Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

〝ツツザキヤマジノギク〟咲く

2024-11-09 23:46:36 | 自然から学ぶ

ツツザキヤマジノギク 11月9日撮影

 

 過去に何度か触れたツツザキヤマジノギク。長野県版レッドリストの絶滅危惧IA類に指定されているこの花。この地域独特の花だから保全活動も盛んになった。わたしがここに触れた2006年から2008年ころには、地元の人でも認識している人はごくわずかだった。中川村小渋川沿いでこの花が咲いていることを知ったのは、仕事で植生調査した際のこと。遡ること、日記に最初に触れた2006年よりさらに3年ほど前のこと。天竜川の河川敷に多く生育地があることは知ったが、陣馬形山にも生育しているとは聞いていた。その後保全活動が盛んになったのは、天竜川上流河川事務所のかかわりと、松川町に在住されている堤久先生の努力もある。記憶では保全活動が盛んになる前には、「ツツザキヤマジノギク」と検索するとわたしの日記の記事がトップに登場したものだ。

 花はノギクと同じなのだが、花弁が筒のように変異を見せる。突然変異とも言えるもので、種を蒔いても必ずツツザキになるわけではない。今年10月9日ころの信濃毎日新聞の地方版に「雨露にぬれる松川町のツツザキヤマジノギク 絶滅の恐れ、はかなげな姿守り続ける住民ら 12日に観察会」という記事が掲載された。かなり大きな写真とともに紹介されたのだが、その記事の写真を見て、「これツツザキヤマジノギクじゃないよね」と家で話題になった。写真の花弁にはツツザキのものが無いのである。せっかく大きな写真を掲載しているのに、それらしい写真ではないのには唖然とした。繰り返すが突然変異だから必ずツツザキ状になるわけではなく、これがそれだと言われれば「そうか」と納得してしまうが、本来のツツザキヤマジノギクの特徴はまったくなかった。

 さて、初めて小渋川の河川敷で見たツツザキヤマジノギクを、その後数年にわたって定点観測をしていたが、以後訪れたことはない。今はどうなっているのか知らないが、定点観測している間にも、徐々にその姿が少なくなっていく様子を把握していた。松川町での保全活動に関わっていた妻は、自宅でその種を蒔いて、種をとって増やす活動をしている。そうした活動の中でプランターに種を蒔いて花を咲かしたものが写真である。必ずしもツツザキヤマジノギクの特徴を示す花が咲くわけではないのだが、この株のそれは、ツツザキ状の花弁をどの花も見せている。通常は10月に咲く花だが、蒔いた時期が遅いものだから、今咲いている。「鉢植えでも咲くんだ」とわたし的には驚きであった。

 

過去の日記から

絶滅危惧ⅠA類 ツツザキヤマジノギク

ツツザキヤマジノギクの生育環境

絶滅に向かう

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三峰川河川内を覗く

2024-10-18 23:04:59 | 自然から学ぶ

長野県内地質図と主要河川、及び地殻構造線

 

 伊那市美篶のあたりでは緑色片岩の自然石を道祖神に祀っているケースが多いことは、これまでにも触れた。三峰川は中央構造線の外帯から流れ出してくる。したがって上流域が三波川帯といわれる変成岩の地質だから、自ずと流れ出してくる石はそれら変成岩なのである。ところが流れ着く天竜川流域の多くは、領家帯と言われる花崗岩地帯が背景。天竜川の支流の多くは花崗岩を排出する。「川が白い」と思うのはその花崗岩のせいだ。図は圧縮しているので見づらいかもしれないが、長野県の地質図と、そこへ主要な河川を載せたもの。前述した三峰川の位置づけがわかるだろう。長野県内の河川をみたとき、地殻構造線を跨いで流れる川が少ないことに気付くだろう。梓川と奈良井川は跨いで構造線の糸魚川静岡構造線の東側に流れていくが、あとは主たる川は跨がずに県外へ流下していく。その中で三峰川は中央構造線の外帯から内帯へ流れ出す、県内の河川では珍しい川。同様の川は天竜川の左岸側に多くあるが、伊那山地を越えて天竜川へ合流する川は三峰川、小渋川、遠山川の三つくらい。これらの川が内帯には無い石を流してくるのである。特にその中でも三峰川は流路が長く、急流である。

 

伊那市長谷杉島内 三峰川

 ここで三峰川の河川内を覗いてみよう。長谷杉島を流れる下る三峰川の河原で撮ったものが1枚目から3枚目である。遠目では白っぽくは見えるが、そこに流れ出している石は、緑色のものが多い。そもそも中央構造線の外帯側は、縦に地質が細長く猫の目のように変わっている。したがって多様な変成岩が流れてくる。もちろんその中で緑色の石は多い。3枚目の写真の大きな石は模様になっていてこのまま庭石になりそうな石。小さい石にもこのようなものが多く、どれでも自然石道祖神として祀られそうだ。この3枚目の大きな石は「三波石」と言われる石に近い。

 

伊那市長谷市野瀬 三峰川

 続いて4枚目は杉島から1キロ以上下ったところ、市野瀬の下流側の三峰川である。市野瀬まで来ると、勾配が緩くなるため、堆砂が著しい。勾配が緩いから、流れ着く石も小粒になる。面白い光景は5枚目の写真である。川の中は緑色系の石がごろごろしていて、花崗岩など一つもないのに、護岸はほぼ全てが花崗岩なのである。国交省直轄の河川は、護岸は自然石が原則だ。したがって硬い石が選択される。したがって中央構造線の外帯側なのに、内帯側の花崗岩が運ばれてきて護岸の石に採用されているのである。

 今でこそ美和ダムや高遠ダムが三峰川にはあって、大きな石が下流域まで流れ出すことはほとんどなくなった。しかし、昔流れ着いた石が、例えばかつて河川内であった。現在の耕作地から出て来て、奇怪な石は道祖神として採用されたというわけである。

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与田切川源流域へ

2024-05-15 23:00:53 | 自然から学ぶ

 今年、既に数えきれないほど足を運んでいる現場である(2020年にも数えきれないほど足を運んでいたが、当時の日記を振り返ると、富士見町での現場に関係した記事ばかりが見え、ほかにもたくさん現場を踏んでいたのに、まったくそれら現場が凍上しない。その年は濃密な年だったと言える)。与田切川上流の飯島町の主たる農業用水の水源にあたる堰堤下にある取水口。与田切川の水は、多用途に利用されている。もちろん農業用水もそうだが、町の主たる飲料水の水源でもある。加えて中川村片桐へも農業用水を供給しているし、発電事業も行われている。考えてみれば当日記でも与田切川のことについては何度か触れているが、当たり前である、わたしはこの川の下流で生まれ育った。子どものころの遊び場といえば、与田切川だった。今、この川で遊ぶ子どもの姿など、見たことがない。子どもが少なくなったのはもちろんだが、「川で遊ばない」のが当たり前になったのかもしれない。実は子どもの遊びの変化も著しい。

 さて、既に何度も足を運んでいる現場ではあるるが、この後1年は、何度も足を運ぶことになる。夏場は涼しくて良いかもしれないが、冬場のこの空間は、厳しい環境になる。通常、こうした農業用水の水源には、関係者が足を運ぶ姿が見られるものだが、数えきれないほど足を運んでいるものの、農業用水の関係者に出会ったことはまだ1度もない。ということは、あまり関係者は現状を把握されていない、ということになるのかもしれないが…。集落から数キロ川を遡るということもあるし、そこへたどり着く道も、それほど良い道とは言えないし、さらには工事車両も走って、ふつうのはあまり足を踏み入れない空間。そういうこともあるのだろうが、最近は飯島川から現場に入ろうとして少し山へ入ると、「通行止め」という看板がいきなり立てられていて、引き返して七久保側から入るということが度々あった。今日も、たまたま七久保側から入ったが、飯島側には通り抜けません、という看板を現場近くまで行って見たしだい。

 さて、飯島側からよく見える山に「傘(からかさ)山」という山がある。よく見えるということは、山の上から飯島の集落がよく見えるということになるのだろうが、そこへ行ったことはない。町民の森として遊歩道などが整備されていて、登山口までの林道も整備されている。少しその道を走ってみたが、現場の近くから駐車場までは10分も走らないほど近い。「南駒里山クラブ」というところがホームページを公開していて、そこにある「傘山登山マップ」が登山口にも置かれている。当たり前だが、こうした登山地図は目的地を真ん中にして上に配置するのは当たり前だから、以前から日記で触れている方向性の問題をここで説く必要もないが、飯島町の人々の空間イメージは、まさにこのスタイルなのである。たまたま傘山を目標物にしているが、この背後には南駒ケ岳がある。中央アルプスに置き換えても同じ空間配置になる。

 駐車場手前の沢水が流れるところに、クリンソウが何株か咲いていた。クリンソウといえば喬木村の九十九谷で群生していてよく知られるが、珍しいほどではないが、よく見かける花でもない。この与田切川の奥まった空間、サルの群れに遭遇するのは当たり前なのだが、今年は1度しか遭遇していない。そういえばニホンジカにも遭遇したが、人に気がつくと一気に逃げていくのがいつも。急な崖のようなところでも駆け上っていくから、その走りは見事なもの。

 

 

