燕雀は鴻鵠の志を知れないのか?

管理人のテキトーな日記、ぼやきなどを掲載。
特にブログのタイトルに意味はないと思う。
リンクフリーです。

セレガ

2006年06月08日 23時09分52秒 | 人間関係について
 私のゼミ内でのあだ名。
元々はこんなに定着する予定ではなかったのだが、いつの間にか完全にこれで決まり。
しかも合同ゼミのときに他のゼミにも飛び火してるし。
まあ最近はマシになってきたが当初はものすごいいじられた。
セクシー&エレガントが元の語意だからそりゃ私とのギャップがあっていじりがいがあったようで。
ゼミ内では完全に普段と違う顔で通っているからそういう意味では別にいいかもしれないが、普通に人前で呼ばれるのはちょっと抵抗があるかも…。
なんだかんだで濃いキャラになってしまった。
本当はもっと薄口なのになぁ…。

 どこを見渡しても人間一人では生きていけない。
必ずつるんでいる。
まあ当然だ。
友達に的を絞ってみる。
仲良こよしは大いに結構。
しかし、友達を信用するとは一体どういうことだろうか?
最近この手の問題に直面しているので少々考えてみる。
個人の価値観が違うから、信用のしかたも人それぞれ。
他人から見たら全然信用してるようには見えなくても本人にとっては最大限の信用を表す行為だったということもある。
そこんところが上手く行かないから問題がややこしくなる。
団体行動を行ううえで信用は必要不可欠。
しかし世の中不器用な人間が多いからねぇ…。
かくいう私も上手く信用を表すことができない。
どうすればいいんだろうね…。
今は一番全体がまとまらないといけないのに、それぞれが別の方向を向いている。
カリスマでもあればまとめれるんだが。
なんだか頭が混乱していて上手く表せないや。
とりあえずみんなが一つにまとまれるような方法があるなら知りたいものだ。

~本日の名言~
人生は常に一回きりのプロセスだ。それゆえ、未来は過去の反復ではありえない。(ウォルター・リップマン)

それぞれの生き方

2006年05月30日 21時37分25秒 | 人間関係について
 最近ブログがバイト日記化している事について不評だったのでたまには私的にまともなことでも書きましょう。
幸い今日は時間も早いから長いことが書ける。

 さて、人間の人生は当然ながら本人だけのもの。
他人の人生に影響を与えることは出来ても、他人の人生を自分の人生として生きることは不可能だ。
一生に一度の我が人生。
他人よりも楽しく生きたいと思う人は多いことだろう。
まあ私もそっち派だ。
まあしかし、何を基準にそんなことを考えるかだ。
どうせ自分の人生は他人と比較は出来ない。
一見不幸そうに見える人でも、本人にとっては楽しい人生であることもあるし、逆に幸せそうでも実はつまらないと思っていることもある。
他人の人生と自分の人生の比較は、主観的に他の人の人生を見ることによって自分の境遇と照らし合わせるに過ぎない。
もしくは他人から一部を聞くことで、その部分を自分と比較することしか出来ない。
同じ境遇を生きてきた人でも個人によって感情が異なるので、同じイベントも別々に映ることもある。
自分は幸せだ、自分は不幸だ、と嘆く人間がいる。
良いことがあったら確かに幸せかもしれない。
嫌なことがあったら確かに不幸かもしれない。
しかし、その時の基準として、他人と比較してどうこうと言うことはあまりよろしくないと思う。
「自分は不幸だが、あいつに比べればまだマシだ」というような表現を聞くことがあるが、他人の人生がわからないのだからそういった表現は不適切だと思う。
むしろ、そうやって他人と比較することは相手にとって失礼だと思う。
「私に比べればまだマシだろう」といった表現もどうかと思う。
励ます意味で使うことがあるようだが、一見たいしたことなさそうでも実は思った以上にダメージを受けていることもある。

