Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

匿名は「悪」と捉えていないか

2022-06-30 23:46:55 | ひとから学ぶ

 信濃毎日新聞の【土の声を「国策民営」リニアの現場から】がエピローグを迎えた。同新聞の近年の記事は、かなりローカルで独自色のないものが多かったが、この企画はそのイメージを払拭するようなものであり、またこの頃の同紙を特徴づけるもののひとつであったと言える。その「特徴」とは、わたしから捉えると「偏重」である。そもそもリニア新幹線を捉えた同企画の訴えるところは、JR東海への「丁寧な説明」なのだろう。同紙1面でエピローグをとりあげた6月29日付朝刊の最後に、かつて法務大臣を務めた国鉄出身の代議士、野沢太三さんの言葉を最後に取り上げたところからもうかがえる。そこには野沢さんの「住民の不安に対して一つ一つ丁寧に説明して、答えていかなくちゃいけない」という言葉が引用されている。世の中の新聞記事に限らず、こうした記事は、取材時に実際の記事がどのように取り上げられるかわからないまま引用されることも多い。この言葉があらかじめご本人に記事全体を示したうえで了解を得ているかどうかは知らない。それは記事のほかの部分においても同様だ。発言者のひとつの言葉を取り上げて、記事を書く側は自らの意図に沿って構成しているわけで、発言側の意図を正しく扱っているかも疑問がわく。新聞記事が週刊誌のようになったのか、と錯覚する。

 エピローグを発した翌日の今日、さらに「リニア事業 今のままでよいのか」という読者の意見を掲載した。その数7編。6編は記者の思うところに整合した意見なのだろう、そしてあえて1編リニアを好意的に捉える言葉を添えた。その1編も当事者の「心情は手に取るように分か」った上でのリニアへの期待の言葉だ。6編は実名、しかしその1編は匿名である。あえて新聞社側が匿名にしたのかもしれない、その背景はわからない。なぜかといえば、大勢は6編側、1編はそれらと意を反しているようなもの、だから批判を受けないように実名をあげなかった、のかもしれない。ようはこの新聞記事は、まるで大勢はリニアには問題が多いを演出しようとしているようにもうかがえる。そもそも意見の中にある「国策」を「満州」とだぶらせるのは問題のすり替えにほかならない。全てを他の問題にトレースしながら問題化していく、創り上げていく流れは意図的なものにも見える。読者はそこに「悪いイメージ」を作り、発する側はそれが「大勢」だと錯覚させる。この手法が等しいとは思えない。やはり創り上げられるイメージではないか、そう思う。ではみながリニアには問題がたくさんあって、「止まるべき事業」と捉えているかといえば、そうではない。それこそ「偏重」ではないかと思う。反対の言葉は「聞きやすい」、「取り上げやすい」、そして声も「大きい」。これはリニアに限られたことではない。なぜ、今そこまで取り上げるのか、はつまるところ前述したようにJR東海への「丁寧な説明」を求めるもの。けして「国策」と「満州」を繋ぎ合わせる必要性などどこにもないし、インパクトのある「国策」を「利用」しているに過ぎない。

 もともとわたしはリニアは不要ではないか、と何度も過去に記した。現在派生している問題は、当たり前に予想できたもの。にもかかわらず、当時はこれほど新聞は問題があると発しなかった。今になって「なぜ」と捉えてしまう。始まった事業は、この地域の多くの人たちが求めて始まったものであり、今も多くの人々が期待をしている。そして今もってけしてリニアは「夢」で語るものではないとわたしは捉えているが、このことは今盛んに行われている参院選挙の選挙区において、ある候補が同じようなことを口にしている。やはりこの地域の人々が、「前向き」に捉えて「リニア」を地域のために利用できるか、に限る。

 さて、その中で少し前に話題になった豊丘村の公民館報のこと。リニア残土問題を取り上げた記事がそれこそ「偏重」ではないかと、区長会が記事の掲載中止を求めた意見が同館報に掲載された。どちら側の意見も掲載しようとした館報編集側の判断だったのだろうが、これについても同じ信濃毎日新聞がとりあげた。リニアの問題点を取り上げる【土の声を「国策民営」リニアの現場から】にはちょうど良い題材だったかもしれない。まさにこの豊丘村館報も記事のために「利用された」とも言える。33回掲載された記事をすべて読んだわけではないので、意見する立場ではないかもしれない。ただ、10数回目くらいの前後記事を、そのころ豊丘村図書館を訪れた際に目にして読んだ。その内容はかなり細かい視点で書かれてはいるものの、だらだらと書き綴る記事の内容が何回も連続的に掲載されていることには違和感を持った。リニアを反対しているとしても、ここまで長いものを継続的に掲載するのは、「公平中立」以前に、編集側としても簡潔に意図をまとめるように求めても良いのではないか、とは思った。まさか33回も続けられたとは知らなかったが、それを「偏重」と捉えるのはけして不思議ではないほど文字数が多かったといえる。はたして公民館報という誌上に適正な記事であったかどうかについては、それこそ利用されたこと以前に、住民が議論してほしいことではある。しかし、現実的に公民館報にそのようなものを求めている人は多くないはず。公民館活動に多々疑問を抱いているこのごろ、豊丘村の例は特筆されるものではあるが、一部の人たちの自己満足になってしまっては共感は得られない、とわたしは思う。このことは、また項を改めて書き残したい。


コメント (1)    この記事についてブログを書く
« 過去の別の日記を振り返って⑪ | トップ | 早い者勝ち »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (猛虎過江)
2024-04-09 17:34:50
川勝知事、4月10日辞任、県知事選挙は5月26日か。。。。。農業、第一次産業を愚弄したもの、食うべからず。
川勝知事辞任、静岡県民は、浜松スズキ・94歳の会長が、浜松市長静岡県知事を裏で操ってきたことは、静岡県民の良識者は理解している。
静岡県民が怒ると云ふ事を忘れた愚民と全国に知れ渡り肩身が狭かった。
スズキ自動車の下請け、関連会社は、企業グループ挙げて応援しなければ,スズキに逆らっていては、浜松では生きていけないです。
中日の落合監督になったとき、会長の意にそぐわないので、中日ドームのスズキの大看板を撤去したと、浜松ではまことしなやかに噂されています。
さて、貴殿の飯田市?、リニアのルートや、東京都心に行くのに、高速バスを利用していると聞いています。 信州の状況はどうなのか?教えていただければ幸いです。深澤春樹 拝
返信する

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事