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雪形の現れている山々

2024-04-25 23:53:29 | 自然から学ぶ

令和6年5月25日撮影

 

 山々の雪が消え始めて来て、いわゆる雪形が登場している。

 1枚目は、もちろん駒ヶ根市周辺から見られる宝剣を頂とする中央アルプスの山々。宝剣の下あたりに駒形が見えているが、何と言っても島田娘。この雪形について触れたのはしばらく前の2020年5月15日。当時の写真の表情と、ここにあげた写真の表情はよく似ている。ということは、近年の中では桜が咲くのが遅かったが、山の表情は、当時に比べれば早く雪が消えているということになる。同じ日の日記で南駒ケ岳の写真もとりあげているが、その写真までは雪が消えていないものの、5月15日までいけば、きっと今年の方が消えていることだろう。

 ここ2日ほど、この写真のある界隈に仕事で足を運んでいる。昨日も「仕事始め」で記したように、芽吹きが始まっているが、まだ初夏の緑色の世界にはもう少しというところ。とはいえ、午前中の青空のもと、雪形の映える山々は、やはり絵になるというわけだ。

 ところで、空木岳は日本百名山にも選ばれている山なのに、地元でもそれほど意識されない山のひとつ。周辺の山々にくらべると形が印象に強く残らないこともあるが、中央アルプスの中では駒ヶ岳、中岳、宝剣岳といった木曽駒ケ岳主峰域にある山々に次いで高い山。その山名の由来が「ウツギ」から来ていることは有名だが、雪形の「ウツギ」はあまりネット上にも紹介されていない。わたしが以前「「空木岳の名称と付近の遭難」-『伊那路』を読み返して⑧」で図を紹介したが、現在そこで紹介した“長野県観光課「信州の雪形」”は出回っていない。このパンフレットが印刷されたのは、もうずいぶん前のことだ。そのパンフレットでは、雪形のネガ型とポジ型の説明をしている。前者は真っ白な雪面の中に、山肌の雪が解けて黒くなったケース。後者はその逆で残雪の白い姿から想像させるもの。実はよく知られている雪形は前者のものが多い。なぜかと言えばわかりやすいにつきる。空木岳のウツギの場合、ポジ型、ようは後者のタイプのため、わかりづらいということがある。そのとおり、いまだにわたしは空木岳のウツギをはっきりイメージできていない。ただ、今回の写真をみてもらうとなんとなくわかるのだが、ネガ型でもそれらしい姿に見えないことはない。山名のウツギは本当にポジ型のウツギなのかどうか。Wikipediaによれば、「空木岳の頂上だけ雪が残っているのが見え、その残雪模様が卯木に似ているため」と説いている。残雪の模様は確かに白黒両者にあてはまるが、わたし的にはネガ型ではないかと思っている。どうだろう。

 さて、南アルプスの荒川三山の写真が3枚目である。南アルプスの雪形はあまり知られていないが、間ノ岳の鬼面は伊那谷からよく見えるのだが、荒川三山の前岳の大崩壊地の窪みに残る雪も鬼面に似た「何か」に想像できる雪形と思う。それこそ中ほどに見えてくるネガ型の小さな姿は、犬にも、駒にも見えなくはない。この荒川三山は、遠いが、我が家の真ん前に見えている。

 なお、前述したパンフレットをここに掲載する。この手のものの欠点は、いつ印刷された物か記載がないこと。表紙に「さわやか信州」の文字が見えるから、かなり昔のものだ。そもそも「さわやか信州」がいつの時代の合言葉だったのか、昭和時代の長野県の観光キャッチフレーズだったように思う。

 

 

 詳細なパンフレットを閲覧したい方は、こちらのページのPDFでご覧ください(データが大きいため、3分割で提供します)。

 

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今年のコシアブラ

2024-04-21 23:39:22 | 自然から学ぶ

昨日収穫したコシアブラ

 

高いところに…

 

採るには少し早い

 

 昨日イワツツジについて触れたが、これに併せて今まで触れたきたものにコシアブラがある。ただし、それと気がついたのは「水田からヒノキ山へ」を記した2012年のこと。まだ12年前のことである。山菜好きとしては、そもそもコシアブラなるものは近在には無いと思っていた。ちょっとこの季節に話題に上ることが多くなってきた当時、その姿を人に教えてもらって、裏山に入るとそれらしきものが目に入った。もちろんコシアブラであったわけであるが、裏山を歩いてみるとけっこうたくさん生えていた。ということで以来、この季節にコシアブラを楽しみにするようになったのだが、あっという間に開いてしまう。わたしの場合裏山に入るといっても、土日農業の傍らだから、平日に入ることはない。すると良い時期を逸してしまうのである。今週つぼみ状になっていても、来週は大きく開いている。あっという間のできごと。したがって年によって芽吹きの異なる自然界のことであるから、なかなか採りごろにあわせられずに終わることは多い。