 思った以上にダメージを受けている。
自分の感情を隠す人間にとって、どんなに辛い事があってもそれを表面に出さないのは一種の美学のようなものになっている節があると思う。
周囲に出せない状況の人間もいるが、その場合も前述の場合か、もしくは考え方の違いかだと思う。
なんでも自分だけで背負い込んでしまおうとする人がいる。
いや、自分だけで背負ってしまうといったほうが正しいか。
どうしても他人に相談できなくて、あるいは自分でやったほうが早いと思って他人には何も言わないで自分ひとりで苦労している。
時々こちらが心配して手を差し伸べても余計なお世話だと跳ね返す。
そして時々不満をぶちまける。
ある意味迷惑な話だ。
こちらは何も言われていないのにいきなりそんなことを言われても困る。
救済を跳ねたならなおさらだ。
本人としてはそこのところを察して欲しいのだろうが、ずいぶん前に書いたように、他人の感情は完全にわかることなど出来るわけもなく、また、得意な人も不得意な人もいる。
私の場合は不得意。
こんなときはどう対応すればいいんだろうねぇ…。
幸い私はまだこういった経験はないからいいが、世の中では常にこのような境遇にさらされている人がいる。
自分の美学人生に他人を巻き込んじゃいかんぞよ。
我慢するのが美学なら最後までやり抜けい。
不器用ならば少しずつ頑張って直そうとしよう。
自分から何もしなければ一生そのままだ。
まあそれでいいならば知らないけどね。
他人の人生崩すのはやめよう。

 自分の人生なんてものはいつ崩壊するかわからない。
それこそいきなり借金の肩代わりをさせられて追われるようになるかもしれない。
飛び降り自殺しようとした人間が空から降ってきて巻き添えを食らうかもしれない。
人間は他人の人生に常に影響を与えている。
友人が最も身近なものだ。
いいことも悪いことも影響を受ける。
しかし、人間の人生はそうやって常に更新されている。
何の影響も受けない人間がいたら、その人は人間として生きていけないだろう。
影響を受けるということは、適応能力を磨くことでもあるわけだから。
何事も適応が大事。
ま、正直私は嫌いだけどね。

 自分の人生は自分だけのもの。
しかし、絶えず周囲に影響を与えつつ、自分も影響されている。
実際は自分の人生でも他人の人生に干渉することは多々ある。
人間の人生は常に満員電車のようなもの。
ゆれれば周囲から押され、また、自分が揺れれば他人も押してしまう。

 P・S あくまで私の主観的な考えですから!

~本日の名言~
苦さの味を知らぬ者は、甘さの味も分からない。(ドイツの諺)

新学期&新楽器

2006年04月05日 20時48分00秒 | 人間関係について
 今日はワンゲル&室管の初ミーティングがあった。
正確にはもう一つのサークルのミーティングもあったんだが、ワンゲルと被ったので休ませてもらった。
まあどちらもいつもと同じように過ごした。
室管は若干盛り上がったかな。
しかしまあどちらのサークルでもギャップが激しい。
私はサークルごとに顔を使い分けている。
賛否両論あるだろう。
まあ反対されてもしょうがないとは思っているが。
大体両方のサークルの顔を足して2で割ったくらいが本当の顔かなぁ…。
顔を使い分ける人にも数種類ある。
自分のために使い分ける人、人のためだと信じて使い分ける人、結果的に使い分ける事になってしまった人…。
私がどれに当てはまるかはここでは言わない事にする。
というかサークルごとに理由が異なる。
しかし、最近はなんだかサークル内での顔がマンネリ化してきている気がする。
だから今日は少し引き締めていった。
どちらのサークルでもいつもよりも激しく役を作ってみる事にした。
まあ室管ではなんだか本当の自分に近くなってしまった気がするが…。
無理をしすぎると一回転して元に戻ってしまうということかな。
ということでサークルがあった日は滅法疲れる。
自分でやってて疲れるんだからしょうがないけどね。
いい疲れのときもあるし、悪い疲れのときもある。
そして毎回寝るときに自問自答する。
今日はうまく出来たか。
大抵答えはノー。
やはり何かを演じるのは私には向かない。
ゲームの中でわざと伽羅を殺すのが忍びないくらい小心者ですから。
それに決して好かれ役を演じているわけでもないので、周囲からの反感なんかも買いまくり。
それでも何かをやろうとしている自分は何なんだろうねぇ…。

 最近は私の周囲の人間も色々人間関係で悩んでいるようだ。
やはりそういう年代なんだろうか。
しかし、やはりそんなときに相談相手になれる友達がいるのは心強い。
できることなら自分がその役をやりたい。
正直聞き上手ではないけど。
でも、自分以外でそういったことで苦しんでる人間は放っておきたくない。
しかし、そういった悩みを打ち明けられるのは信用できる友達だけ。
自分はそれと正反対の役を演じている。
さあどうしよう。

~本日の名言~
無知を恐れてはいけない。それよりも偽りの知識を恐れよ。(ブレーズ・パスカル)

