お好み夜話-Ver2

日本遠足起源

時は安政二年(1855年)ペリーが黒船を率いて来航してからというもの、世上は不安に揺れていた。

そんな激動の時代が幕開けする時、安中藩主「板倉勝明」公は、藩士の心身鍛錬を目的として50歳以下の藩士98名を数隊に分け、5月中旬より6月初旬にかけ安中城内より碓氷峠の熊野権現まで、7里余りの中山道を走らる競技を開催した。

これを伝える古文書が「安中御城内御諸士御遠足」と云い、「遠足」と書いて「とおあし」と読む、日本におけるマラソンの起源として安中市は市を上げて盛り上げているのである。

それが今度の日曜日に参加する「安政遠足侍マラソン」だ。

そんな大会なので、参加者の多くが侍や時代物の格好をして走る。

その仮装大会状態を見ようと、沿道にはたくさんの応援の人たちが集まるのだそうな。

昨年の大会の様子がこちらのブログに詳しい ↓
         「安政遠足侍マラソンに参加しました」
詳細な記録で、とても参考になりました。

ありがとうございます。


さて今回チームモグランポからは8名が出場、碓氷峠頂上の熊野神社までの約30kmの峠コースには師匠(赤鬼)「ハマちゃん」(サル・強制参加)、オヤジ(青鬼・悪そう)の3名。

約20kmの関所コースのには「むっちゃん」(桃太郎)と彼女の職場の後輩(犬とキジ)、「ホリちゃん」(赤鬼)かあちゃん(鬼ヨメ)の5名。

iPodとモバイルスピーカーで童謡「桃太郎」をエンドレスで流しながら、パフォーマンスを繰り広げながら走り、関所の手前で峠組は別れて山道を往く。

スタートとゴールの標高差が1000m以上もあるタフなコースに、もし挫折したら自力で下山もしくはオフロードバイクに乗っけてもらってかっこ悪くリタイア

トレイル未経験のサルがへばるか、足の負傷が完全には癒えていない青鬼がやられるか、赤鬼軍にハッパをかけられ最後まで登ることができるかの勝負。


天気予報では雨がなくても、碓氷峠は予断を許さない。

ゴール地点は標高1200メートル、下界は晴れでも登るに連れ天候は激変するかもしれない。

少しの雨でも、道がぬかるんでいたら最悪だ。

晴れ男復活が試される格好の環境、打倒赤鬼・雨男


終わってから1泊し、どうせ飲むのだからと1本仕入れてきた。

その名も「晴々」

ここまでお天気祈願したからには、意地でも酷い天気にだけはさせまい


ま、そんなことで、12日、13日と店はお休みさせて頂きます。

現地レポートはこまめにしたいと思っていますので、乞うご期待。

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