 今年は昨日も触れた通り、例年並みに今が盛ん。ところがタラノメはすでに開いてしまっていて、モノによっても時期が「いつも通り」というわけにはいかない。今年はタラノメはほんの少し口にしただけ。短期間に開いてしまうものは、なかなか難しいのである。いっぽう長い期間楽しめるのはウドだろうか。ウドの場合、幹の部分も葉の部分もある程度開いてきても食べられないことはない。幹の部分はスライスしててんぷらにしてもウドらしい味がしっかりする。葉に至ってはずいぶん開いて大きくなってしまっても、葉先だけ採っててんぷらにできる。したがって前者に比較したら、ずいぶん楽しめる山菜である。そしてそれ以上長く楽しめそうなのはワラビである。次から次へと出てくるから、長い期間採ることができる。もちろん最初のころの方があくがなくて新鮮であることは言うまでもないが、素人には、時を経て食べるワラビも、何ら変わりない。

 さて、ツツジの合間に出てきているコシアブラは、以前にも記したようにかつては下草刈の際に処分していたもの。それでも切り忘れて伸びたコシアブラがツツジの背丈を越えて成長している。コシアブラについては、Wikipediaにも記されているように「樹高は7—15m、ときに20mに達するものもある」という。実は裏山には10メートルほどに伸びたコシアブラが1本ある。直径5センチを越えていることもあって、さすがにこのコシアブラは芽が出ても採れない。あえて採るならば、上の方の細いところに縄でも引っかけて頭をもたげさせればしなって採れるかもしれないが、そこまでして採りはしない。とはいえ、同じように数メートルになったコシアブラは何本もあって、直径にして3センチ以内ならしならせて採ることはできるが、無理をすると折れてしまう。しなりのある木なので、細ければ高いところでも採れるというわけである。写真の空に浮かんだコシアブラも、しならせないと採れないもの。たくさん採取したが、店で売られているものはここまで開いていない(と思っていたが、開いたものも売っている)。が、我が家では芽の状態のものはもったいなくて採っていないのが実態である。

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今年のイワツツジ

2024-04-20 23:26:36 | 自然から学ぶ

令和6年4月20日撮影

 

 近年は開花が早く、わたしが農作業に訪れる前にピークを過ぎていてここに紹介することもなかったイワツツジ。今年はかつての開花時に沿った具合に開花したため、ここに掲載することができた。過去の記事を振り返ってみると、下記のように日記に触れている。

イワツツジの世界(2006-04-23)
イワツツジ満開(2006-05-02)
イワツツジ咲く(2009-04-19)
今年もイワツツジ(2010-04-26)
今年のツツジ咲く(2012-04-29)
イワツツジ咲く(2013-04-20)
今年もイワツツジ(2014-04-23)
イワツツジとコシアブラの最盛期(2016-04-22)
イワツツジ開花(2017-04-22)
すでにイワツツジ開花(2018-04-08)
降霜(2018-04-21)

 こうしてみると、最も古い記事である2006年には、満開になったのは5月に入ってからである。そこへいくと、2018年には4月8日に開花と、ずいぶん早い開花がうかがえる。2006年の4月23日に花が咲き始めていることを思うと、半月ほど早い。そして今年であるが、今満開といったところ。最近は山作業をしていなかったわたしには指摘できないが、わたしが手を出していないがために、ちょっと最近は緑色の木々が目立つ。ようは下草や余計な木々伐採が滞っていて「目立つ」ということである。

 いずれにしても、一覧にしてみると、2006年はともかくとして、その後は4月20日ころから満開になっていたと言えそう。とすると今年はそれに近い満開である。

 

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続 烏帽子岳

2023-06-09 23:26:08 | 自然から学ぶ

 

6月9日 午後7時6分

 

 我が家からそれらしき望める山を撮影した写真は、もう7年も前のものだった。そしてそれが6月の写真だから、そう思うとこれほどの色合いを見せるのは「梅雨のころ」なのだと知った。もちろんそれ以外の季節にも、夕焼けとなれば山の背景は見事な色合いを見せるが、これほどの色を見せるのは、なにかしらの条件が重なった時のこと。7年前のものは「赤い」が、今回のものは「紫」。

 会社から帰った際の、ほんの一瞬のことであった。周囲が異様な色を見せていたため写真におさめた。16年前には、烏帽子岳を背景に時間を経て変わりつつある山の姿を追っている。今日もこの写真を撮る寸前はもっと異様な色だった。ところがカメラを構えているうちにどんどん色は褪せていく。1分後には「紫」色はかなり減退していた。ようはこのような山の姿を捉えられることはそうめったにはないということ。もちろんこのような色合いを見せることもそう多くはない。

