天険若夷(てんけんじゃくい):厳しい地形が平地のようになった。
引重致遠(いんじゅうちえん):重いものを遠くに運べるようになった。
もうお判りでしょう?
いさぶろう・しんぺい号の名前が付けられた所以なのです
この矢岳第一トンネルは熊本県と鹿児島県の間にある宮崎県に所属しています
北側は人吉まで1908年(明治41年)6月1日に開通
鹿児島県側も吉松まで1903年(明治36年)9月5日に開通していた
1906年(明治39年)9月に矢岳第一トンネルに着工されたが、人里離れた山奥であり資材搬入などの困難に見舞われ
水分の多い凝灰岩のために湧水が多く、かなりの難工事であり1908年(明治41年)に導坑が貫通
1909年(明治42年)11月21日に人吉 - 吉松間が開通した
これによって鹿児島本線が全通した
と・・・書かれていますから凄い難工事だったようです
トンネルの人吉側に最高責任者・逓信大臣 山縣伊三郎(やまがたいさぶろう)の「天険若夷」
吉松側に鉄道院総裁 後藤新平(ごとうしんぺい)の「引重致遠」という扁額が掲げてあります
これはその扁額を写しとったものです
普段はハッキリとは見る事は出来ません
が・・・熊本のエラーい人の部屋に飾られていましたので撮って来ました
ガハハ