プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 篠田桃紅「墨いろ」

2022年06月21日 | ◇読んだ本の感想。
この人は墨象家。墨象というのは墨を使った抽象画らしい。
そもそもは書家だったようだから、そこから抽象の方へ来たと。

テレビで作品を見たんですよね。
息をのんだ。
正直なところ、たくさん並べてしまうとどれも似たように見えてしまって
価値が半減してしまう気はするのだが、出会いに感謝する作品だ。
これはいつか実際に見てみたい。

どんな人なんだろう、他にどんな絵を描くんだろう、と思って調べてみたら、
エッセイにも手練れな人らしく、何冊もの著作がある。
描く人は描く人でいいじゃないかという偏見があるせいで、
あんまり画家に文章をたくさんは書いて欲しくないのだが
まったく読まずに悪い印象を持ったままなのも義理が悪いだろうと思って読んでみた。


この人の文章には真実がありますね。
真実にもいろいろあって、小さなものから大きなものまでいろいろ。
そんな大ごとな真実じゃなくても、真実がある文章は面白い。
この人の文章は真実のかたまりでした。

特に創作について書いた部分は面白かった。
創作をしている時の実況中継みたいなもので、何を考えながら創作をしているのか
その一端なりとも知ることが出来たと思う。
言語化力が高い。よく考えながら創作しているんだなと思う。


   兆し、というようなものも、いつも墨によって知らされる。


   塗る、というしぐさは、人にも任せられるし、共同作業もできるが、
   書く、ということは独りのものである。(中略)
   人が書くというしぐさには、祈りに似た孤独のかたちがあるように思う。
   墨は、そのための道具のように思われる。


   私も余程小さいものではないと坐っては書かない。全身の動きを、
   筆端にあつめたいとねがうからである。


なるほど。と思いつつ読んでいた。書いた(描いた)ことがないから余計。
文章的には句点が多すぎるかとも思うが……。それが口吻を思わせるのかな。
読みやすく、立ち止まって考えやすい。
難しいことは書いてないけど、書かれたことに思いを致す。

100歳を超えたあと著作がたくさん出たことは、
それは売り手側の都合であって、書き手側の責ではないとは思うのだが、
少々安っぽく感じてしまって残念だが……
なので全部の著作を読みはしないけれども、あと1冊くらいは読んでみようかな。
自伝があるそうなのでそれを。



(その後「私というひとり」を読んだけれど、こちらからエッセンスを抜き取ったのが
「墨いろ」のようだった。本としての完成度は「墨いろ」の方が高いが、
「私というひとり」はもう少し雑多で雑味があって面白い。)

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