はい、はい、はい。
早く感想をまとめないと、また記憶がなくなっていくわよ~っと、自分に言い聞かせながら、なんとか頑張ってまとめております。
なんせ貧血のせいか、もともと悪いせいか。脳みそに血が不足してるせいか、年だからなのか。一回観ただけでは、解釈の前に把握しきれてなくて、満足できるほど覚えてなくて。そこが悔しいところです。
やっぱり血の気は多い方がいい。やっぱり二回は観ないと覚えられない舞台でした。私には。
っとまあ、ああなのか、こうなのか、と、感想に入る前から、今回のお芝居のようにいろんなこと思ってしまいました。
でも、今回の舞台の感想は、二つの世界だけに、感想も二つ出せば、ちょい納得?と思ったのが、一番かな。
とにかく堤さんをしっかり観たいというのを先行させたので、作業着、短髪にブーツの兵士服、私好みのちょっと外ハネロン毛な堤さんだけは、しっかりオペラグラスで脳みそ漬けにして、心にしまって帰りました。
又やんがタイプなだけに、ゼリグよりも、あの緑に白混ぜた色のセーター・牧田君がお気に入りで。サボテンにささって大変な牧田君。鼻毛が出てる牧田君を真近で、実際にみてみたかったです(相当、悪趣味)。いすに座れない牧田君とか、どういうわけか異様にハイな牧田君。堤さんの演技はいつもとかわることなく、人間的というか、ダメ人間というか、そういう演技は素晴しくウマい!!!
そういう意味で、ゼリグよりも、より、素敵にみえてしまいました。ゼリグのほうは、ストーリーがないに近い=人間が深くないと言う意味で、表面だけがカッコイイという人にしか見えなかったのが、ちょっと残念です。とういうことは、堤さんの立ち姿が相変わらず!!素晴しくいいということです!!!
私はけっこう、最初の作業着姿の立ち姿にうっとりしちゃってました。よくお似合いでございましたもの!!
それから、あらためて、堤さんの声のよさに惚れ惚れ、惚れ惚れ。声だけでも惚れますね。
頭蓋骨が意外に小さいというせりふもありましたね。堤さんは、ほんとにそうだと思いますが。
頭蓋骨が小さいとは、実は私が母親に昔から言われていることだったので、笑ってしまいました。頭蓋骨が小さいだけならいいんだけど、そのために脳みそも少ないかもと、親がいうかと言うようなこと言われるくらい、頭のサイズはいまだに小学生なみなので、帽子屋さんにも笑われてます。メガネのサイズも困るのよ。
なので、堤さんに頭のサイズをお聞きしたいです(笑)
で、なんか、このお芝居に一番よく似合っていたような感じがするのが、山崎さんのような気がします。カメリプのときからそんな感じ。それにしても、内容はどうであれ、松尾さんと犬山さんはすごく印象的で面白かったです。他の役者さんたちももちろんよかったです。せりふはおもしろいし。笑いながら悲しかったし。
この手の、二つの世界を描いた舞台は、第三舞台の鴻上さんのお得意技で、さんざん観まくっていたので、まったく違和感もなく、シニカルな笑い、下ネタも過激な部分も長年受け入れてきたので、別にキツいわけでもなく。
というわけで、私の???は、労働者Mって、一体何ぞや?ということに問題がしぼられていきました。その解釈がこの舞台を観た私の魂が感じた答えは二つということになるのかなと。
世の中必ず、表と裏から成立しているんだから二つの世界があるのは、当然といえば当然。プラスという答えがあれば、マイナスという真反対の答えがあるのも確か。二度見、さえあったことだし??(笑)
現在があれば過去もあり、反対に未来もあり。人間、かっこいい部分もあれば、かっこ悪い部分もあり。
でも、それはどっちもかっこいいと言えるし、かっこ悪いとも言える。感じることは、人それぞれに違うし。アカデミー賞で亡国のイージスの監督さんが、中井貴一さんは二役です。と言っていたことと似ているような・・気がします。
