書ききれなかった、その他の母親の言動を書きます。
1. 「結納式ってどういうことするの?」という私の問いに、「女性が男性にお金を払うのよ」と言った。
2. 母本人が一人ぼっちでいることを全く寂しいと感じない人なので、子供が一人でいても大丈夫と思っている。
3. 子供の第一自立年齢(3歳頃)を理解できず、いつまでも手を出してくる。
4. 保育園で友達の作り方が分からなくて戸惑っている私に対して、「この子と仲良くしたら?」と、どこからか子供を連れてくる。それで終わり。(そういうことじゃないし、私にだって選ぶ権利をください!)
5. 同じことをしても昨日までは怒らなかったのに、あるとき急に怒る。
6. 子供が困っていることに気づかない。また、子供が明らかに変なのに気づかない。 中2くらいのとき、私がどうしても学校を休みたくて、母親を呼び出して正面に正座して「今日、学校休みたいんだけど…」と言ったら、母は「何?今日おばさんみたいな顔してwwww」と笑った。私はてっきり事情を聴かれるかと思ったので、もう一度繰り返し休みたいと伝えてみたけど、母は、繰り返し「おばさんみたいwww」と言って笑っていた。そして結局理由は聞かれなかった。「はぁーそう。わかった~」と言った。
7. 自分の夫の正確な名前を知らなかった。また、離婚した夫が再婚した時になぜか養子に入ったと思っていた。
8. 母が「ときどき自転車が移動しているのは、絶対に斜め上の住人がやった嫌がらせだ」と真剣な顔で言い張るので、それを信じた私(24歳)は大家さんに言いに行って恥をかいたことがあります。思い込みが激しすぎます。
9. 「お母さんは昔は何になりたかったの?」と小学1年生の私が聞いたら、「そうね。尼さんになろうかなって思ったこともあったっけ…。」と訳アリ気な顔で言った。私は幼いながらも、母には暗い過去があるのかと感じてしまった。
10. なんでもかんでもお金で換算する。物を壊すなよと教える時も、子供に対し「これを自分で買える?買えないなら壊さないこと!」と言われてきた。また、学習関係も習い事も生活すべてがお金に換算された。あれは何円するのにもったいない!とかそんなかんじ。例えば、全額払って途中で辞めたりしたら『死刑』って雰囲気でした。
11. 本文の中に、私が倒れた時に母親が救急車を呼んでくれないシーンがありましたよね?その時私は「あそっか、救急車ってお金かかるんだな。だから呼んでくれないのか。」と思ったのです。ちなみに私が救急車がお金かからないって知ったのは、25歳の時です。(後にただ、近所に恥ずかしいから呼ばなかったと分かりました。)
12. 極端に想像力がない。 たまにお弁当を作ってもらうと、切ったトマトやシロップ漬けの缶詰のみかん等をご飯の入った1つの弁当箱に入れるので、ご飯が水浸しになっている上に、ありえない味がする。ぐちゃぐちゃな無残に崩れた弁当を、クラスの子に見られないように食べなければならなかった。
13. 自分は絶対に悪くない。母は、いつもどんな時にも絶対に自分が悪くないと考える人で、こちらが正当なことを言うと「へりくつを言って」と言われておしまいにされました。私はへりくつではなく、まぎれもなく”理屈”を言っていたのに。
とにかく母はなんでもお金に換算する人でした。お金が減ることはしてはならず、病気もしてはいけないし塾も1か所しか言ってはいけなかったのです。そう言われたわけではありませんが、そういう事なんです、はい。
そんなこんなで、私はパジャマのない生活を我慢していたわけですが、そんなさ中、母が鍋セット(40万円)を買って、私に「騙されて買っちゃった♪」と言うわけですけどね…。
しかもこれ全て、母は悪気なくやるのです。笑顔で。
私は兄のお古で我慢しているところ、姉が服がないとぎゃあぎゃあ騒ぐので私までが言うわけにはいかないし、母は自分の弟もお古を着ていたと言って終わり。戦後の子供と一緒にしないでほしい。と、いうかその前に現在ここにいる子供を見ていない。「人を尊重する」という言葉の意味が全くわかっていない人でした。
あと、子供ながらにこの人はいつも自分のいう事が絶対に合ってると思っているんだなぁ。とか、どうして私の言うことを信じてくれないんだろう?と何度も思ったことがあります。
他人から見たら、笑いごとにも見えるようなエピソードだったかもしれませんが、身内のしかも親がこうだと笑っていられませんよ。現に 私は必死でしたから。
人間は本当に必死な時って、愚痴を言えないんです。戦時中必死な思いして生きた人は、メンヘルで簡単に死にたいとか言う子供によくこう言うでしょ?「戦争中にはそんなこと言ってられなかった」
あの言葉にただただ「はぁ?」とだけ思う方は、想像力がないんですよね。
昨日まで画面で笑ってた芸能人の自死を「意外ね!」と言ってしまう人もそう。自死には意外もなにもないんです。小6の私が毎夕誰も見てないところだけで泣いていても、家族の誰も気づきませんでしたし。
ちなみに、私は未来の社会や宇宙のことを考えることで精神を保っていました。だって精神て、自分で保たないと誰も保ってくれませんからね。
私は小5の時に決めたことがあります。
1.溜息をつかない!