 久しぶりの「烏帽子岳」であった。

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不思議な雪の降り方

2022-12-19 23:32:56 | 自然から学ぶ

 安曇野市であった会議に向かう往路で辰野パーキングに立ち寄った際に、駐車場が圧雪状態でツルツルであったと記憶するが、周囲が大雪だったという印象は持たなかった。注意力に欠けていたと言えばその通りだが、ボーッとしていたとも言える。会議に集まった方たちも「雪が降らなくてよかった」程度に捉えていて、我が家の辺りでは「薄っすら雪が積もっていた」は意外な印象に捉えられていた。

 復路は塩尻インターから善知鳥峠越で帰った。善知鳥峠を登っているうちは何とも思わず、峠を越えて小野のあたりも「雪が多い」などという印象は全くなかった。ところがだ、川島あたりを過ぎて間もなく辰野というあたりから一変した。雪が多いのだ。おそらく朝方は路面が圧雪状態のところもあっのでは、と思うほどの雪である。峠の上より雪が多いという違和感のある光景。朝方には積雪で15センチくらいあっのではないかと思うほど、家々の屋根にはもちろん、周囲にも積もっている。この光景は辰野を過ぎるとふたたび一変した。もちろん安曇野のあたりのようにまったく雪がないという世界ではないが、やはり薄っすら程度であったという感じだ。

 この日、先ごろも触れた通り、安曇野でも西山つけの方へ向かう予定だったので、権兵衛トンネル越えも考えていた。しかし、家を出る時間が予定より遅くなったため、最初からそのルートは諦めていた。高速道路に隣接していないと、もしもの時調整が効かない。国道153号に沿って北上なら、「間に合わなければ高速へ入る」という選択ができるが、近くに高速が無ければその選択肢が消える。選択肢としては補完的に確保しておきたいもの。したがって最初から高速に入り、北上する途中で時間をみながら一般道に下りるつもりだった。そして辰野町にある伊北インターあたりに差し掛かって「下りるか下りまいか」と悩んだ末にそのまま高速を走ることに。ということで辰野パーキングに立ち寄ったわけだ。まったく辰野町内の雪の状態など想像もしていなかった。復路の様子を知って、「下りなくて良かった」とつくづくその選択をしたことに安堵した。おそらく朝方の国道153号は大渋滞だっただろう。常に集合時間ギリギリになってしまって焦る性格のわたしにしては、久しぶりの意外な選択だった。そしてそれが正解であったという例も、久方ぶりだった。それにしても不思議な光景を復路では目の当たりにした。

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人の生活に密接な花

2022-10-08 23:06:28 | 自然から学ぶ

 「葉見ず花見ず」と言われる彼岸花。必ず秋の彼岸前に花を咲かせ、彼岸が終われば枯れる。どうも全国でそう捉えられているということは、開花の地域差がそれほどないということになり、気温などとは無関係に開花するということになる、不思議な花でもある。

 昨年だろうか、妻の実家の近所の方が「もぐら除けに」と彼岸花の球根をみなさんに分けたという。ところがなかなか分けられた彼岸花があちこちに咲いたというわけではない。妻に言わせると、彼岸花の生活史を知らないためだという。冒頭にも記したとおり、彼岸花は花と葉が同時に出ることはない、これもまた不思議な花。花が咲く際には、茎だけ地中から伸ばして花をつける。葉は全くないのである。ところが花が終わって間もなく、葉が登場してくる。この葉は春先まで冬季間にも姿を見せている。そして夏の間は姿を見せず、彼岸になると花をいきなり咲かせるというわけである。草刈と関係するため、意識せずに草を刈ると、成長を止めてしまうし、枯れてしまうというわけだ。

 ということで、今日は妻に言われて彼岸花の咲く土手の草刈を行った。枯れ始めたから「もう刈って良い」というわけで、葉が出る前に刈らないと葉を刈ってしまうというわけで、これ以降彼岸花の咲く土手の草刈は来春、彼岸花の葉が枯れるまで草を刈ることはない。ようは草刈納めというわけだ。したがって彼岸花が咲き始める前にも「花が咲く前に」と草刈を行うわけで、ただ草を刈れば良いというわけではないのである。そう考えると彼岸花はさらに不思議に見えてくる。「もうじきお彼岸だから、お墓ばかりではなく畔草も綺麗に」という意識があれば、自ずと彼岸前に周辺を「きれいに」と思うわけである。それに合わせたように花が咲くわけだから、人々の生活と密接にかかわりながら花を咲かせる、とてもわたしたちには身近な花ということになる。

