月風のプロフィール・・・気高く、強く、美しく生きる

思い出を交えて!

徒然なるも未来に希望を託し随筆を嗜む

俳句、音楽を添えて

思川

2018年10月15日 23時18分01秒 | 日記

私の生まれ故郷・・・栃木県小山市・・・


といっても茨城県に来て30年位経ちますので


遠い昔です。小山市を流れる川が「思川」です。 よく泳ぎに行きました。


釣にも行きました。


鯉や鮎が釣りたいと思っていましたが 釣れたのは鮒やオイカワでした。


思えば、鯉を釣る名人級の人がいました。


「川は流れる」と言う曲がありますが、私はこの川を思い浮かべると


何故かこの曲が心に浮かんでくるのです。


両毛線を小山から栃木に向かう途中、思川を横切りますが、


ざっと45年前、この川の東側(小山方面)が小山遊園地の跡や


市の公園になっていました。


両毛線の鉄橋は思川を直角に横切るように架けてありました。


この鉄橋の丁度、その下の辺りが川の淵になっていました。


 


 


仲宗根美樹/川は流れる


 


 


何故か・・・山本有三の「路傍の石」のあの光景を思い出します。


返らぬ昔が懐(なつ)かしい。・・・


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「おまえの気持ちを考えると、先生は大いに同情はするけれども、


しかし、無謀(むぼう)なことをやったものだな。・・・・・・」


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「中学へ行けないくらいのことで、そんな考えを起こすやつがあるものか。そんなちっ


ぽけなことじゃけっして大きな人間にはなれはしないぞ。・・・・・・愛川、おまえは自分


の名前を考えたことがあるか。」


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「ああ、自分の名まえはどういう意味を持っているのか、おまえは、わかっていないの


じゃないのかい。」


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「おそらく吾一って名まえは、おとっつあんが庄吾だから、その庄吾の『吾』と、最初


にできた子どもなんで、『一』という字をつけたのだろうが、


しかし、先生の考えじゃ、ただ、それだけとは思えないんだがね。・・・・・・愛川。


『吾一』っていうのは、じつに、いい名まえなんだぞ。」


次野は熱心に語り続けた。


「おまえは作文にでも、習字にでも、自分の名まえだから書くんだって気もちで、


たいして考えもせずにただ、愛川吾一と書いているが、


名は体をあらわすというくらい大事なもので、


吾一というのは容易ならない名まえなんだよ。」


「・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・」


「おまえの名前は、おまえのおとっつぁんがつけたのか、


ほかの人がつけたのか知らないが、とにかく、


さっき言ったようないわれのほかに、もっと深い意味が含まれているのだ。


名まえをつけた人に、そこまでの考えがあったかどうか、


それは今せんさくする必要はない。


つけた人はどういう考えでつけたにしろ、そういう立派な名まえを


持っているものは、その名まえを、立派に生かしていくようでなくっては、


名まえに対して申しわけがないではないか。」


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「吾一というのはね、われはひとりなり、われはこの世にひとりしかいない


という意味だ。世界に、なん億の人間がいるかもしれないが、


おまえというものは、いいかい、愛川。


愛川吾一というものは、世界じゅうに、たったひとりしかいないんだ。


どれだけ人間が集まっても、同じ顔の人は、ひとりもいないと同じように、


愛川吾一というものは、この広い世界に、たったひとりしかいないのだ。


そのたったひとりしかいないものが、汽車のやってくる鉄橋にぶらさがるなんて、


そんなむちゃなことをするってないじゃないか。」


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「さいわいに、汽車のほうでとまってくれたから、よかったようなのものの、


もしあのまま進行したら、おまえはどうなっていた思う。


愛川吾一ってものは、もうこの世にはいなくなっていたのだぜ。」


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「死んじまって中学校に行けるかい。おまえは中学へ行って立派な人になりたいと


