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本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 若桑みどり「クアトロ・ラガッツィ」

2009年04月11日 | ◇読んだ本の感想。

(この記事は、それはそれは長い……。)


今はもう亡き、若桑みどりの力作。
この人は「フィレンツェ」(世界の都市の物語)が大好きだった。



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面白かった!
わたしはその土地へ行く時にガイドブック以外の関連本は基本的に持っていかないんだけど、
(全く関係のない、日本古典文学とか積読本のうちで英語の本とかを持つことが多い)
これはフィレンツェに行く時に持って行った記憶がある。
まあ現地では読まないんだけどね。その土地への護符みたいな感じでね。

この本で親しみを持っていたので、その後数年してNHKのルネサンスの特番で
ご本人が登場した時は「おお」と思った。
何だかとってもパキパキしたおばさんでした。学者先生だから、もう少し気取ってるかと
思ったが……鉄火な感じ。気が強く、おっちょこちょいな感じもした。
猪突猛進型。あぶなっかしいかな、と傍で見ていてハラハラするタイプ。


元々はルネサンス――マニエリスム美術が専門らしいのだが、
だんだん研究対象がシフトしていった。記号論へ行き、ジェンダー論へ行き、
遺筆は日本における聖母像についての研究、「聖母像の到来」。



聖母像の到来
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これもつい10日前に読んだ。
博士号取得論文として書いたものらしいので、内容が専門的になっており、
知識と興味に薄いわたしなんかには、味読出来たとまではいかないんだけどね。
でも硬いわりに面白く読めた。さすがにきっちり書いているよ。
彼女の死は急だったので、これもほとんど完成段階ではありつつ、
本としてまとめられたのは編集者の手によってらしいのだが、
この本が最後に残せたのは良かった。本人も喜んでいると思う。

彼女には、まだまだ書きたいことはあったはずなんだけれども。
今後は東洋と西洋の出会いをもっと色々な角度から書いて行きたかったはずだ。
享年71歳は、やはり惜しいと思わずにはいられない。



※※※※※※※※※※※※



さて、「クアトロ・ラガッツィ」。

クアトロはイタリア語で4であるのはまあわかるが、ラガッツィというのは何だ?
普通タイトルにつける外来語は、すでに日本語化している単語を選ぶような気がするが……
わたしは迂闊にも副題が「天正少年使節と世界帝国」とついているにも関わらず、
説明されるまでラガッツィの意味がわからなかった。
イタリア語で「少年」だそうです。


面白いんだ、これが。
これは基本的には研究として調べられ、また書かれたもので、
天正遣欧少年使節を中心に据え、その前後の歴史を日本の政治面、君主の志向、
キリスト教会会派内の葛藤にもちょこっと触れ、西洋の状況もさらっと写す相当な大作。
こんなテーマだと普通なら書き方に遊びがなくなりそうだが、
若桑さんは闊達に筆を走らせる。体温が感じられる。彼女の本はそこがいい。
(論文はちょっととりつけないほどガチガチだけど。)

巻末の参考文献一覧を差し引いても、読む部分が530ページ、しかも二段組みの本なので、
読みではあります……。重いので持ち歩くのにきつかった。
内容の細かい部分で触れたい所はいくらもあるんだけど、
(テーマについての話というよりは、ぽろっと出てくる若桑さん的プリンシプルの一言に
言及したい)でも、きりがないんです、それをすると。


あえて一つを挙げれば、史料の読み方に関連して、274ページに以下のことが書いてある。


   その文章を書いた人がどういう立場で書いたかを前提にして、常に批判的にそれを読み、
   書いてあることを鵜のみにしないということがわれわれにはいつも必要なことである。


そうなのだ。だからわたしはこの作品も出来るだけ批判的に読まなければ、と思っている。

というのは、書いてあることを読むと、どうしてもヴァリニャーノとかオルガンティーノを
善玉に、カブラルを悪玉にイメージしてしまう。
わたしはこの本でしか彼らの事を知らないので、危険だ。
そりゃ前者が、日本人の高い資質を認め、日本の状況に合わせた適応主義をもって伝道に
臨んだと書かれ、後者は日本人の能力を認めず、進んだヨーロッパの方法を導入することだけを
考えていた、と書かれれば、どうしたってカブラルに好意は抱けない。
またヴァリニャーノなんか、ずいぶん人間的魅力にあふれたように書いてあるんだもの。

――が、若桑さんは元々“イタリア書き”の人だ。
イタリアルネサンス美術が根っこの人だからね。
なので、一面においてはヴァリニャーノ、オルガンティーノがイタリア人であることが
彼女の(頭で考えたことではない)贔屓を引き起こしているのではないか、という可能性もある。
彼女は、ルネサンス的教養、人文主義を身につけたヴァリニャーノと、
元は(侵略的)ポルトガルの軍人だったカブラルを対比させているが、
……なんというか、善と悪という言い方はふさわしくないけれども(言うなれば「賢と愚」か)、
二者が対照された場合、一つだけのソースを信じるのは危ない。

