〈昔、ここが有菌地帯と無菌の世界の分かれ目。下は岩だらけで、二度と戻ることはなかった〉
ハンセン病療養所に出入りしだして30年になる。最初は香川県の大島青松園、のち国家賠償訴訟が終わってからは岡山県の長島愛生園、邑久光明園。それぞれ知人を訪ねて遊びに行っていたのだが、30年前でも入所者の外出はかなり自由になっていたので、本など文字の上で隔離政策のことを理解はしていても、いまから思えば心底ピントが合っていなかったように思う。
障害者も差別の中で生きているのだが、自分の場合は「そんなことをいうあんたは何様か」と開き直り、差別を差別として感じなくなっているところがある。だがハンセン病は、治る病気となってから何十年も、回復者は国から法による隔離を受け続け、人権を蹂躙され続けてきた、それがいったいどういうことかを、たまたま宮古に来て、南静園の講座で学び、実感することができた。
すでに述べたが、差別の中にあるものが差別に敏感とは限らない。かえってより弱いものに無神経なことはままある。私も自分の「鈍さ」を痛感する(普)