思っているのだろう。それだのに、あんなバカなまねをやってどうするのだ。


よく世間では、この次生まれ変わってきた時には、なんて言うけれども、


人間は一度死んでしまったら、それっきりだ。


愛川吾一ってものがひとりしかないように、一生ってものも、一度しかないのだぜ。」


「・・・・・・   ・・・・・・   ・・・・・・」


「おまえはまだ子どもだから、しかたがないと言えばしかたがないが、鉄橋に


ぶらさがるなんてことは、べつに勇ましいことでも、大胆なことでもないんだよ。


そんなのは匹夫の勇というものだ。」


・・・・・・「死ぬ事はなあ、愛川。おじいさんか、おばあさんに


まかせておけばいいのだ。人生は死ぬことじゃない。生きることだ。


これからのものは、何よりも生きなくてはならない。


自分自身を生かさなくってはいけない。


たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに


生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」


「・・・・・・  ・・・・・・   ・・・・・・」


「わかったか、愛川。先生は、おまえに見どころがあると思えばこそ、


こんなに言っているのだ。


おまえは自分の名にかけて、是非とも自分を生かさなくってはならない。


おまえってものは、世界じゅうにひとりしかないんだからな。


・・・・・・・・・・  いいか、このことばを忘れるんじゃないぞ。」


「・・・・・・・   ・・・・・   ・・・・・・」


国語の教科書に載っていた忘れてはならない垂訓です。


 


 


 


 


 


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小学生の頃の思い出

2018年09月08日 14時07分15秒 | 日記
小学生の頃の思い出は今も懐かしく、心に暖かいものを感じます。

もしこの曲がなかったら自分は違った生き方をしていたかもしれません。

「七色仮面」というテレビ映画でした。

仮面の印象は独創的?だと思います。

日本には古くから能がありましたから能の面

を作成する方々があるいは作ったのかもしれません。

ではその主題曲をどうぞ!!
七色仮面 オリジナル バージョン


あのころのテレビ主題歌

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どうですか?

現在とは違い、随分、昔の曲と言う感じですね。

でも、私にとっては、とても大事にしたい曲(旋律)なのです。

敵の頭(かしら)、首領(しゅりょう)が「コブラ仮面」や「キングローズ」など面白い名前でした。

「名は体を表す」ように、コブラ仮面は見た目もあのコブラのようにしつこく、

気持ちの悪い印象を持っていました。キングローズは「バラの王」と言う意味でしょうから

見る方向によっては美しく見え、また悪人の親玉のように狡賢(ずるがしこ)さがありました。



当時は様々なテレビ映画や映画がありました。覚えているのは「月光仮面」、「鉄腕アトム」、

「鉄人28号」、「エイトマン」、「恐怖のミイラ」。映画では「高丸、菊丸」「少年猿飛佐助」など。

ロボットと言えばなんと言っても「鉄人28号」でした。

まんが「少年」と言う付録付きの月刊誌がありました。

当時、まんがでない「鉄腕アトム」もありました。

記憶があまりありませんが、宇宙のかなたに飛んで行く様子が思い出されます。



私は岩手県から転校して栃木県の小山市の田舎に移り住んでまもなくの時でした。

野山、林があり、周りは田んぼや畑でした。

その昔、絹を産していましたので桑絹の地名が有るのですが、

その地名があるのをずーと後に知りました。

そうそう桑の実をつんで食べ、舌が青紫になった事を思い出しました。

「思川」で泳いだこと、(その少し上流に行くと本流と支流の関係でしょうか?

呼び名が違い「姿川」と呼んでいることなどもその頃は

解りませんでしたが)台風の翌日に釣に行ったこと、

(まねをしてはいけません)、粘土質の滑(すべ)り台があったこと・・・

など深く思い出に焼きついています。


あれから50年も経ったのですね。

”光陰(こういん)矢の如(ごと)し”とは、よく時の経過を言い表しています。

何故か? 

私には「思川」にかかる両毛線の橋を下から見上げると、

山本有三の「路傍の石」のひとコマを思い浮かべるのです。

”吾一”の面影が偲ばれるのはなぜでしょう?


