最後は「彫刻 高村光太郎」で終わっているこのノート、私が2回目の大学受験時に拵えたモノです。一応微細に亘り自筆でまとめたモノなので敢えて拵えたとしておきます。いくやマイマイ、おやまかさかさ… 覚えました、総理大臣初代から… って書いてないけど覚えています。
親戚のお兄ちゃん、と言っても今は還暦間近の方ですが、その彼が大切にしていた英語の自筆のレッスンシートを伯母が「よーくこうやって勉強して…、だから捨てられないのよ」とニコニコして見せてくれたのを昨日のように思い出します。彼はラガーマンで活躍、一流大学に入り、ベンチャーの会社で活躍し、会社も大きくなり、関連会社の社長にもなり、今もご活躍だと思います。
私の母=伯母からみたら妹、はスポーツマンでバリバリ働いているその甥っ子の彼を凄いすごいっ!と絶賛、褒め称えていました。だから自筆のなんちゃらで勉強した証跡は成功体験のアイテム!!どこか私の潜在意識の中に擦りこまれていたのだと思います。
これは私が大学を再受験した時に作った近世以後の日本史ノート📔、近世以前のと2冊苦手なところを中心に緻密に作り上げたマイノートです。誰に見せるでもないのに最後まで筆も乱れず作り上げています。再受験って、現役で行った大学に納得できず再受験させてもらいました。本当に私、名実ともに愚息であります。
記念にと思い今日まで取っていましたが、自己満足と言えば自己満足。何箇所か写メして復元出来ない状態にして捨てました。私の心も支えてくれました、ありがとうございました。ちょっとさっぱりしています。
おかげ様で共通一次の日本史では自己採点はほぼ満点が取れました。結果私立に行って希望はしていませんでしたが史学科、日本近代史専攻に進み、卒業することも出来ました。原動力と言えば原動力、伯母のニコやかに誇っていたのもちょっとは分かる気がしました。
ただ何故捨てたかというと、過去の栄光はさておいて前に進もうと思ったからです。また自分でお爺さんになってもこのくらいは時間があれば拵えることは出来るし、子どもは子どもで自分でまた違った形で努力をカタチにするでしょうから。その努力だけはこうして残しておこうと思い、ブログにしました。
あと残念なのは先程の私の母にこれを見せられなかったことでしょうか。形上は2浪となりましたが、このような積み重ねでまあまあの大学を卒業出来、母もまあ納得してくれるくらいのところに行けました。結果、自分自身にとっては寄り道しましたが有意義な18から20歳のいい時間となった次第です。
ただ社会人になってからも3回も会社辞めるは、給料も地位もなかなか上がらないは… 迷惑かけ通し、結婚して子供を見せてすぐ母は亡くなってしまいました。
ここでの再度のご披露になってしまうかもしれませんが、亡くなるすぐ前に発した仕事に言及した母の言葉は「それで、今あなた何の仕事をしてるの?」でした。本当に親不孝ですみませんでした。おかげさまで12年前に亡くなってすぐ、会社で課長になり、その後そこそこ順調です。きっと不憫に思った母が力添えしてくれているから何とかなっているのかな、といつも意識していてふんぞり返らないようになっています。堅調にこのコロナ禍も生きられております。ありがとうございます。
6863個 モノを捨てました!(^_^)
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