直進車がいれば、曲がることはできない。だから渋滞発生となる。毎朝のことだから、それを回避するべく、手前の信号機のない交差点で右折し、何らかのルートで会社へ向かおうとする人も時おりいる。また渋滞する交差点は100メートルほどのところにもうひとつ信号機があって、両者ともに同じような渋滞を引き起こすが、片方は交差点が広く拡幅されているため、右折車がセンターライン寄りに沿ってくれれば、その脇をくぐり抜けていくことが普通車なら可能だ。もちろん大型車が右折車の後ろに着いてしまうと無理ではあるが…。渋滞させない気遣い、ようは右折車はセンターライン寄りで対向車が途切れるのを待つ、繰り返すが大きな車であったり、運転手によってはすり抜けられるという判断ができず、結果的に渋滞を引き起こしてしまうことはあるが、それでも少しでも渋滞させない、後続車に迷惑を掛けない、という意識があれば、1台でも、2台でも渋滞の列から消えていく。そういう意識を持たず、ど真ん中で右折を待てば、場合によっては対向車が全く途切れず、1台も交差点を進むことができず、信号が「赤」になってしまう、そんな光景を目にすることも珍しくない。なぜこんなところで、というような渋滞が延々と続くことになる。選択肢を増やすための行為をして欲しい、そう思う。

 もうひとつ、対向車である。右折車をあえて右折させてあげる、そういう意識もちょっとしたもの。直進車が優占だから、けして右折させてあげる必要はないが、ちょっとした気遣いで渋滞はまったく発生しない。対向車線に車が繋がっている、という光景を視界に入れさせて、その上でそれを解消するという判断を誰かがしてくれれば、車が繋がることはない。さらには車間が空いていれば「右折する」という意識がないと、結果的に右折できずに渋滞が長くなってしまう。いずれにしても、「ちょっとした行為」が無い限り、選択肢はなくなる。

 さて、我が家では昨年軽トラックを新しくした。今はダイハツかスズキぐらいしか軽トラックを製造していない。いずれの軽トラックも給油口は同じような構造らしい。鍵を使わないと給油口が開かない。前に乗っていた軽トラックは普通車同様に、運転席で給油口の扉を開ける操作ができるため、鍵を使う必要はなかった。そう言えばと思い出すのは、何十年も前の車は、鍵を使って給油口を開けた。まるだ大昔に戻ったような給油口の構造には、買い替えた時に驚いた。でも今の軽トラックは「こうですよ」と聞いてびっくり。この時代にしてなぜこのような構造なのか、と。確かにまるで軽の乗用車に乗っているような印象を受けるほど乗り心地は良くなったものの、この構造はないだろう、と思うのは給油口だけではない。座席のリクライニングのレバーがドアと反対側にある。車を降りてリクライニングをさせようとすると、反対側にレバーがあるからとてもやりづらい。とくにわたしの乗っている車は、座席後部に少し空間のあるタイプの軽トラック。その空間に荷物を置いていると、この操作を頻繁にする。とてもじゃないが、面倒くさくて仕方ない。なぜこういう構造になったのか、信じられないような利用者への「気遣いの無い」選択である。

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