エッセイ 民謡(2) 課題【澄む・濁る】 2019年8月23日
民謡教室には休みながらも2年近く通った。
何とか続いたのは、年齢はまちまちだったが毎回和やかな集まりと、その人なりの特徴を尊重する稽古だったからだと思う。
中にとても上手な人が居た。
東北の唄だったかもしれないが澄んだ声が響くと皆聞き惚れた。
その人もだが、何人かが先生の個人指導を受け三味線や太鼓も習っていた。
教室の時は、会員に合わせて三味線や太鼓を叩いてくれた。
会ではお揃いの着物を用意しなければならなかった。
先生がその事を言うと、親子で習いに来ていた呉服屋さんのお母さんが、帰り道、閉店した店に案内してくれた。
商店街の中でも大きなS呉服屋、「ちょっと待ってて」と言い奥に引っ込んだ。
豪華な着物に見とれていると、息子さんも出てきて採寸をしてくれた。
お母さんにはきちんと敬語で話している。
その後も時々お店に寄ったが、誰が買うのか素晴らしい絞りの着物があった。触るとふんわりし、とても軽かった。
ボーナスが出た時、付け下げを誂えたが、そんな時は息子さんが取り計らってくれた。
先生が出る舞台に、何とか社中みたいに弟子達が駆り出される。
勿論個人指導を受けている人は上手だから問題はないが、その域に達していない人もいる。
私などはその最(さい)たる者なのに、人数合わせに呼ばれた。
舞台が決まると、何時も舞台の立つ位置で一騒ぎがあった。
年配の女性は、前に出るのを嫌って下がろうとする。
結局若いと言うだけの理由で前列へ押し出された。
日比谷公会堂の舞台で唄っている、小さな写真がある。
今ではとても考えられないことだ。
色々揉めた舞台でも、終わると鉢洗いと言う飲み会がある。
稽古の時、厳しいやり取りで音を確認していた兄弟子達も、すっかりリラックスして先生に冗談を言っている。
私は何時まで経っても上達しないから、民謡の弟子になった気にはなれなかったが、真剣にお稽古をする風景は好きだった。
先生の講評‥‥・下線の部分のために全文がある。
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