そして栃木県の思い出は昔どこの農家でもしていた

”かんぴょう干し”でした。

かんぴょうが夕顔の実であることを知ったのは

これまたずーと後のことでした。


夕顔の 香りや花の 故郷(ふるさと)の


また同様に小鳥の思い出があります。それは四十雀(しじゅうから)と言う小鳥です。

昔は今のように野鳥を飼うことに厳しく無かったので、街に行くと、

小鳥屋さんがありました。

四十雀(しじゅうから)や山雀(やまがら)も売っていました。

それで家で飼っていた事がありました。


四十雀は賢い鳥で部屋で飼っていたことがありました。

そうですね半年間位でしたか?(もう忘れました。)

餌(えさ)は生のピーナツでした。

私が寝泊まりしていた部屋で飼っていました。が、

不思議と糞(ふん)は気にならない程の物でした。

毎日のように寝泊まりする部屋の戸をしっかりと閉(し)めて

中で鳥を放し飼いにするのです。

部屋の欄間(らんま)を行き来したり、ある程度、自由にしてやりました。

やがて鳥籠(とりかご)が自分の巣のように思ったのでしょう。

飛ぶのを止(や)めると籠(かご)に入って休むのです。

四十雀は賢いので直ぐに人間にも慣れるのですが、やはり自分と比べて

人間は大きいので鳥籠の中に入っても、近づくと羽をバタバタしていました。

別れの日は私が家の外で鳥籠を木にぶら下げておいた時でした。

何かの拍子に鳥籠の扉が開いてしまったのです。

それで四十雀は自由になったのでここから出てしまいました。

しかし驚いたのはこの鳥籠の周りを何回も廻って、

自分の家、巣のような仕草(しぐさ)をしたことでした。

時間にして5分位だったと思うのですが、

扉の入り口からこの四十雀が入ろうとした時に、

私が近づいたので、びっくりして再び鳥籠から出てしまいました。

それでも何回か鳥籠の周りを旋廻していましたが、

ピィピィピィーピーと鳴いて近くの杣(そま)に行ってしまいました。

夕時でした。

この小鳥の色はうぐいす色、翼や尾は黒、目の周りが白で、

頭や胸が黒色です。形や大きさは雀(すずめ)位です。

囀(さえず)る声はとても愛らしい。

小山市の田舎(いなか)の思い出に、名前こそ付けませんでしたが、

この四十雀はなくてはならないものでした。


故郷(ふるさと)の杣(そま)を飛び交う 四十雀(しじゅうから)







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小学低学年の頃

2018年09月08日 12時12分52秒 | 日記


もう、随分昔になります。


未だテレビが普及していなかった頃、私が小2,3年生だったかな?


テレビ映画で「紅孔雀」が放映されていました。


主役は沢村精四郎さん。曲も歌詞も好きでした。



伝統的で貴重な日本の文化遺産のようなテレビ映画でした。(これは言い過ぎかな?)



日本人は昔から良いものは良いものとして伝統を受け継いで来た歴史があります。





確かにこう云う時代があったのだ。・・・。



以前は主役だった沢村精四郎さんの勇士の演技を観ることが出来ました。



私は少年時代に彼のこのテレビ映画を観て日本に生まれて良かったことや、



敵の襲撃、反撃から神社、お宮を守ること、正義ってこう言うことなんだと思いました。



その面影を歌っていてくれた人がいました。



紅孔雀 井口小夜子 (新諸国物語「紅孔雀」主題歌)



 

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西洋に無い、日本人の心の故郷と言ったら良いのか?



忘れかけていた郷愁を呼び戻してくれるような?



そんな人、曲(旋律)でした。



神州男児ここにあり!!




いにしへの 笛の音さやか 宮の月







そして「白鳥の騎士」も人気がありました。



テレビ主題歌 白鳥の騎士 高城丈二










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先達の残してくれたもの

2018年07月10日 04時30分58秒 | 日記

ここ数年、考えることがありブログの更新をしなかった。


それは私自身が修養すべきことがこの日本には多くあることが解ったからでした。


修養ということを書いて来た自分がいささか恥ずかしく思ったからです。


知りたいと思う事がいっぱいあるのですが、精一杯頑張っても


今の自分には出来かねることの大きい事に気付き、


日本人の、先輩方の、思いの深さに感動しました。


私達の祖国、日本は悠久の歴史、文化を有する世界で最も古い国家だと


言われています。


ですのでそれぞれの分野で活躍している日本人を知る機会が多い。


 


私は昔の人間なので何故かこう云う曲が好きです。良かったら是非聞いて下さい。


 たけくらべの歌 【二代目コロムビア・ローズ】


 


