つばさ日記0311午後「『日常』が一番。同じ名前の非日常系アニメもありましたね、私はなの派です」
11日午前の散歩は普通の散歩だった。いつものスズメの大群はどこかに隠れているようで姿がなかった。いつもの犬も居ない。神社ではいつもの通りの礼拝。日常が一番である。近くの幼稚園保育園こども園のどれか分からないが、三十人ほどの園児が遊んでいた。引率の教員は数名居た。園児の動きは鋭い。不審者が居ては危険だと思い、周囲を見渡すが、正にその中心地点に居る事に気付く。興味を持たない様子を演出しつつ足早に去る。平和そのものがそこにはあった。園の教員に認知されるまで、いや認知されたとしても接近は誤解を生み、危険である。帰り道、交差点で一度だけ振り返り、不審者が居ないか、はぐれ気味の園児が居ないかを遠くから確認する。こんなことは地域の人は誰もしないのかもしれない。安心して生活しているからだ。私はまだまだ都会の影を引きずっているのだろう。しかし、まさかという場面で犯罪は発生する。私は最後の最後まで警戒を解かないだろう。年月が経ち、完全な老人になれば知己も増えているだろう。さっきの園児達も大人になり、私の見た目の危険レベルが下がり、声を掛けることでの誤解は生まれなくなるかもしれない。「迷子に声を掛けるなら子供連れだと声を掛けやすい理論」である。ちょっと違うが、大体そうである。というわけで、私が声をかけて大丈夫になるには、十年では効かないのではないかとも予想している。
部屋に戻ると、つばさは南窓で休んでいる。この後、長時間動かなかった。途中、猫草が黒くなった物、本シリーズでかつて「使徒」と呼んでいた物の欠片を口から取る。もう何番目の使徒まで襲来したのか忘れてしまった。この下書きを検索するのも無粋だと感じた。使徒の欠片は口からぶらぶらとぶら下がっていたのだが、これを瞬間芸で取った。私の「すばやさ」がつばさのそれを追い越した瞬間だった。まあ、つばさがほぼ寝ぼけていた事が勝因なのだが。
午後、私の遅い昼食中に、突然動き出す。恐らく「あごだし」に反応したのだろう。抱っこは嫌がる。しかし、椅子下直近に座る。体温は十分高い。食後の片付けに一階へ降りる。誘うが来ない。歯磨きしながら天日干し中の第一トイレの猫砂を見ると完全に乾いている。トイレ丸ごと入れ替える事に決定。その前に、いま確認したトイレの掃除。もちろん僧帽筋を伸ばしながら、歯ブラシを咥えながらである。この間、つばさは一人で一階へ行った。まずはトイレ掃除である。この入れ替えの過程で、階段に溜めた猫砂を第一トイレに回収した。階段では右膝が痛む。次の写真は家中に散らばった猫砂を一時的に集めている階段の一部、回収直前の写真である。左に見えているのは玉ねぎである。ちょっと木星に見える。階段に置いている物の紹介だけで記事が一本作れるが、恥ずかしいので書けない。
トイレは小がやや大量、ばらけ気味だった。第二トイレの猫砂はまだまだ使用に耐えるのだが、サイズが大きい第一トイレの使用を優先した。繰り返しになるが、高級品だけあって、非常に高性能な猫砂である。つばさがメイン部屋に戻ってこないので、第二トイレを外に出すついでに様子を見に行く。歯ブラシを咥えたままは危険なので早めに済ます。子供のころからの悪い癖は直した方がいい。離れ一階に居た。じっとしているので見つけにくい。日当たりの良い所を選んでいるようだ。一旦、戻ってこれをタイピングしていると鳴き声が徐々に遠ざかっていく。ドップラー効果まではない。どうやら母屋に行ったようだ。一応、様子を見に行くと、母屋一番奥の浴室に居た。何故か走ってすれ違う。ちゃんと走るようになってきて嬉しい。好きにさせる、といいつつ、様子を度々見に行く。
しばらくでつばさはメイン部屋に戻ってきた。第三モニター裏で休憩である。そこからも外は見える。前述した通り、非常に見晴らしがよい。恐らく、高い位置に居ることは見えている景色から認識していると思う。