私はもうすぐ還暦を迎えます。
来し方を振り返って見るとやり残した事がいっぱい有ります。
読みたい本がいっぱい有る。だがとても全部読む時間は作れそうにありません。
それに歌舞伎、能といった分野はほとんど知らない。
このまま歳を重ねて行ってしまうのは残念に思う。
ほとんど「諦め」が勝った心境になる時があります。歳なのだろうか?
「いい」それでもいい。と思えるようになって来ました。
人生の下り坂を歩んでいますがまだものを知る機会が度々です。
人生は一生勉強なのかもしれませんね。
この間、雑誌を読んでいると作家の五木寛之さんのメッセージが有りました。
励まされる言葉ですので参考にして下さい。
以下、五木寛之さんのメッセージです。
年齢を重ねることで分かること、見えてくるものがあります。
インドでは人生を、学生期、家住期、林住期、遊行期の四期(*)に分けています。
* 師に学び、家に住んで家族を養い、出家して林に住み独りになって旅に出るの意。
林住期、遊行期は確かに人生の後半である。
けれど野球でもクローザーの仕事ってすごく大事でしょう。
7回、8回、9回でしっかり締めくくらないといけないように、
林住期、遊行期をどう生きるかはなかなか難しいことなんです。
しかし、年齢を重ねることで分かること、見えてくるものがあります。
人生を登山に例えれば、山の裾から頂上を目指して登るだけが登山ではない。
頂を極めた後に今度は麓まで下りていかなければいけない。
登りと下りと両方あって登山なんですよ。
登りの時は背中に荷物をかついで必死で登ってますから、
周りを見回す余裕もなければ後ろを振り返る余裕もないですが、
今だと僕は下りていく途中ですから、
高山植物ってこんな高いところにも咲くんだと思ったり、
雷鳥はこういうところに棲んでいるんだなと思ったり、
あそこに見えるのは日本海だろうか、
こっちは立山連峰だなと思いながら下りていき、
その中で自分の人生の来し方、行く末を振り返って考える。
こんなに豊かで楽しい時間というのは・・・下山でなければ味わえませんね。
下りも悪くないなと、下山して初めて分かるものなんです。
一休みしましょう。私の青春の歌は三田明さんや舟木一夫さんから始まります。
三田さんの「美しい十代」はきっと一度は聴いた事あるでしょう。
では。若かったあの頃を振り返って見ましょう。
美しい十代
この一年が良い年でありますように!
生き続けることに価値がある。
僕は今、すごく良い状態でこの時期をエンジョイしています。
自分の体の不思議さというか、老いていく過程もおもしろいし、
日々新鮮で、日々新しい発見があるんです。
来年は80歳ですが、80歳から後の世界は未知の世界で、すごく興味がありますし、
その先90歳になったらどういうことになるだろうと、
若いころより今の方が未来に対して関心があります。
いつまで自立していられるか、
人に依存せず自分の人生の幕をどう閉じるか、
そんなことも考えつつ、したいことがまだいろいろある。
その一方で、両親の享年を超えて今、
このように生きていられることも不思議でなりません。
しみじみ感じるのですが、人は生きているだけで十分にすばらしいんです。
生き続けることに価値があるんだと改めて思いますね。
生きたくても生きられなかった人の分まで感謝を持って生きる、
それが供養であり生命を慈しむことなのではないでしょうか。
心と体を一体にして生を養うとは、常に自分と向き合い、
与えられた生命を丁寧に生きることにほかなりません。
出典(SUNTORY 美感遊創 「凛として、生きる」より
五木寛之さんのメッセージ)
一休みしましょう。舟木一夫さんから「高校三年生」をどうぞ。
来し方を振り返って見るとやり残した事がいっぱい有ります。
読みたい本がいっぱい有る。だがとても全部読む時間は作れそうにありません。
それに歌舞伎、能といった分野はほとんど知らない。
このまま歳を重ねて行ってしまうのは残念に思う。
ほとんど「諦め」が勝った心境になる時があります。歳なのだろうか?