経済大国に発展して来た日本が、その途中で失って来たとされるものに


道徳、モラルの低下が挙げられます。


古の昔から日本人は徳、美徳を大事にして来ました。


・・・戦前の先達は日常的にこの道徳、モラルと言う点においては


徹底的に教えを戴いた民であったろうと思います。


戦前の日本の立役者たちは国家公務員の公職追放と言う事も有り、


左翼的な思想を持つ人が台頭して来る事になり、


道徳そのものを嫌う世の中に成って来たと考えています。


これはつまり日本人が歴史的に昔から美徳、道徳を大事にして来たので、


この反動として嫌悪感が増長し道徳感が段々に失われて来たものと思います。


ターナー 難破船



 


私は幼い時に父が基督教の伝道師と言う事もあり、


日本人が日常あまり読んだ事の無いいわゆる「聖書」と言うものに


縁があった為に普通の人と少し違った人生経験があります。


 


・・・昔、慶応(大学)の先生にコリアン先生と呼ばれた遠藤周作さんが


おられました。


彼は父が深く基督教に帰依(きえ)して居たためその影響を受けた事を


後悔していました。


(それで「沈黙」と言う本を書いたのだと思います。)


テレビに出演して彼がその事に言及していましたが、


当時、私は20代でした。


聖書を信じていたこともありましたので不可解に思うことでした。


あれから40年、歳月歳を待たず、私も老境に入り


あれこれと思いを巡らしました。


基督教に縁があったが信仰して居て毎日が楽しさよりも苦しさ、虚しさが多かった。


およそ47年間でしたが信頼していた伝道者に背(そむ)かれてから


基督教に疑念を抱くようになりました。


自分なりに日本の過去の歴史を振り返って、


それで解った事は、日本には新しく革新すべきものよりも


既に昔の時代に確立されて体系化されているものが多く有ることに気が付いたのです。


 


ターナー 第五の災い



 


人間にとって大事な物


お金、道徳、健康、自分、魂、時間、愛とか恋、信頼、信用、希望、未来等


様々ですが人間の幸せについての教え、仏教を説いた釈尊、


そして天皇陛下の祖先である神話の世界の神々、古神道、


この二つが融合した教えの総本山、日本型天台宗、「園城寺」(おんじょうじ)


、最澄、日蓮、弘法大師様など、仏教に興味がある様になりました。


少しずつ仏教を学んでいます。


そしてその長さ、広さ、深さ、大きさを想像すると


先祖様を大事にして来た日本人の国民性が窺(うかが)えます。


神棚がありその下には仏壇が有る国民・・・世界の人々は不思議に思うはずです。


「武士道は美学、その美学の芯は道徳と品性だ。」


・・・西 鋭夫(にし としお)教授(※1)


 


私達は輝かしい未来を子供や孫たちに残さなければいけません。


少なくとも、決して希望を失うような人生を歩ませてはいけないと思うのです。


先祖たちが残してくれたもの・・・大事にしましょう。


 


 


古い曲です。良かったら聞いて下さい。


二代目コロムビアローズ 「智恵子のふるさと」 Columbia Rose II


 


民主主義ならば、まだそう云う名前もなかった、いにしえの昔から日本人は


民主的であり独りよがりする事無く、和を大事にして来ました。


現在では日本の道徳、武士道の精神、教育勅語など世界に知れ渡ったものは篤く


これを規範に都市造りがなされていることも聞いています。


これらは無論、私達の先祖が残して行ってくれたもの、遺産です。


私はつい最近ですが「五省」と言う訓戒が戦前、海軍にあった事を知り、


改めて先祖の国を想う志に心打たれたのです。


この「五省」は今でも私には大事な訓戒に思えますので記述して置きます。


 こう云う立派な訓戒を残して下さった事・・・ただ感謝です。


 


【五省】(海軍兵学校、現、海上自衛隊幹部候補生学校)の訓戒


 


1.至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか


 真心に反する点はなかったか


 


1.言行に恥ずるなかりしか


 言行不一致な点は無かったか


 


1.気力に缺(か)くるなかりしか


 精神力は十分であったか


 


1.努力に憾(うら)みなかりしか


 十分に努力したか


 


1.不精に亙(わた)るなかりしか


  最後まで十分に取り組んだか


 


 どうですか? 先達の思いの一端が窺(うかが)えるでしょう!


