去年胃ガンで余命半年を宣告された中澤が逝った。18日の通夜でお別れをする。長い間の友人だった。私もそのうち死ぬのであるがそれまでは生きよう。死ぬときはできるだけ苦しまないように死にたいが果たしてどうなるのかわからない。つい最近では26歳の女性が元交際相手に殺されたようであるがこの場合の死はどのように考えるか。自動車事故で突然死ぬことがあるがそれはどうか。すべてにおいてそれなりの危険性があるということだ。今生きているのは危険を回避し続けて生きているように思える。そんな中でタバコは止めていないし自動車は走らせている。危険は実際ある。しかしそれを承知で行動しているので死んでもしかたない。友人が先に逝ってしまったが悲しみは無い。それまでのいろいろな事は事実であり実際楽しかった。私にとってはかけがえのない友人であったことを思い出として死ぬまで忘れることがないのであろう。でも何かがなければ普段の生活の中には出てこないと思う。あまりに現実しすぎて絶対歌詞にはならないな。まあ、私のことはよくわかっていると思うので中澤も承知してくれていると思う。
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