まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

振り返れば、まんざらでもない日々をめざす雑記帳。

お砂糖

2024-01-29 22:11:37 | family
私の実家では料理にグラニュー糖を使っていた。
でも、小さなころは上白糖だったように思う。
お中元やお歳暮でくるのは大概、砂糖か洗剤の昭和時代。
日本人は上白糖が好きなんだって。
異国はグラニュー糖が主流らしい。

母はコーヒーが好きで、ドリップしたものを
近所の人にも度々ふるまっていた記憶がある。
でも、コーヒーショップをしたいということは聞いたことが無かった。
最初、豆は挽いたものを買ってきていたけれどミルで挽くようになった。
豆の種類にもこだわるように。

うちからほどなく行ったところに「ハルミ」という喫茶店があった。
時々そこに母は行っていた。
「ハルミ」の焼きめし(あえて焼きめし)は絶品で、
「レオ」という名のマルチーズがいた。「ジャングル大帝レオ」らしい。

小3くらいの夏休み。
学校のプールから帰って疲れて昼寝をしていた。
カミナリの音で目が覚めた私。家に母がいない。
急にすごい不安にかられた。
雨の中を走ってなぜか「ハルミ」に行った。
母がいた。安心して泣いた。
おじちゃんがミックスジュースを作ってくれた。

コーヒーに入れる砂糖はコーヒーシュガーだった。
琥珀色が混じった、その結晶は、
宝石の原石のようで私は見るのが好きだった。


時代が便利になった。
コーヒーメーカーを買ってあげようと言ったら
ゆっくりと淹れるのがいいのだと笑った。

スタバもドトールもなかった時代。
コーヒーは大事に丁寧に
時間をかけて味わっていたのだろう。

納骨堂に行くとき、必ずホットコーヒーを持参する。
辺りにコーヒーの良い香りが漂う。

悔い残りは美味しい淹れたてのコーヒーを飲ませてあげられなかった。
老健施設ではインスタントのみ。せめてブルマン。
マグに適当に入れられたコーヒーパウダーにぬるいお湯。
母は、ほとんど口をつけなかった。

かわいそうだった。

あれれ・・・
砂糖の話が昔話に変わってるね




10階の病棟からの夕日。雲に隠れたけど。
お兄ちゃん、ちょっと腫れがひかず、本日再度切開・・・
可哀そうに・・・( ノД`)

お兄ちゃんはやっぱり優しい。穏やかで安心する。
寝ている顔は、母にも父にも似ているなと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする