これは「訴えかけている」本。
正直にいって、小説として読むには所々ひっかかりを感じる部分があった。
こういう人物設定で、こんな行動を取るかな?とか。翻訳小説って、そういう部分が
民族的なメンタリティの違いなのか、
翻訳が下手……もしくは翻訳不可能な何かのせいなのか、
原文が生硬なのか、
確定出来ないところがもどかしいですね。あ、もちろん個人的な感覚の違いもあるわけで。
「植民地時代のインドネシア」を書いている本として、興味深く読めた。訳もソフトだし。
最後の4分の1ははしょりすぎたきらいがあるけど、その分スピード感があって面白かった。
最後は「うーん、ここで終わるのか」という終わり方なのだが。
主人公は一人称で、プリブミと呼ばれる現地人、しかしオランダ的高等教育を受けた青年なので、
現地人対オランダ人の全面対決にはならない。西欧人と現地人の双方から周囲を眺めている。
100%現地人と、混血の差。彼らとオランダ人の身分差。社会的法律的不平等。
「現地人」で、しかも「女」だというのに、実に傑出した人物であるニャイ(=現地妻)。
その子で、女神のような美しさを持つ娘。彼女との恋愛。彼女の兄と父の存在、家庭内の深い断絶。
他にも、主人公の交友関係、家族関係、西欧人の知人、などなど、要素はいろいろあって、
内省的な主人公は、それを淡々と語っていく。
読んでいて考えることはそれなりに色々あったんだけど、全体的には要素が少々多すぎたか。
もう少し絞った方は、話に入り込めたかもしれない。が、実はこの淡々としたところは
嫌いではない。憎しみや主張をあまりに露わにされると、読んでいる方が辛いので。
しかし、考えることは出来るけれど、感じることはあまり出来なかった。
共感まで届かない、どうも他人ごととして見てしまう。
時代背景が時代背景だけに、そんな自分に少々後ろめたいものを感じさせられる。
ニャイの人物造型はなかなかに強烈で、彼女こそがこの本の核である存在だ。
逆に主人公は狂言回しに徹しすぎたか。彼の家族の描き方は中途半端だったかもしれない。
それほど大きな位置を占めないのだから、台詞なしで処理した方が良かったかも。
わたしはこれを、自伝に近いものだと思って読んでいた。が、どうもそうではないらしい。
自伝でなくてもいいのだが、こういうジャンルの話で、あちこちからエピソードをとってきて
構成するのはどうなのか、という疑問が湧く。一つ一つは事実に近いものでも、
全部を合計すると何か別のものに化けそうな気がしないではない。
それは政治・現代史がらみの創作物には必ずついて回ることなのだが、うーん。
何ともいえない。
ところで、1900年前後を舞台にしたこの話を、作者が獄中で1973年に口述した理由は何なのか。
この辺りも不思議だ。民族意識高揚という時期は過ぎているのではないかと思うのだが……
そういう理由のためなら、主人公の視点をもっとプリブミ寄りにもっていくだろうし。
それとも、ごく普通に「あの頃」を文字に残しておくためなんだろうか。
いかんな、わざわざ日本語に訳した人がいるからといって、小説に政治的な意義を
求めるべきではないのかもしれない。「あの頃はこんな世の中でした」という話だと考えるべきか。
ということは、「訴えかけている本」ではないわけだが。
どうなんだろう。
正直にいって、小説として読むには所々ひっかかりを感じる部分があった。
こういう人物設定で、こんな行動を取るかな?とか。翻訳小説って、そういう部分が
民族的なメンタリティの違いなのか、
翻訳が下手……もしくは翻訳不可能な何かのせいなのか、
原文が生硬なのか、
確定出来ないところがもどかしいですね。あ、もちろん個人的な感覚の違いもあるわけで。
「植民地時代のインドネシア」を書いている本として、興味深く読めた。訳もソフトだし。
最後の4分の1ははしょりすぎたきらいがあるけど、その分スピード感があって面白かった。
最後は「うーん、ここで終わるのか」という終わり方なのだが。
主人公は一人称で、プリブミと呼ばれる現地人、しかしオランダ的高等教育を受けた青年なので、
現地人対オランダ人の全面対決にはならない。西欧人と現地人の双方から周囲を眺めている。
100%現地人と、混血の差。彼らとオランダ人の身分差。社会的法律的不平等。
「現地人」で、しかも「女」だというのに、実に傑出した人物であるニャイ(=現地妻)。
その子で、女神のような美しさを持つ娘。彼女との恋愛。彼女の兄と父の存在、家庭内の深い断絶。
他にも、主人公の交友関係、家族関係、西欧人の知人、などなど、要素はいろいろあって、
内省的な主人公は、それを淡々と語っていく。
読んでいて考えることはそれなりに色々あったんだけど、全体的には要素が少々多すぎたか。
もう少し絞った方は、話に入り込めたかもしれない。が、実はこの淡々としたところは
嫌いではない。憎しみや主張をあまりに露わにされると、読んでいる方が辛いので。
しかし、考えることは出来るけれど、感じることはあまり出来なかった。
共感まで届かない、どうも他人ごととして見てしまう。
時代背景が時代背景だけに、そんな自分に少々後ろめたいものを感じさせられる。
ニャイの人物造型はなかなかに強烈で、彼女こそがこの本の核である存在だ。
逆に主人公は狂言回しに徹しすぎたか。彼の家族の描き方は中途半端だったかもしれない。
それほど大きな位置を占めないのだから、台詞なしで処理した方が良かったかも。
わたしはこれを、自伝に近いものだと思って読んでいた。が、どうもそうではないらしい。
自伝でなくてもいいのだが、こういうジャンルの話で、あちこちからエピソードをとってきて
構成するのはどうなのか、という疑問が湧く。一つ一つは事実に近いものでも、
全部を合計すると何か別のものに化けそうな気がしないではない。
それは政治・現代史がらみの創作物には必ずついて回ることなのだが、うーん。
何ともいえない。
ところで、1900年前後を舞台にしたこの話を、作者が獄中で1973年に口述した理由は何なのか。
この辺りも不思議だ。民族意識高揚という時期は過ぎているのではないかと思うのだが……
そういう理由のためなら、主人公の視点をもっとプリブミ寄りにもっていくだろうし。
それとも、ごく普通に「あの頃」を文字に残しておくためなんだろうか。
いかんな、わざわざ日本語に訳した人がいるからといって、小説に政治的な意義を
求めるべきではないのかもしれない。「あの頃はこんな世の中でした」という話だと考えるべきか。
ということは、「訴えかけている本」ではないわけだが。
どうなんだろう。
人間の大地 上 (1)
posted with amazlet on 06.04.09
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『人間の大地』の感想、もっともな部分もあります。
が…、これは4部作シリーズ(『人間の大地』『すべての民族の子』『足跡』『ガラスの家(未訳)』)の第1部にあたるものなので、この後ミンケはどんどんプリブミ街道を突き進んでいきますよ。お楽しみに。
執筆の背景を知るには、文末の解説か小説についてきた付属の解説を読まれることをお勧めします。読み応えは抜群です。
なるほど、だからあっさり風味なんですね。大きく見ると導入部なんだ。
解説は読んだのですが、わたしはそれで納得出来ませんでした。……本は図書館に返しちゃったけど(^_^;)。
図書館では、二ヶ所どちらにもそれ以降の本がないんですよね。取り寄せれば何とかなるんだけど、実はそこまでの執着がないというか……。
リストアップしている本がだいぶあるので、そっちを優先しちゃうなー。
でも、4部作の1だということがわかって、納得する部分がありました。教えてくださってどうもありがとう。