キリキリ

2006年02月23日 19時02分37秒 | 人間関係について
 サークルの部長が決まらない。みんなやる気がない(含む私)。全員が満足する結果は得られないことは明白。さて、どうしたものか…。
そんなんで昨夜も遅く深夜過ぎまで会議をしていたが全然決まらない。完全に膠着状態。誰かがやるというまで変化はないだろう。現在他の二人がサシで会議中。もうすぐ私も呼ばれるだろう。しかし何でこんなに揉めないといかんのだろうねぇ…。一年生はやる気満々だからかえって申し訳ない。おそらく誰がなっても今年はあまり期待できそうにない。全員忙しく、サークルに専念できる人間はいない。しかし代表は出さないといけない。
私は今回のことはサークル崩壊の第一歩と思っている。個人が自分の主張に走り出したらもうまとまりはなくなっていくのみ。時期的にも一番忙しくなるのでしょうがないといえばしょうがない。まあどこのサークルにもありそうな問題だが、人数が少なく、みんな頑固なうちのサークルにとっては、一歩間違えば大爆発の恐れがある。何とか丸く収めたいのだが、かといって私がやるわけにはいかない。参加回数がおそらく最少になるであろう人間が部長などやっていては示しがつかないし、他の部員に申し訳ない。というわけで私としては副部長をやって裏方的な仕事をしたいと思っている。もともと私はそういった仕事のほうが向いている。
どこでも発生するような問題だが、実際当事者になるとなかなか難しいものだ。しばらくは頭痛が続きそうな予感…。

~本日の名言~
まず何から教えるかなど問題ではない。ズボンのどっちから脚を入れたっていいではないか。(ジェイムズ・ボズウェル)

最近の周辺状況

2006年01月30日 20時00分14秒 | 人間関係について
 毎日ブログを更新するのは大変なことですねぇ。ネタがなくなってしまいますわ。皆さんよく毎日更新できるものですな。感心感心!私なんかは毎日ネタ探しで四苦八苦してますよ。それでも毎日更新できているのはくだらないネタでごまかしているからなんですが、どうもやり始めたら毎日続けたい性分なんですよ。どんなことでも毎日続ける日々の努力か大事やねん!ってくだらないこと書くくらいなら少し日にち置いてまともなこと書けや!と言うご指摘ご最もですが…。飽きっぽくて面倒くさがり屋の私がこれだけ毎日続けていることなんてほかにないからよしとしよう(←自慢にもなりゃしない…)

 んで今日は前書きにも見られるような私のキャラクター性においての周囲の反応を分析してみる事に。とりあえず私は間違いなくボケキャラ。んで周囲が突っ込むわけだが…。最近の状況を分析すると…。ブ~~ン…分析完了。結果。放置プレイ!ああ、なんと悲しいことだ…(泣)。ボケたら突っ込むが基本である私にとって放置プレイほど痛々しいことはない。そんなに私のギャグのセンスはひどいのか?という問いに友人たちはそろって0.1秒でうなずく。ノオオオォォォォ~~~~~!!!私はそこまで落ちたのか!修行しなおしてこなければいかんな。とにかくみんな冷たい。だからたまに反応してくれる人がいると無性にうれしく感じてしまう私はもはや末期症状か?
最近は後輩にまで見放されている気がするのは気のせいだろうか…?ああ、気のせいに違いない!!いや、気のせいだ!うむ、彼らなら私の高尚なギャグの真髄をわかってくれているはずだ。さすが、天才科学者!デビル王国で鍛えられているだけあるな。
さてさて、まあそんなんでみんなに見捨てられて、もはやその道から外れてしまったわけですが、万人に受けるギャグというのは難しいものだ。お笑い番組なんかに出ている人はそこんところは素直にすごいと思う。最もそういった番組自体はあまり好きではないのだが。その手の人はそれで食っているわけだから当然といえば当然だ。センスもあるだろうが、やはり毎日の努力の賜物だろう。専門家というのは絶えず努力しているものだ。そうでないとやっていけない。専門家に限らず他の人たちも日々の努力の上に生活をしている。生きるということ自体が生ということに対して食べる、寝るなどの努力をしているわけだ。まあ本能として片付けてしまっているから普段は努力などとは感じないだろうが。究極的には生物は絶えず死なないために努力をしていると言えるだろう。ん~すんばらすぃ!努力が苦手な私も知らないうちに努力していたんだな!などと浮かれていてはいかん。当たり前のことなんだから。もっと他のところで努力しなさい。
では普段我々が「努力」と言っているものはというと、自分がやりたいこと、またはやらなければならない社会的、経済的な事柄についてのことだ。今更こんなことは周知のことだから言うまでもないが、本能的にやっていない事について、それを実現すべく頑張ることが努力。
こんなことは小学生の授業内容か。単に努力と言う言葉をかっこつけて解釈しただけで内容は小学レベルだ。こうして今日も無駄なことばかり書いているんだなぁ…。こんなことだからセンスがないといわれるのか。まあ事実として認めるけどさ…うじうじ。どうも文章を書いてるとあらぬ方向に進んでしまう癖があるんだよなぁ…。良くもあり悪くもある。ぬぬぅ、まだ努力が足りないようだ。そんな私にぴったりの本日の名言。

