プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ イザベラ・バード「日本奥地紀行」

2020年06月06日 | ◇読んだ本の感想。
この存在を知ったのはもうずいぶん前なのだが……
当時探してもこの本は日本では普通に手に入らなかったように思う。

近場の図書館の蔵書検索で見る限りは、2009年に関連本が、
2012年に東洋文庫(文庫という名前のくせにほぼ一般書じゃないヤツ……)で
本体が出たのが最初じゃないでしょうか。

本体がまず出るべきではないのかと思うのだが。
いずれにしろ本体が手軽に読めるようになったのはここ数年のことです。
読めてうれしい。
(と書いたが平凡社ライブラリー版は2000年に出てた。え?ほんと?)


思ってたより文学的ではなかった。
むしろ民俗学的観察に寄っているような。
もう少し一般的な紀行文だと思っていたが、学者の卵っぽい文章だったね。


イザベラ・バードはタダの旅行者というよりも冒険者だったんだね。
明治半ばのあの時代、イギリス人女性がたった一人で東北を縦断して北海道の
奥地に行って、アイヌと生活を共にして、って……
現代日本でいえば、50歳がらみの女性がアマゾンの奥地に探検にいくようなもの。当時としてはもっと冒険だったかも。

イザベラは北海道まで行く道もけっこうな辺境を通っている……
わたしはまさか奥州街道を進まないとは思わなかった。

横浜→粕壁(埼玉県春日部)→日光→北上して会津田島に至る→大内宿→
会津坂下→そこから車峠を越えて新潟県へ→新潟へ至る

日光から真北へ行って、新潟へ抜けるかねえ……
わざわざ求めて山奥へ山奥へと分け入っている。
新潟からはまあ街道といえるようなところを進んでいるように見えるが……
で、青森まで行く、と。

落馬をしたり大水の出た河を渡ったり、道なき道を進んだり、
思ってたよりはるかに冒険家。


この人は現地レポートを冷静に書くことを主眼にしているようだから、
文章はかなり淡々としたもの。
段落ごとに日本美点と欠点を交互に書いている感じで、
読んでいて肩透かしを食わされるというか、
褒められて上げられ、次の段落で貶されて下げられ、つまづきながら読む。

まあ公正な見方をしようとしているのはわかる。

通訳である伊藤についても、とても役に立つし聡明だが、
上前をはねるし、外国人のことがきらいで、アイヌにはひどい態度をとる。
と、褒めるにせよ貶すにせよ、あまり感情のこもらない冷静な口ぶり。
もう少し人間らしい交流があるのではないかと思ったが……
あるのだろうけど、そういうところは書かない。


でも何ヶ所かで「私が今まで見たなかで最も素晴らしい風景の一つ」と出て来て、
そういう時は日本旅行を楽しんだんだろうなあと思う。
この人も結果的には相当な範囲を駆け巡った人生のようですからね。

読み間違いじゃないかと思って何度も読み返したんだけれど、
1894年から1896年の間に日本を5回も訪れているそうだ。
へ?そんなに来てたら、むしろ定住した方がいいくらいじゃん!と思ったが、
中国や朝鮮、日本をぐるぐる回っていた3年間だったらしい。

その旅行資金はいったいどころから出ているのか知りたいところだが、
そういう下世話なことは書いていない。


まあ年譜を読んでいても呆れる。
一体何を考えてこんなに奥地探検をした人かと……

47歳で日本の奥地を探検した後、
48歳でマレー半島の5週間の旅、
49歳で結婚して55歳で夫病死(さすがにこの間に探検旅行はしてないようだ)、
58歳でチベット・インド、
59歳でテヘランから黒海へ至る10ヶ月の探検旅行。

60歳でスコットランド地理協会特別会員。
62歳でヴィクトリア女王に謁見し英国地理学会特別会員。

63歳から65歳まで、前述の日本・朝鮮・中国の三ヵ国間を周遊。
5か月間中国西部を旅する。
70歳にモロッコ旅行。
72歳死去。


当時の50歳間近ともなれば今よりもっと人生観的には終盤に近く、
イギリスの牧師の娘(とは保守的な価値感の人ではないかと一般的には思われる)
でありながら、そこから世界の半分を飛び回るとはね。

けっこう長い本だが面白かったです。
出版してくれて良かった。




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