 


※注1 西 鋭夫(にし としお)


スタンフォード大学フーヴァー研究所教授


1941年12月大阪生まれ。


 


 


 ラスト二分 一点差を追う フットボール


 朝靄の 林を翔ける 風の舞


 小夜更けて 花の散り行く 城の跡


 



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誕生日に*

2016年05月15日 17時12分32秒 | 日記

私の誕生日のことです。

数多くの諸先輩や友人、知人から「おめでとう」との祝福を戴きました。が、

「否、もう歳を取るのは御免だ。」と思っていたところがあった。

そんな中、メールで祝福を送って下さった方がいた。

東大の数学科に進学された方で今や仏教の先生である。

(どうしてこの先生にお世話になる事になっただろうか?)

思えばあれは、そう・・・・・・昨年の秋、潮来市の昔、

十二橋のあった加藤洲からほど遠くないところに長善院と言う御寺がある。

北方の遠く澄み切った青空に向かって観音様がその峻厳なお姿を見せている。

私は「あのお金・・・注1」について今でも忘れられずにいた。

取り返す事ができるならそうしたいと思って居た。焦りがあった。

焦燥感でいっぱいだった。

観音様を見ていると何故か私の心を御存知の様に思われ、

何とか自分のこの満たされぬ思いを住職に知って戴こうと思い立ったのである。

境内の御堂の窓を見ると張り紙がしてあった。

真言宗の御寺であることが解った。母の実家が同じ宗派であったので馴染みがあった。

思わず、ドアの窓を叩いていた。
「こんにちは!」「御免下さい!」中から返事が有った。

何か不都合な事があったのか?と思ったのだろう。

住職は未だ名前も知らない自分なのに親切に応対してくれた。

「実はキリスト教の伝道者に金銭を持って行かれたのです。 

呉れたお金ではないのですが、警察も弁護士も動いてくれません。」

「呉れたお金では無い?」「では貸したのですか?」

「借用書は?」「・・・それが、借用書は無いのです。」

「全知全能の神がその証人だと聖書に書いてありますので。 

聖書を信じて貸してしまったのです。」

住職は段々、私の悩みが借用書も書かずに貸したお金の事だと解った。

私はもう既に法律的には時効を迎えて居る事も話をした。

・・・  ・・・  ・・・私は思って居た事を全部話した。

ここで小休止しましょう。若かった時、会社の独身寮で夜、
小さくして聴いたこの曲を聴いて下さい。
私の持って居るC Dは古い物でヴァイオリンがエドゥアルト・メルクス版です。
この四〇年間にこの曲も変化して来ました。
現在のSUZUKIさんの編曲も素晴らしいですが袴田美穂さんがひいている曲もとても良いので聴いて下さい。
では、コレッリで「ラ・フォリア」をどうぞ。祈り - ラ・フォリア Corelli/Suzuki 'La Folia' played by Miho Hakamata and Alan Brown


そのお金と言うのは「兄弟」と呼んで居る貧しい信者の為に貸した事。

聖書ではそう言った善意で施したお金は、

30倍、60倍、100倍になって戻って来ることが書いて有る事。

弁護士に相談したが良い解決方法が得られなかった事。

警察でも同じように借用書が無いと解決出来ないと言われた事。

当事者である相手が故意にお金を持って行ったのならば

取り返す事が出来るがそうではない事。等、など(を住職に話した)。

・・・  ・・・  ・・・去年の秋のことだった。

あの時、住職に言われた事を想いだすのだが、

知って欲しい事を全部と言うほど話をしたので

私は心の闇が薄らぎ幾分晴れた思いがしていた。

そして何故かあれ程取り返そうと思って居た心が薄らいで来たのだった。

・・・  ・・・  ・・・そして今、およそ九ヶ月後、六月、

あのお金は私が老後の事も考えて積み立てて来たものであったが、

元はと言えば、同じ貧しい人の為に成ればと思いあの二人(注2)に渡した物であった。

思わず、何故か私は慈悲の心を抱いていたのだった。

涙、泪、なみだと鼻水・・・ ハンカチで拭った。

何故こんなに考えが変わったのか?

