最初に断っておかねばならないが、ワタシはウルトラファンではあるが、
ウルトラなら何でも受け入れられる、いわゆる 「信者」 ではない。
本作の主人公、ゼロについても、体色は今でも赤一色の方がいいと思っているし、
あの目つきも SEVEN X のマッチョボディには似合っているが、
若いゼロにはマックスタイプの方が良かったと思っている。
同様に、好きなクリエイターだからといって、その作品が全て好きかと問われれば、
その答えは 「NO」 だ。
例えるならば、好きの程度は野球の打率みたいなもので、凡打があってもいいから、
ワタシの心の琴線に触れるヒットが一定以上の割合で放たれることが重要で、
その打率が極めて高いクリエイターだけが、私的特撮殿堂入りを果たすことになる。
本作のアベ・ユーイチ監督は、
ウルトラマンメビウスの 「時の海鳴り」 と 「オーシャンのイサナ」 で早々に殿堂入りを果たし、
その後、ウルトラマンネクサスの最終回担当であることを知るに至って、
ツルギ、ヒカリ、ダークメフィストのデザイナーである 丸山 浩氏と双璧を成す、
神レヴェルクリエーター として、殿堂内で燦然と輝く存在である。
そんなわけで、キャラデザインには疑問を覚えつつも、
映画自体には相当に期待せざるを得なかった。
結果からいえば、先の円谷ジャングル再訪レポートでの壊れ方で明らかなように、
大感激、大興奮、大涙腺決壊そして大散財
という華々しい成果を上げることとなった。
それゆえに今更何を語ることがあろうか・・・というのが正直なところなのだが、
上映が終了するこの時期に、改めてあの日ワタシの身にに起こった、
嵐のようなウルトラの奇跡について語ってみるのもよかろうと思った次第だ。
奇跡の予兆は映画に先行する形で発売された、
「ウルトラ銀河伝説外伝・ウルトラマンゼロ VS ダークロプスゼロ」 ですでに明らかだった。
前作の 「ゴーストリバース」 唯一の問題点ともいえる地面との接地感が、
従来手法のセット使用によって払拭されている時点で、
巨人の どっすう~~~~~ん感 が大好きなワタシが狂喜すること必至。
冒頭のゼロ等身大→巨大化カットで、
おか監督の、「さあ始めちゃいますよ~やっちゃいますよ~」
という意気込みを見た気がした。
そして上に貼った映画本編の冒頭で、予兆が確信へと変わる。
ロケきた~~~~地面きた~~~~そしてワタシの大好物、
実写合成きた~~~~~ となれば、これで期待するなという方が無理っちゅうもんだ!
これは何が何でも、是が非でも観なければならない映画だ。間違いない。
内容については、他に詳しく解説しておられる方々がおられるだろうし、
好きなものについて感じたままにたわごとを吐いてこその個人ブログというもの。
以下、当日の帰りの電車中でつらつらと書きなぐったメモを清書、転載する。
・泣けるのでマスカラ厳禁。なるべくすっぴん推奨。
・ゼロがランの体を取り込む時の絵が、まんまツルギとセリザワと同じじゃないか!
これはツルギ偏愛者であるワタシへのサービスか!
・遺跡のノア像はスルーで、終盤登場のノアに狂喜するお子様。
やっぱノアはピカピカのツヤツヤがデフォらしい。
・色々と噂になってたミラーナイトさん、噂以上のインパクトでドヒャー。(つ∀`)
・ラン→ゼロの変身シーンで、ちょっとSEVEN X を思い出す。
実はあの「ブレードランナー」風世界観も大好物である。
・各キャラのセリフで一番ワタシ的にウケだのは、ジャンボットの 「話は最後まで聞け!」
主人以外には敵意むき出しの忠犬ぶりが微笑ましい。
一方、正調忠臣キャラかと思われたミラーナイトさんの、「やられた分はやりかえすよ」 的な
「鏡を作るのは得意なんだ。知らなかったかい?」 が痛快極まりない!
実は怒らせると一番怖いのがこのタイプだったりする。
・ネタバレしてても、やはりノアだけはガチ!受け継がれるもの~絆~ネクサス!
・遺跡で見つけたバラージの盾が砕けるのは、
再び人々の想いを集めるために宇宙へと散っていったということか。
つまりランが持っていたかけらは再起動スイッチみたいなものなのか。
・ノアが巡った宇宙には盾が残されているに違いない。きっとこの宇宙にも。
そう信じることは信仰に近いかもしれないが、盲信とは違うものだ。
かつて守られ、生かされた者が、次の世代を守り、
生かしたいと願う心が新たな盾になる。
それは生きてきたんじゃない、生かされて、守られてきたと気がついたかつての子供が、
親の視点に立つことに他ならない。
・守られたいという願いが、守りたいという願いに変わる時、
人はウルトラマン(の一部)になることが出来る。
トンデモ空想科学に基づいた荒唐無稽なヒーロー物という形式を使いながら、
実はテーマは終始全くブレてはいない。
・・・等々
王道死ぬ死ぬ詐欺展開といってしまえばそれまでなのだが、
とにかく娯楽要素、感動要素でんこもりであった。
普通ならそこでお腹一杯になって、「良かった良かったはいおしまい」 となるんだが、
この映画はもう一度、いやもう二度三度見たいと思わせるだけでなく、
「これが全てではない」 と思わせるものがあった。
明らかにカットされたとわかる部分があるのと、
今後の展開を示唆する終わり方だったからそう感じたのだが、
監督のツイートを見ると、実は頭の中には映画3本分くらいの筋書きが出来上がっていて、
そのハイライト部分を詰め込めるだけ詰め込んだのではないかと思えてきた。
それに個人的には、「時の海鳴り」 の野原一面の紙飛行機のような、
時間の経過とマリナの悲しみの深さを同時に叙述した、
アベ監督ならではの印象的なカットを見たかったというのもあって、
こうなると是が非でもディレクターズカットに期待せずにはいられない。
ワタシは制作現場の諸般の事情には全く関心が無く、
出来上がった物だけで判断する性質なのだが、
今回ばかりはそうも言っていられなくなった。
こんな気分は先にも触れた 「ブレードランナー」 以来だ。
アベ監督による宇宙叙事詩の完全映像化が如何なるものなのか、興味深々なのである。
まあうだうだ書き連ねた感想文よりも、
デザインがイマイチ気に入らなかったハズのゼロのACTを衝動買いしてるという事実が、
何よりも雄弁にワタシの心情を物語っているわけで・・・・(^^:)