プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ 矢島翠「ラ・ジャポネーズ キク・ヤマタの一生」

2020年06月11日 | ◇読んだ本の感想。
この矢島翠さんという人は前に「ヴェネツィア暮らし」という著作を読んだことがある。
これが好きだった。淡々と語っているけれども詩情も漂い、適度に文学的。
今回の「ラ・ジャポネーズ」も面白かった。


キク・ヤマタは第二次世界大戦前にフランス領事の娘として生まれ、
日本とフランスとの間で文章を書いていた女性。日本の女という意味。

日本ではwikiに項目がないくらいに知られていないけれども(わたしも初耳だった)、
実はフランス語のwikiには項目があります。フランス語ではKikou Yamata。
まあフランス語読めないけれども。

ある時期のフランスでは日本人のイメージとしてキクが最初に来るという
時代があったらしい。サロン文化の残り香がまだある頃。
フランスで育った彼女はフランス的な機知があった。

とりわけて上流階級というわけではなかったが、地道に人脈を広げていき、
小説やエッセイの出版にこぎつけている。この人はフランス語で書いた。
日本語フランス語の翻訳もしていたようだが、日本語の能力はフランス語に
比べて(特に書き言葉が)若干弱かったそうだ。

フランス社会に日本を紹介する役割を自ら進んで負った人。
しかし時代の流れで大変に難しい立場で書かなければならなかった人。
日本が戦争になだれ込んで、ドイツやイタリアと合わせてヨーロッパを
脅かす存在になり、むしろ意識的にはよりいっそう母国であっただろう
フランスから、日本に戻らなければいけなかった人。

戦時中の日本では3ヶ月間の拘留も経験した。
戦争後フランスに戻り、サロン的な文化とは真逆の実存主義全盛のフランス文壇で
なかなか書く場が見つけられず、苦労したらしい。
しかし若干の日本ブームの再燃もあり、レジオン・ドヌール勲章も受賞している。

晩年は困窮し、スイス人の画家だった夫を失ってからは痴ほう症のため
スイスの施設で死を迎えたとのこと。


この「狭間」の存在であるキクを矢島翠は同じ高さから見ている。
伝記・評論は後世の人が書いているわけだから、どうしても判断が入るものだが、
その部分は相当少なく感じる。

矢島翠は一時期記者をしていたこともあり、海外経験も豊富でキクとは近しいものを
感じていたのだと思う。だからといってべったりした書き方はしていないわけだが……
その冷静な書きぶりが好もしい。

キクのことも知ることが出来て良かった。


※※※※※※※※※※※※



ブログは今までけっこうストックがあり、下手すると書いてから載せるまで
長いと3ヶ月くらいかかることもあったのだが、
89ersも楽天も映画もエキシビも
なーんにもないとなるとさすがにネタが尽きますな。
ドラマも途中で中断したりしているしね。

ほぼ3日に1度ペースを守ってきたのだが、ストックがなくなった。
それでなくても近頃は書くことの中身がなくなってきている。
まあ仕方がない。ぼちぼちやろう。




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