自分も解らないが。あの住職にお会いしてから、こころの変化があった。

その後少しづつ私は仏教の基礎を学んだ。

あの日から段々と仏教を身近に感じて来た。

因果の道理、因縁果の道理を学んだ。様々学ばせて戴いた。

ここで休んで下さい。日本の名曲「荒城の月」をやはり袴田さんがひいて下さっているので聴いて下さい。
祈り - 荒城の月 Song of the ruined castle

基督教は奇跡が多かったと言う印象が強いが仏教の師、釈尊、仏様、

お釈迦様はものの道理でその道を諭して下さるので、

聞くだけで内容が理解出来るのは驚きだった。

確かに御経を読むのは難しいことですがその内容を易しく紹介している方々がおられたのだった。

そのひとりの先生、師が岡本一志先生だった。

私は半年間の通信基礎講座を受講した。そして二月に講座が終了したのだった。

少しづつ自分が変わったのだろう。

(自分では意識できないのであるが)それは仏法だから愛では無く明らかに慈悲の心だと思う。

自分では変わっていないと思って居たが??。

そして本日、先生から誕生日を祝ってのメールが来た。

読んで見て私はこれをブログにしようと思った。

人生になくてはならぬものの様に思えたからだ。



仏教では「人身受け難し、今已に受く。(じんしんうけがたし、いますでにうく)」と言われ

「人間に生まれることは大変難しいその人間に今、生まれたことは大変有り難いことなのだ。」

と説かれています。

月風さんも私もまず、人間に生まれた、誕生ということがなければ

こうしてお会いすることも出来ませんでしたし、

仏教を学ぶことも出来なかったでしょう。

今日の月風さんの誕生日をご縁にお釈迦様の盲亀浮木のたとえをお話したいと思います。



★【そなたは人間に生まれたことをどれくらい喜んでいるのか?】

★ある時、お釈迦様が阿難というお弟子に、

「そなたは人間に生まれたことをどのように 思っているか」と尋ねられました。

「大変喜んでおります」 と阿難尊者が答えると、

お釈迦様は次のような話をされています。

今日、盲亀浮木の譬え(もうきふぼくのたとえ)といわれているお話です。

「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。

その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。

広い海には一本の丸太棒が浮いている。丸太棒の真ん中には小さな穴がある。

その丸太棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ 北へと漂っているのだ。

阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、

丸太棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」 聞かれた阿難は驚いて、

「お釈迦様、そんなことはとても考えられません」と答えると、

「絶対にないと言い切れるか」 お釈迦様が念を押されると、

「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年の間には、

ひょっと頭を入れることがあるかも知れませんが、

無いと言ってもよいくらい難しいことです」と阿難が答えると、

「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、

この亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。

有難いことなんだよ」とお釈迦様は教えられています。

「有難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことを言います。

人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと、

お釈迦様は教えられているのですが、喜んでいるどころか、

なんで生まれてきたのだろう?

人間に生まれさえしなければ、こんなに苦しまなくてよかったのに、

と恨んでいる人さえあります。

それは、何のために人間に生まれてきたのか?、

何のために生きているのか?

なぜ苦しくても生きねばならないのか?

人生の目的が分からないからです。

「人間に生まれたのはこれ一つのためであった」と

人生の目的を達成させて頂いた時にこそ、

「人身受け難し、今已に受く」

「人間に生まれてよかった」という生命の大歓喜が起きるのです。

人は何のために生きるのか、これを明らかにされた仏教を学んで行きましょう。

★月風さん本当にお誕生日おめでとうございます。

「人身受け難し、今已に受く」を心から噛みしめることが

出来る年になることを念じております。

岡本一志



人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。

(この世に人間として生まれた深い意味と尊さに、今初めて気付くことができました。

それはまさに

仏法の教えを聞くためであったのだと

今ようやく仏法に出会えた喜びを素直にいただくことができました。)

なるほど、じんしんうけがたし、いますでにうく。ぶっぽうききがたし、いますでにきく。

これからの未来。何か良い事が起きそう・・・幸せ・・・。

注1)【私の体験から思う事】を参照。
当時、私の全財産932万円を預けてしまった事

注2)事件の当事者である男性、白人と日系の米国人伝道師二人



最後まで読んで下さり有難う御座います。



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