 さて、今年はアサギマダラが姿を消すのが早いようだ。先日もここで触れた宮田村の飛翔数を扱ったページには、昨年の飛翔数も掲載されている。それによると、昨年は10月21日が最後の確認日だったようだ。10月半ばに少し飛翔数が復活しているが、10月に入るとかなり数は減る。とはいえ、そう捉えるとそれほど昨年と違わないようにもうかがえるが、フジバカマの咲き方とも関係している。我が家ではまだフジバカマはある程度咲いているが、やはり飛翔数はもう最後という感じた。そんななか今日確認できたのは1個体。そしてその1個体がなかなか激しい。比較的人には慣れているチョウだが、今日やってきていたアサギマダラはとても敏感で、少し近寄るとすぐに飛び立つ。そしてなかなか花にとまらず、ふわふわとずっと飛んでいる。今までにあまりいなかったタイプの個体である。

 

 

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続 ことしのアサギマダラ

2022-09-30 23:34:16 | 自然から学ぶ

ツマグロヒョウモン

 

蜘蛛の巣にかかりそう

 

 実はツマグロヒョウモンのことは、かつて何度も触れた。最初は平成17年、この日記を始めた年の9月だった。その後何度となく触れたが、近年は皆無だった。もともと近畿以西に見られていたチョウが、今や北上してこのあたりではたくさん飛翔している。ツマグロヒョウモンが最も目立つかもしれない、と思うほど。

 とはいえ、やはり9月に目立つチョウはアサギマダラにほかならない。もちろんその季節に限るが…。

 さて、今日は最後の夏休みを使って草刈をした。合間に今日のアサギマダラの様子をうかがったわけだが、やはりピークは過ぎた感じだが、飛翔数は先ごろ触れた際と同じくらいだろうか。分散しているフジバカマだから正確にその数は数えられなかったが、全部で10頭くらいだろうか。その中に羽が欠けている個体があった。それたでいて人懐っこい感じで、なぜ羽を欠いてしまったかはわからないが、元気に飛んでいて安堵。今年はいまだにマーキングされた個体は、我が家にはやってきていない。先日妻は宮田村の「アサギマダラの里」の様子をうかがったようだが、マーキングされた個体ばかりだったよう。その理由はここにやってきた個体にマーキングしまくっているからのよう。マーキングされていても天敵に見つかるようなことはないというが、そうはいっても人の手に触れられねことが多くなるわけで、その負担は少なからずあるだろう。人間だって不愉快だから、チョウだってストレスがたまるんじゃなかろうか、などと思うがそれは人間が思うだけのことかもしれないが…。

 そろそろ今年のアサギマダラも最後になるかもしれないが、宮田村への飛翔数がホームページで紹介されている。今年最多は9月21日の656という。「すごい」と思うが、けっこう日によって異なるようだ。なぜこんなに違うのか、昨日やってきたチョウは、もう今日はやってこないのか。

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ことしのアサギマダラ

2022-09-25 23:47:36 | 自然から学ぶ

 

 そろそろ今年の草刈りを終了にしたいところだが、稲刈り前に刈った土手の草が再び伸びてきている。秋には秋の草が伸びるわけで、単一化した植草でない限り、一年中草は絶えない。とはいえ、いずれ霜が降りれば、草刈りも終わり。それまでにあと何回草を刈るか、というところだが、ここで刈る草で今年は終りにしたいところだが、まだ9月だから、あと1回は仕方ないか。

 今年はたまたま休みをとった16日に稲刈りを終えられた。最近では珍しく早かった。いつみ周りを見れば「うちだけ」という状況下で稲刈りだったのに、今年は「真っ先」に近かった。その後の台風襲来からみれば、運が良かったと言いたいが、ことしはいもち病になってしまったため、刈った稲の半分くらいはハザに掛けずに終わった。我が家の稲作は、毎年悩みの連続である。

 さて、台風襲来もあってこのところ稲刈り以降週末に足を運んでいなかったわけであるが、ようやく週末が天候に恵まれた今週、アサギマダラの様子をうがってみた。既に最盛期を過ぎているのかもしれないが、今年は数が少ない。妻に言わせるとあちこちで「アサギマダラを」とフジバカマを増やしていて、その影響で我が家から姿が減ったのでは、というが、実際のところははっきりしない。本日やってきていたアサギマダラは、総数7頭くらいか。あちこちにフジバカマが咲いていて、同時に確認できないから正確には数えられないが最低7頭、もしかしたらもう少しいたのかもしれない。確かに例年複数が同じファインダー内に捉えられるのに、今日はほとんどそういうことはなかった。