2.むやみに泣かない
3.自分に降りかかる事は全部自分の責任だから、自分がしっかりすればいい!
4.人を憎まない!
5.愚痴を言わない!
6.学校は行くのが当たり前だってさ。だから行けない子は弱いかおかしい。毎日行け!
7.泣き言を言う前に、なんとかする工夫&努力をしろ!
8.嫌なことから先にする!
9.「つらい」という言葉を言っても思ってもいけない。
10.笑う門には福来る。いつでもどんな時にも人の前では笑っていること!
これが、私なりに私が私に決めたことです。
母は幼い私の問に、こうも言いました。
「人間いちばん大切なものってなに?」と聞いた私に、
「忍耐力。我慢することがいちばん大事。」と言ったのです。
こんな親元に生まれて、何も躾をされず育った私は外でも本当に嫌な目にたくさんあってきました。
一体、いつまで我慢すればいいんですかね?こういう生き方が当たり前の人って、自分の意思表明することさえもワガママなのではないか?と思ってしまうんです。一応 ”甘やかされたワガママな子” として育てられたから。どこからが、不必要な我慢なのかが分からないんですよね。
ちなみに、私が私に言い聞かせた10箇条を親に言われたことがある人は、間違いなく愛されて育ってます。大丈夫です! ただ時代、あるいは言うべき言葉を間違っているだけなのです。
でも私の場合は全く別なんです。蜘蛛の巣にひっかかっていたら、人間として生きられないレベルだったので。
それをあの精神科医には、精神科の教科書通り一律で、他のみんなと同じにされてしまいました。
ちなみに私は引きこもった時にダイエットに大成功していますが、それも自分に自信をつけて家から出る為でした。よくガリガリに痩せたがる女性に対して親離れしてないから、まだ甘えたいからだ と言われてきましたが、本当は逆です。
痩せたり美しくなることは、ぶくぶく太って家でぬくぬくしている子供を見ていたい親に対して歯向かうことなのですから。
努力して痩せたのに、母には痩せたことを悪い事のように言われました。全く努力をしたことのない人 且つ 私を太らせた人がそういうことを言うんですからムカつきます。と同時に、精神科にも褒めてもらえないので、やっぱりいけないことだったんだなぁと思うわけです。
自立の仕方を教わろうとして言った病院で、青年期に作りかけていた自分の世界をみごとに壊されてしまいました。私が決めた私の10箇条も精神科医に否定されましたし。あれを否定されたら私は、動物として生きるしかないのに。
ああいう方々は、あきらかに失敗したとしても、プロとしての責任をとってはくれません。つまり彼らはプロではないのです。(※ここで言ってる”責任をとる”は、何も大袈裟なことをしろと言っているのではありません。せめて失敗したその時の料金や交通費くらい返すのが筋ではないですか?それでも時間は戻ってこないのでプラスマイナスゼロにはなりませんけども。)
話せば楽になる?いや、逆につらくなりました。自力で引きこもりをやめたのに再び引きこもりました。自分を信じる方法を知りたかっただけなのに、全てを壊されてしまいました。
最期に、「愛ってなに?」と人に聞く人ってよくいますが、愛の中に埋もれている人にはわからないんでしょうね…。私は答えられます。
愛の0歩目は「存在を認めてもらうこと(認めること)」で、1歩目は「尊重されること(すること)」です。
私は、姉が好きそうで私が全然好きじゃないものを親からもらったことがあります。そりゃ「ありがとう」しか言えませんけどね。その時のやるせないような、寂しさったらないですよ。