~本日の名言~
現実が夢を砕けるのなら、夢が現実を砕くことがあってもいいと思わないかい?(ジョージ・ムア)

回想

2005年12月17日 21時46分52秒 | 人間関係について
 今週末はなぜか忙しい。さすがにこの季節はヒマヒマ星人の私でも予定が詰まってきます。
今は息抜き代わりにこの記事を書いてます。

 さて、ふと思い出したので、今日は私の中学時代のことを少し書きます。
私の父は転勤族で、その関係で中学三年間は福岡でした。久留米市立諏訪中学校です(実名出しちゃまずいか?)。ちなみに小学校は千葉(常盤平第三小学校)と大阪(新田南小学校)、高校は名古屋(名古屋西高校)です。
私ははじめ剣道部に入っていました。昔少しやっていたからという理由で入ったのですが、長続きはしませんでした。一年間やった後、今度は陸上部に入りました。
小学生のときから毎日友達と走り回っていたので、馴染みやすいかなと思ったからです。案の定今度はジャストでした。というかいい人ばかりだったからかもしれません(剣道部もいい人は多かったが私の根性が足りなかったようです)。
今思えば毎日部活が楽しみだったのは幸せなことでした。まあ正確には友達に会うのが楽しみだったわけですが。

 んでそこでついた私のあだ名が「原始人」とか「爬虫類」(爆)。なんかなぁ…。いまさらながら昔っから私はコスいキャラだったんだなぁ。というか半差別用語じゃん!まあ慣れてしまえば気にしなくなりましたけど。
ったく始めに言い出したのはどいつだ!?はっきり覚えていないが、親友のK君あたりが連呼してたような気がする。というか他のやつはあまり言わなかったぞ!
おめーのせいで後輩に「原始先輩」と呼ばれるハメになったもんな…。乗り気だった私も私だが。
ちなみに水泳部の特定人物からは「インドネシア人」とも呼ばれていました。私って一体何なんですかね!?まあその人のことは「チャイナ」と呼んだりもしましたが。これでおあいこ…なのかなぁ…。
そーいやー私たちが別の水泳部員のことを「ビーム」とか「バスター」とか呼んでたこともあったっけ(笑)。

 珍話は書き出せばきりがないです。部長やってたY君が準備運動の伸脚中になぜか滑って転んで頭打って病院に行ったり、サッカー部の先輩と部室で人生講習会開いたり、K君と同時に別々の人に告白して両者ノックダウンしたり…。楽しい日々でした。
しかしながら中学時代の友達でいまだに連絡取れるのがごくわずかしかいないのはさびしい限りです。しかも滅多に連絡とらないし。やはり自分が信じていても連絡回数が減ると不安になるものです。
もともとめんどくさがりの連中が多かったというのもありますがね…。
もしかしたらこのブログを読んでくれてるかもしれません。知らないところでも何らかのつながりがあればそれで友情は保たれます。なんか一方的な気もしますがそれもありですよ。

 私の人生の中で一番影響を受けた人物はK君です。良くも悪くも彼の影響はでかいです。三年のときはクラスも一緒で、毎日くだらん話で盛り上がってたっけ。
オメーとのコンビはいろんな意味で合ってたな。性格は全く正反対、血液型も相性が悪いとされるO型とAB型、しかもお互い頑固な面があったし。まあだからこそお互い何かと惹かれる面があったのかも知れんな。
人生のうちでお互いに心から親友と認め合える人間なんざそうはいない。私は今でも親友だと思ってるぞー!!
K君以外の陸上部の友達もいいやつばかりでした。Y君、T君、O君…。Y君やT君は連絡が取れないが、みんな元気かー!?オメーらに会えて本当によかったぜコノヤロー!今後もよろしく頼むぜー!!

 とまあこんな波乱万丈(?)な中学生をやってました。九州は本当にいいところでした。唯一の心残りは受験で卒業式に出られなかったこと…。

~本日の名言~
相互信頼と相互扶助にて偉大なる行為はなされ、偉大なる発見がなされる。(ホメロス)