私は古の日本を学びたいと思いました。そして何年か前の本から気になった箇所
や記憶をもとに聖徳太子の教えや五箇条の御誓文、教育勅語など戦後生まれの私
が未だ学んでなかったことを調べてみたいと思いました。
一に曰く、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
で始まる有名な「十七条憲法」を読むと、現地球上の多くの国家が未だに達して得て
いない価値観があの古代日本に既にあったと先達は教えています。
また、現行憲法は、敗戦により、それ以前に日本人が持っていた悠久の歴史や日
本人の心のありようが消し去られている事や日本国は日本人のものであり、日本国
憲法は、日本人の原点、日本の真髄が反映されたものでなくてはならないとの観点
から歴史の振り返りが必要であることをも教えられました。 その作業の第一歩は
「十七条憲法」であるとの事でした。
私はひとりの日本人として聖徳太子 がどういう志を持っていた人物なのか?
知りたいと思いました。
このような理由から以後三回は聖徳太子の十七条憲法の現代語訳を載せたいと考
えました。
さいわい、先達はこの条文を現代語訳にしてまで準備して下さいましたので、これを
引用させて頂きます。
以下の聖徳太子の「十七条憲法」の現代訳は金治勇様の「聖徳太子のこころ」
大蔵出版 1986年を出典としています。
十七条憲法(聖徳太子)・・・現代語訳
第一条
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。
人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親
のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も
下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの
道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。
第二条
二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。三つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。
それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範
である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。
人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、
それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。
第三条
三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。
君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。
かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をお
おうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がい
うことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに
王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたが
わなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。
少し休憩してください。十七才は一度だけ 高田美和 Takada Miwa
第一条から見ていきましょう。何よりも人の和が大事だと諭しています。
戦後の教育を受けた私は、昔の映画や本を読むと祖父母、親や子供のあり方と
言うのか生き方が違うことに気がつきます。
先祖の列と言いましょうか、祖父母があって親がいる、そして子供がいる。
当たり前のことですが、自分の親がいなかったら自分はこの世に産まれてこなかっ
たのです。昔の人は親に逆らうことなどもってのほかだと自制していました。
家の長は祖父母でした。次に父母。ですから、大事なことは祖父母や父母が相談し
て決めていました。そしてその決断の責任は祖父、すなわちおじいさんにありました。
ですから、おじいさんの責任は大きかったのです。祖父無き後は父がその責任
を受け継いだものと考えます。
また、同じ年の男女の間にも責任の重さの違いによって男が上下の上にきたものです。
こうした、先祖の列=祖父母から父母、子供そして孫と言う上から下への列と、
一方男女の列があったように思われます。こうした家族の責任の重さで家族の上下
関係が保たれていたように感じます。つまり縦の列が秩序を保っていました。
横の関係が世間であり社会であったと推測されます。何をするにも、おじいさんが長
老であり次が父親であった。
このような家族が我々の先祖ではなかったではないでしょうか?
その長老が集まって協議し村や町を形成していたと考えます。
ですので、昔から、何よりも人の和が大事だったのではないでしょうか?
「上和らぎ、下睦びて、論うにかなうときは、事理おのずから通ず。何事か成らざら
ん。」
治世をする側もされる側も、上下の隔てなく、物事について論じ合えば、必ず現実の
問題は理想や真理に重なる形で解決されていく、達成出来ないことはないのだと説
いています。日本列島に住む先人たちが、遙か昔の大和朝廷の時代から、和を大
切にし、上下を隔てることなく、皆が一致してこころを合わせて行く大切さを強調し
て、国民への配慮を国家の柱と位置づけているのです。
第二条では三宝(仏、その教え、僧侶)を敬えと諭しています。昔の人は学問をした
い人は自ら僧侶になって地域住民に寄与貢献したことは周知の事実です。
第三条では王の命令に従うことを諭しています。王は君主であり絶えず国民の為
に政治の中枢にあった方ですから、その命令に従わなければ国家の和は乱れ立ち
ゆかなくなるでしょう。
休憩しましょう。
私は昭和の生まれで、知っている曲も古いのですが、この曲の詩ははかなく悲しく思
われます。何故にメロディは美しく感ぜられるのでしょう?
この世の花_島倉千代子
第四条
四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさ
める基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、
下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、
群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼
があれば国全体として自然におさまるものだ。
第五条
五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶
民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。この
ごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わい
ろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中にな
げこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむよう
なもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわ
からずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。
第六条
六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで
人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、
国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。また
こびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者
の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対
する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。
少し休みましょう。姿勢を正して、ひと呼吸しましょう。
三橋美智也さんで古城です。
古城/三橋美智也
第四条では礼の精神を根本に持ちなさいと諭しています。
国を治める根本は礼にある。
礼儀正しい世の中は美しいです。
第五条では公平な裁きをしなさいと諭しています。正しければ貧乏な人の訴えでさえ
聞き入れられる裁判でなくてはなりません。
第六条 この心得は国を守るべき人に課せられた義務だと思います。
私は日本の名曲のひとつがこの「すみだ川」だと思います。
島倉さんと今は故人、東海林太郎さんのこの曲を聴いて下さい。
すみだ川/東海林太郎・島倉千代子
参考資料 及び出典
安倍晋三 「美しい国へ」 文春新書 2006年
金治勇 「聖徳太子のこころ」 大蔵出版 1986年
櫻井よしこ 「気高く、強く、美しくあれ」 小学館 2006年
このタイトルのブログを書こうと思った経緯は安倍晋三様、櫻井よしこ様の書かれ
た本にとても感銘しましたので、ひとりの日本人として後世にその意志の一粒でも伝
えたい願望からです。
尚、健やかに、直く、朗らかに生きたいことがブログの主旨ですが、私は、今、この
日本で生まれ育った事が何か有り難い気持ちがしてならないのです。ですので先達
の志を受け継ぎたい趣旨から「気高く、強く、美しく」を引用させて頂いたことも明記し
て置きます。
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