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今年は蛇を見なかった

2022-09-04 23:00:00 | 自然から学ぶ

 わたしはふつうの人より、野に身を置いていることは多いと思う。週末の草刈時間も長いが、仕事上でも現場に出ることは多い。とりわけ環境的に蛇がいそうなところに身を置くことは多い。この夏を前にして、妻がアオダイショウの綺麗な抜け殻を見つけて満足気であったが、今シーズン、わたしは蛇らしい蛇を見ていない。初夏のころジムグリをどこかで目にしたように記憶するがはっきりしない。ジムグリは比較的短い蛇で、それも小さかったから蛇の苦手な人でも驚くような存在ではない。それ以外に蛇を見た記憶がない。

 かつて日記のどこかに記しているが、マムシがあちこちにとぐろを巻いていて足がすくんだ覚えがあるが、生涯で最も蛇をたくさん同時に見た記憶だ。もちろん蛇が得意な方ではないが、突然遭遇して身動きできなくなるタイプではない。マムシでなければ、それほど驚く方でもない。

 ということで今年は全くというほど蛇を目にしない。『はこべ』最新号の546号(はこべの会)に動物に詳しい宮下稔氏が「家ネズミとアオダイショウ」を寄稿している。冒頭「一昨年気づいたのですが、私の住居や倉庫から家ネズミの気配が消えました」と始まる。その理由を久しぶりに見たアオダイショウのせいではないか、と想像している。アオダイショウはもともとネズミを捕食することで知られ、別名ネズミ捕りとも言うところがあるという。人に近いところに住まう蛇としても知られ、昔生家にはアオダイショウが住み着いていたものだ。そして時に家の中を這っていることもあったし、押し入れの中にその姿を見たことを母から聞いたこともあった。前述したように、妻の生家に立派な抜け殻があっただけに、アオダイショウの存在はいまもって変わらないようだが、野に住まう蛇は、本当に減ったのかどうか…。

 先ごろ現場で同じように現場の仕事の多い方にこのことを話したら、「蛇も少ないが、ハチが今年は少ない」という。さらに加えて「チョウも少ない」という。語られた方は写真をよく撮られている方だから、野に常に視線を向けられている。まんざらわたしの印象は間違いではないのかも。近年上伊那ではミヤマシジミの保存活動があちこちでされている。希少なものへのまなざしは高まっても、そうでないものへの意識は、ますます低下しているとも言える。それは生き物の世界だけに限らないが…。

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流木拾い

2022-08-07 23:54:29 | 自然から学ぶ

長谷市ノ瀬三峰川(2022年7月28日撮影)

 

 以前にも触れたことがあったが、近ごろ三峰川を遡って杉島まで行った際に、あらためて三峰川堤防上の国道152号を走って思ったことは、河川がずいぶん埋まっているということであった。とりわけその印象を強く抱くのは堤防上が国道になっている市野瀬のあたりのこと。市野瀬は国道を介して左が三峰川なら、右側が水田地帯と市野瀬の集落という設定となる。振りかっえって撮影したものがこの写真である。2022年7月28日現在のもの。いっぽうグーグルマップのストリートビューで見られる光景がこれである。2012年6月とあるから、10年ほど前撮影されたもの。もちろんグーグルマップだから、いつ更新されても不思議ではなく、閲覧しているのは今日現在のものだ。対岸のヤナギの木だろうか、河床からずいぶん幹が見えているグーグルマップに比較すると、明らかにここに掲載した写真は幹が隠れている。流水部を見てみても、河床が高くなっているのは誰でも見て取れるだろう。

 実は国道右手の水田地帯は、美和ダムのバイパストンネルの土砂を搬入してほ場整備されたもの。もうずいぶん前に行われたものだが、かつては水田地帯はもう少し低い位置にあった。ところが今、国道を走っていると、川の方が水田より高いのじゃないか、と思わせるほど河床が上がっている。三峰川は市野瀬から見ても、まだまだ奥が深い。そして破砕帯が多いから崩土がたくさん流れ着く。そのせいで堆砂しているというわけである。下流に美和ダムがあるからよけいに堆砂するのだろうが、あらためて中止されてしまった戸草ダムの必要性が高まっている。

 さて、河床を見ると砂ばかりではなく流木がたくさんたどり着いている。美和ダムは流木が多いことでもよく知られている。国交省の天竜川ダム統合管理事務所のホームページでも「流木提供情報」トップに貼っているほど、三峰川といえば「流木」と言えるほど流れ着く流木は多いよう。そしてそれらを一般に無料提供しているというわけだ。「流木」といえば、かつて生家の横を流れる川へ、それを拾いによく行かされたものだ。「何のために」と言えば、もちろん当時は焚き物が必要だった。とりわけ風呂は焚いていたから、焚き物はたくさん必要だった。よく乾いていて、よく燃える、それが流木だった。自然にあるものを利用する、そんな時代の子どもの仕事でもあったわけである。

