ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

テサロニケの信徒への手紙一2章1~12節(7月26日)

2020年07月26日 | 説教要旨

「幼子のようになった」

6節の「幼子のようになった」という言葉を説教題にしましたが、このところには、「母親がその子供を大事に育てるように(7節)」「父親がその子供に対するように(11節)」ともあります。母親と父親が子供に対してとるような「幼子のように」ということです。つまりそれは、親が子供に対して取る本能のようなものという意味であろうと思います。そこには独特の「やさしさ」というものがあるのでしょう。

親は子供にうそはつけません。つまり「うその無い純粋な」というような意味なのだろうと思います。イエス・キリストに対する信仰を持った者たちは、その十字架のゆえに、おのずと母親父親が子供に対して持つようなやさしさを持っていくということなのだと思います。そういう思いでパウロは福音宣教をしています。

「以前フィリピで苦しめられ、はずかしめられたけれど」「私たちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくのではなく、またごまかしによるものでもありません」。こういったところに「うその無い純粋な」ものを見て取ることができるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コヘレト書(伝道の書)を読... | トップ | クリスチャントゥデイ異端・カ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

説教要旨」カテゴリの最新記事