「いい」それでもいい。と思えるようになって来ました。
人生の下り坂を歩んでいますがまだものを知る機会が度々です。
人生は一生勉強なのかもしれませんね。
この間、雑誌を読んでいると作家の五木寛之さんのメッセージが有りました。
励まされる言葉ですので参考にして下さい。
以下、五木寛之さんのメッセージです。
年齢を重ねることで分かること、見えてくるものがあります。
インドでは人生を、学生期、家住期、林住期、遊行期の四期(*)に分けています。
* 師に学び、家に住んで家族を養い、出家して林に住み独りになって旅に出るの意。
林住期、遊行期は確かに人生の後半である。
けれど野球でもクローザーの仕事ってすごく大事でしょう。
7回、8回、9回でしっかり締めくくらないといけないように、
林住期、遊行期をどう生きるかはなかなか難しいことなんです。
しかし、年齢を重ねることで分かること、見えてくるものがあります。
人生を登山に例えれば、山の裾から頂上を目指して登るだけが登山ではない。
頂を極めた後に今度は麓まで下りていかなければいけない。
登りと下りと両方あって登山なんですよ。
登りの時は背中に荷物をかついで必死で登ってますから、
周りを見回す余裕もなければ後ろを振り返る余裕もないですが、
今だと僕は下りていく途中ですから、
高山植物ってこんな高いところにも咲くんだと思ったり、
雷鳥はこういうところに棲んでいるんだなと思ったり、
あそこに見えるのは日本海だろうか、
こっちは立山連峰だなと思いながら下りていき、
その中で自分の人生の来し方、行く末を振り返って考える。
こんなに豊かで楽しい時間というのは・・・下山でなければ味わえませんね。
下りも悪くないなと、下山して初めて分かるものなんです。
一休みしましょう。私の青春の歌は三田明さんや舟木一夫さんから始まります。
三田さんの「美しい十代」はきっと一度は聴いた事あるでしょう。
では。若かったあの頃を振り返って見ましょう。
美しい十代
この一年が良い年でありますように!
生き続けることに価値がある。
僕は今、すごく良い状態でこの時期をエンジョイしています。
自分の体の不思議さというか、老いていく過程もおもしろいし、
日々新鮮で、日々新しい発見があるんです。
来年は80歳ですが、80歳から後の世界は未知の世界で、すごく興味がありますし、
その先90歳になったらどういうことになるだろうと、
若いころより今の方が未来に対して関心があります。
いつまで自立していられるか、
人に依存せず自分の人生の幕をどう閉じるか、
そんなことも考えつつ、したいことがまだいろいろある。
その一方で、両親の享年を超えて今、
このように生きていられることも不思議でなりません。
しみじみ感じるのですが、人は生きているだけで十分にすばらしいんです。
生き続けることに価値があるんだと改めて思いますね。
生きたくても生きられなかった人の分まで感謝を持って生きる、
それが供養であり生命を慈しむことなのではないでしょうか。
心と体を一体にして生を養うとは、常に自分と向き合い、
与えられた生命を丁寧に生きることにほかなりません。
出典(SUNTORY 美感遊創 「凛として、生きる」より
五木寛之さんのメッセージ)
一休みしましょう。舟木一夫さんから「高校三年生」をどうぞ。
私は「人は生きているだけで十分にすばらしい」かどうか考えたことがありませんでしたが、
五木さんは経験や体験からそうだと言っています。
「生き続けることに価値がある」・・・励まされる言葉です。
「生きたくても生きられなかった人の分まで感謝を持って生きる」
・・・病気や戦争で亡くなられた方々
・・・特攻隊であった方々の胸の思いが万感、蘇って来る思いです。
・・・私達は彼らの志を虚しいものにしてはいけないと思います。
彼らは日本を守るために死んでいったのですから。
今日の日本が特にアジアの国々から尊敬を受けるのも、
反対に嫌う国があるのも、
道義国家として生命を賭けた戦いに敢然と最期まで、
立ち向かった彼らがいたからだと思うのです。
その多くは遠い南の海の果てに消えていきました。
しかし、この日本を思う方々の志は消えることなく、
戦後へと受け継がれました。
そしてこの日本国の未来を輝かせてくれています。
話が飛びましたが「供養」と言うことや
生命を慈しむ意味も教えられますね。
七輪の 目刺に残る 炭の音
ここからは有料のカタログ販売です。興味がありましたら、ご覧ください。もし希望の商品が御座いましたらご購入下さい。
希望を見失うことなく
そのチャンスを生かしていると思います。
過去にとらわれずに未来を切り開いています。
一生は、皆、人によって違いますが
希望を抱いて行動する人は何故か明るいですね。
いつまでもお元気に。
「私の人生 これから」という気持ちで一杯です。
家族・親・友達の絆に感謝