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ホタルブクロ咲く

2022-06-18 23:04:10 | 自然から学ぶ

佐原村道端のホタルブクロ

 

御手形諏訪神社横県道端にて(その先の交差点を右折すると戸中へ)

 

 豊丘村佐原の村道の端に、ホタルブクロが咲いていた。それもモルタル吹付された法面にだ。ホタルブクロはけして珍しいものではない。ネット上では「増えすぎて困る」というような書き込みも見えるから、強い植物なのかもしれない。とはいえ、自生している姿は、昔に比べたらずいぶん減ったと思う。先日妻が地元の「およりての森」に植えるのだと、生家からこれを運んでいた。珍しいわけではないが、多様な植物を増やす目的でホタルブクロも選択したようだ。

 キキョウ科の多年草で別名「釣鐘草」ともいわれる。梅雨に入ったころ咲く花で、釣り鐘状の花は梅雨らしく「傘」をも連想させる。関東では赤紫が、関西では白が多いとも言われる。妻とそんな会話をした矢先に、道端で遭遇した。生育している環境が珍しかったので、思わず写真を撮った。そこから里に下る途中、佐原の御手形諏訪神社の横の県道端にもたくさんのホタルブクロが咲いていた。群生といった方が良いだろうか。おそらくここも、人為的に開発された道路の法面の一部。やはりその強さを感じさせる。御手形諏訪神社の裏側(北側)から道が分岐して山奥へ向かう道がある。かつて野田平(のたのひら)という集落がこの奥まったところにあったが、もう30年ほど前、野田平に現場があって、何度も足を運んだが、ここから30分近く車で走ったはずだ。

 御手形諏訪神社にいると、県道を走る車はほぼいなかったが、野田平の方から降りてきた大型車が、神社の裏の交差点を右折して北へ向かっていく車が目立った。実は野田平の手前にある戸中にはリニア新幹線の工事現場があるという。戸中非常口が造られる場所で、リニアトンネルの掘削が1年ほど前から始まっている。トンネル工事の現場で事故が起きたというニュースをよく耳にするが、戸中工区でも事故が発生している。神社裏側を行き来している車は、リニア関連の車なのだろうか。

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今年のコシアブラは早い

2022-04-23 23:43:08 | 自然から学ぶ

 最近のわたしのブログの中で日々最も読まれているものが「1年でたった1時間だけ使う小型畦塗機」である。実は昨年その小型畦塗機は動かなくなった。そのことは「1年でたった1時間だけ使う小型畦塗機は動かなかった」に記した。結局残った畔は手で塗ったわけであるが、その後農閑期になってから小型畦塗機をメーカーに送って診てもらったわけであるが、致命的な部分に問題があって、「買い替えませんか」ということになった。とはいえ1年に1時間だけ使うような機械だから、そういう意味では高額である。そこで中古を提供していただくことになり、買い替えとなった。家まで大型車が入れないから取りに来てもらえないか、と運送屋さんに頼まれて、今日引き取りに行った。中古と言ってもデモで利用したものらしく、ほとんど新品に近いが、やはり「また壊れるんじゃないか」、という心配が少し頭をよぎる。扱いが悪いわけではないだろうが、ちょっときゃしゃな機械である。ということで、今年の畔塗は、手でなくて済みそうである。

 さて、例年なら今がコシアブラの良い時期なんだろうが、今年は既にしっかり開いてしまっている。妻に「もう開いている」と言われ、そんなことはないだろうと畔塗機を運んだ後に山に入ってみたが、見事に開いている。いわゆるこれから開くといった感じの市場に出回っているようなコシアブラは一つもなかった。開いていてもコシアブラらしさは味わえるので、食べられる限界のようなものを採ってきたが、ことしは一瞬でコシアブラは開いてしまったという感じだ。

 今年はもうコゴミも出ている。我が家ではコゴミはタラの芽やコシアブラの後に盛んに出ていたもの。すべてにおいて今年は早い感じ。もちろんワラビも盛んに出始めていて、今日最も多い収穫はワラビだった。またウドも出ていて、とりわけ茎が紫色のウドが「美味しい」とは我が家の勝手な言い分である。ヤマウドと言ったりウドと言ったりするようだが、どちらも同じものだという。我が家では自生しているから通常ヤマウドと呼んでいる。

 既に山菜三昧になっている我が家の食卓ではあるが、もちろんわたしは山菜好みなので、それで十分である。1年中で、一番食の進む季節である。

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