プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

< 日の名残り >(テレビ視聴)

2012年06月19日 | テレビで見た映画。
原作を読んだのがここ数年のことなので、ヒュー・グラントが若役で出てたことにびっくり。
映画が作られたのが1993年かあ。ヒュー・グラントにとっては
うーん、「フォー・ウェディング」以前なんですねえ。

終盤まではけっこう退屈して見ていた。見終わった時には、「まあ、これはこれでいいか」と
満足感もあったけど。
しかし、カズオ・イシグロが書いたのはこんな話では無かった気がするなあ。

「日の名残り」は、わたしが読み切れない小説だった。
彼の2作目として読んで、隔靴掻痒の感が否めずもどかしさが残る。
何かありそうでそれが掴めないので、大変表面的な部分を落とし所とした。
その後、イシグロの他の作品を読み、彼の作品は“虚構世界の危うさ”を構築するために
書かれているのではないかと思った。そう思うとその矛盾がタイヘンでなかなか大変である。

その上で振り返ってみると、本作も、単に英国現代史の一場面をなぞるとか、
ある執事の一生とか、失われた過去への哀惜とか、そういうことではないと思うんだよね。
だが、映画はそういうものとして作られている。

執事のキャラクターは、映画の中では、若干極端すぎるけれども話としては有り得る範囲。
しかし原作では、話の範囲を逸脱しているエキセントリックさ。
逸脱部分の幅はごくわずかだ。しかしこのわずかな逸脱が虚構世界を危うくする。
フィクションをフィクションたらしめる「物語」が歪む。
この微妙な歪みがイシグロなのではないかと思う。

そして、その歪みを含まないこの映画は、舞台設定は原作にかなり忠実に作られてはいるが――
(が、重要な変更点があるという。その指摘はこちらのサイトの記事で知った。
なるほど。これが確かなら、「そういうもの」からも相当離れると思う。)
でもカズオ・イシグロの作品の映画じゃないと思うんだな。

それは、うーん、例えば……適切な例えかどうか微妙だが、
絶世の美女を起用し、作り手も美女だと思って映画を撮ったが、実はそれは男性だった、というような。
その場合、美しさも演技もそのまま、登場人物として目に見える部分に何も違いはないけれど、
しかし受け手にとって、役者が女性か男性かは感想に影響を与えるファクターだと思う。

ま、わたしはカズオ・イシグロを必要以上にコワがっているかもしれないけどね。



※※※※※※※※※※※※



イシグロと離れたところでの、この映画の話。

恋愛を軸にして話を作ったのは仕方ないかなー。そうじゃないと盛り上がり処がない。
でもエマ・トンプソンがアンソニー・ホプキンスを好きになるかなー。
あの年齢差を乗り越えて。そして、職業人としては尊敬に値しても、
全く自分に優しくないオトコに惚れるかねー。わたしはヤだな。
まあ閉鎖状況の中では、人間、恋に陥りやすいものではあろうが。

なんといっても英国の風景と館ですね、この映画の旨味は。
隠し扉がいくつも出て来て、ほんとにあるんだ、こんなところが。と大変愉しい。
本棚タイプの隠し扉は重くないだろうか……。あと水色の壁の階段のところの扉は、
映画の中でもぶつかりそうになっているけど、実際危ないよね。
ほんと、ああいうところでロケが出来るのがイギリスの強みですよ。そのまんま使える。

……ただ、まあそのくらいかな。
そして、英国風景を堪能するんならもっと他にも映画があると思うし。
恋愛部分がそうでもなくて、失われた人生への哀惜部分があまりピンと来ないのなら、
――自分にとってそれほど面白い映画にはなり得ませんわな。
じっくり作っているけれども、その部分の努力賞といったところでしょうか。



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