昨日の10時半過ぎ、左腕のネームタグをハサミで切ってもらい、世話になったナースたちに挨拶して階下へ下り、会計して外へ出た。
病院を出て地下鉄に乗り、上野御徒町で下車し京成上野駅へ続く地下通路を歩いただけで息が上がり、脹ら脛がワナワナと震える。
かあちゃんに気遣われながらも、時折りしみじみと見られ、
「ほんと痩せちゃったねぇ」
「別人みたい」
と繰り返される言葉はその二言。
京成線で最寄駅を下車、自宅まで歩く道すがら、汗がタラタラ流れ何度もため息をつく、足取りは不安定だ。
しばらく留守にしている間に更地だった猫の額に家が建ち、昭和の時代からあった古家は時代の中に消え去っていた。
せいぜい7、8分歩いただけで疲れが重くのしかかり、娑婆の道は病院の回廊とは全然違うと思い知る。
5.6、7月と、中8日間自宅で過ごしただけで通算40日間病院暮らしして、そのうちの2/3は絶食していたのだから、筋肉と体力が落ちまくるのは無理もない。
自宅に「たどり着く」という表現そのままに、ドアを開けて玄関に入った途端ヘナヘナと座り込んでしまった。
軽く目眩を感じながら流れる汗を拭い、それでも荷解きをして溜まってる郵便物や留守中届いた荷物にざっと目を通した。
とにもかくにもシャワー浴びて体重計にのれば、48.1㎏‼️
昼食に月見蕎麦をすすったおかげで、なんとか47㎏に落ちるのはまぬがれたけれど、その筋肉がすっかりなくなった足や尻や胸を見て、かあちゃんの方がため息をついた。
自分でも鏡に映った己の体を風呂場でしみじみと見てため息をつきまくったところではあったが、あらためてかあちゃんと顔を見合わせて😮💨
かつてのMAX84㎏からじつに36㎏減↘️
もはや骸骨人☠️
グレードクロマン参上‼️( 弱そう😑)
まあそんな状態だから、何をするわけでもなく眠りについたのだ。
本日朝5時起床。
朝まで一度も起きることなく、7時間ぶっ通しで眠ることができた。
退院の前日の夜の睡眠データを見ると、浅い眠りと深い眠りが繰り返されてまるで櫛のような形になっていた。
きっと退院のことを考えて興奮していたのだろう、まったく寝足りない感じで退院の朝を迎えたのだった。
病院ではまったく出来なかったことが、自分のベッドに寝ることで安心して、芯から体が疲れていたのに心が穏やかになったせいか、ぐっすり眠れて疲れが取れたのだ。
久々の爽やかモーニングをグタグタベッドで過ごすのはもったいないと、起き出して机の上の溜まった郵便物や荷物を仕分けした。
早々に記入、押印して返送しなきゃならない書類から片付けることにして、病院で書いてもらった診断書をコピーして3件の申請書類に添付した。
記入した書類は、
「国民健康保険 限度額適用・標準負担額減認定証の更新」
「難病医療費助成申請書の更新」
「入院保険金 申請書」3件
「生命保険 満期保険金 請求書」
の6通。
これだけで1時間半ほど時間をとられ、次にメルカリで入手した「吉田拓郎」のライブDVD4本の梱包をほどき、メルカリで売れた商品を3つ荷造りした。
すると小僧とかあちゃんが起きてきた気配を感じ、まともなメシを食わせろと腹の虫がグーッと鳴いた。
朝食メニューはすでに考えていたので、すぐに調理に取りかかる。
冷蔵庫に豆乳があったのでそれを温め、コンソメの素を入れ玉ねぎとコーンを入れてスープをつくるのだ。
その前に、前回の退院後に思いついて、調理のたびに取っておいた玉ねぎや大根、ニンジン、ネギ、キャベツなどの野菜クズをジップロックに入れて冷凍しておいたものを、前夜から水につけておいた昆布や乾燥椎茸の鍋に入れて火をつける。
これを3、4時間かけて煮出し、半分はスープストックにし、半分は夜の鍋用に使おうと考えていた。
温めた豆乳スープにトースト、ヨーグルトが退院後初の朝食。
満足👍
病院の食事( まあほとんど粥か流動食、激マズエレンタールだったが )は食事というよりも栄養補給という治療だったので、一度も箸は使わなかったし、ただ患者の仕事として食べていたから満足感なんて一度も感じなかった。
だから脂質を控えた些細なトースト1枚でも、ほんとうに久しぶりの美味しさと満足感に涙が出そうだった。
食事を作るということはこのオヤジにとって安らぎだし、社会復帰の道なのだ。
明日はどんな工夫をして美味しいを体感しようか。
焦らずゆっくりと、動ける体になるように食べるのだ。
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