ただね。ヴァリニャーノが日本について書いたことの方が圧倒的に気持ちいいわけで……
若桑さんも文章中で言っているが、自国が褒められている文章は、たとえ何百年前のもので
あっても気分がいい。
ヴァリニャーノは日本をかなりべたぼめ。こういう人の言うことの方が正しいと思いたい
じゃないですか。だからますます気をつけなきゃ、と思うよ。


内容で、わりあいに目から鱗だったのが、宣教師が書いていたという
「日本は貧しい」「非常に好戦的で残酷。裏切りが日常的」の部分。
日本は貧しい国だし、国土も狭く、人も少ないから植民地化するのは徒労だって。
たとえ攻めて来ても日本人は好戦的で強いから負けるって。本心を隠し、主君に忠義はないって。

……あー。なんか。そうか。
貧しいと言われれば。そうか。わたしの中では「西洋から見れば貧しいと思われがちだけれども、
それは日本人の心性として侘び寂びを好むからであって、単に貧しいのとは違う」
という補正がかかっていた。
――金もたっぷりとれたはずだし。
――平安京の最盛期の人口は、同時代の世界の都市のベスト何とかに入るはずだし。
――時代がさがって江戸の人口も世界最大級。

が、やっぱり貧しい国だったんのだ。
もちろん時代によって人口や経済状況は変動するが、土地、人口、資源という意味では
やはり絶対的に少ない。絶対量は大事だ。海のはるか遠く、スペインやポルトガル本国から来て、
植民地化する意味があるほど豊かではない。

わたしは、彼らによるアステカやインカに対する侵略がとても印象に強いので、
もしかしたら侵略される可能性があった時期もあるのではないかと漠然と思っていたが、
合理的に考えれば、効率からしてほぼ有り得ないことなんだ。
まあ歴史が全て合理的に考えられ行動された結果ではないけれども。


それから、「日本人は好戦的」の部分だが。
日本人は自分たちを好戦的だとは全く考えていないだろう。
つい先日も、知人が「みんな日本みたいに平和な国民だといいのにねえ」と言っていた。
だが、おそらく世界の国で自分たちを好戦的だと考えている国民なんかいない。
海外派兵している国だって、相手が悪いので仕方なく、と思っているんだろう。

好戦的と言われるのは心外だったが、よく考えてみるとやはり時代は戦国。
近隣の領地争いは日常茶飯事だったはずだ。否応なく戦いの情報は耳に入ってくる。
「日本では敗者は一族皆殺し」ということも特筆されている。うーん、ヨーロッパでは
生きるか死ぬかの状況はそれほど多くなかったのかな。その辺のことはわたしには
よくわからないが、傭兵がシステムとして成立していた以上、ある程度加減があったことは
確実なんだよね。

そういう所から来たヨーロッパ人が、日本史上(おそらく)最大の世情不安を抱えていた時代の
日本を見ると、なるほど、そういう風に見えるのかもしれない。
若桑さんのこの本によれば、この時代の宣教師の記録がヨーロッパでの日本観に
後世まで影響を与えているそうだから、……ちょっと微妙な気がする。

日本におけるキリスト教殉教は、ローマの迫害時代以来最大の規模だそうだ。
これもわたしには意外だった。あれだけ強硬に布教する宗教だから
(このイメージにはやはり中南米に対する侵略が大きく関わっている)
世界の他の場所でも、あちこちで大規模な殉教が行われているような先入観があったのだけど。
色々な要素が揃わないと、それほど大事にはならないんだね。
単に異なる宗教と宗教がぶつかるだけではなくて、その時の政治状況による。
日本はこの時代後、鎖国をしていくわけだから、最も強い拒絶をした国であるのかもしれない。


関連本を読もうかな、と思ったけど、
でもやっぱりキリシタンとかの話は痛ましくてあまり読みたくない。
殉教は殉教でいやだし、棄教は棄教で嫌だ。
遠藤周作の「沈黙」が教科書に部分的に載っていたが、
自分の心が選んだものを、暴力や権力で無理やり奪い取られるのは想像しただけで心が痛い。
単に奪われるだけじゃない、転んでしまった自分の弱さを目の前に突きつけられたまま……
自分の卑怯さを責めながら生きていかなきゃならないんだよ。
どれだけ辛いか。


しかし意外だったのは、4人のうち唯一棄教した千々石ミゲルは、
キリスト教の教義に疑問を抱いて、迫害以前に棄教した可能性があるそうだ。
(他に、教会内の出世が思うように出来なかったからという説もあり)
わたしはてっきり「転んだ」のだと思っていた。
当時としては(日本から見れば)世界の果てのローマまで行って、晴れがましい思いを
散々味わってもなお、自発的に宗教を捨てることがある。
でもわたしは、それだけの冷静な頭を彼が持っていたことが少し嬉しいよ。
体験は人を縛る。ローマ行きが彼自身の枷になって、心底で疑問を抱きつつ
信者でいなければならないのであれば、それは哀れな、不自由な生き方だから。






読んだのは単行本だが文庫が出ている。文庫は買いだ。そのうち買う。




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