歌みたいにダイヤだけど石で、1万円札だけど紙で、人だけど、肉で。意味は二つ。
という感じで、労働者Mの「M」ってパンフのMにはなかったようですが、私としての「M」はMEN。複数なので、ピープルという意味の人々。人間たち。というようなニュアンスになりました。ニだし、一じゃないのでニは複数。
で、二つの世界って、人の世界。人はみんなニ面性(言ってみると、長所と短所)があるんだろうから、ケラさんが描いた世界は、無意味でもなんでもないことみたいに思います。
それどころか、おおいに意味がるように思えて納得しちゃいます。
現代の事務所と近未来の収容所とは一見無関係みたいだけど、世界そのものを人、「M」にしてみると、二つの性格があって、人だけに、どっちもけっこう悩んで苦しそうだったり。
「ビギナー」の司法修習生、桐原勇平さんが観ていたら、どこかの世界のどうしようもない奴らのどうしようもない話だと言いそうなシーンだけど。
人ってみんなどの時代でも、なにか得体の知れない、目にみえないものにあやつられて思いどおりに生きていられなくて苦悩しているのかもしれない。
そして、そのことを苦しいくせに誤魔化しながら生きてることもあったりするのかもしれない。
もしかしたら、土星人って、近未来での得体に知れないものの具体化かも知れないような気がしました。現代の事務所では具体化してないだけみたいな。室長はなぜか失踪しちゃってたし。
働け、働けって、なんとなく、それでも生きてけ、生きてけっていう、実際の現代の悩める人へのエールみたいな感じにも思えてきました。
はっきり言って最初はなんじゃこの苦しそうなだけのお芝居は・・?と思ってみたりしたのですが、それでは、この舞台のいいところはないのか。
そんなわけないぞ、と思いながらどう感じたら、素敵な舞台になるのか考えてみようと思ってまとめてみました。苦しそうなお芝居にみえても、反対の答えも導き出してみることで、逆に世の中、お芝居とは反対に前向きに生きていけるように頑張って努力して生きてる人も苦しい人と同じくらいいるわけなので。そういう意味で働け、働けっていい言葉だな、労働者Mの歌っていい歌ねって思いました。
くだらないって感じの笑いなどもその裏にはくだらなくなんかない、なにか大切なことが隠れていたりすると思うし、すごいってことやかっこいいってことが、ほんとは真っ赤な嘘っぱちなこともあるのよ・・・^^。
さあ、どっちだあ、今度のシーンはっていう感じです(笑)
あくまでも、私の魂が今の私の心境に合わせて感じたことです。
アンケートは、把握できないまんま、ケラさんにはちょっと失礼なアンケートになってしまいましたが、大きく変化いたしました。(>_<)
早くもう一度、放送で観たいです。
舞台をお作りになられた皆さま、大変遅れましたが、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
また、全然違う堤さんや役者さんたちが観たいです。
早く感想をまとめないと、また記憶がなくなっていくわよ~っと、自分に言い聞かせながら、なんとか頑張ってまとめております。
なんせ貧血のせいか、もともと悪いせいか。脳みそに血が不足してるせいか、年だからなのか。一回観ただけでは、解釈の前に把握しきれてなくて、満足できるほど覚えてなくて。そこが悔しいところです。
やっぱり血の気は多い方がいい。やっぱり二回は観ないと覚えられない舞台でした。私には。
っとまあ、ああなのか、こうなのか、と、感想に入る前から、今回のお芝居のようにいろんなこと思ってしまいました。
でも、今回の舞台の感想は、二つの世界だけに、感想も二つ出せば、ちょい納得?と思ったのが、一番かな。
とにかく堤さんをしっかり観たいというのを先行させたので、作業着、短髪にブーツの兵士服、私好みのちょっと外ハネロン毛な堤さんだけは、しっかりオペラグラスで脳みそ漬けにして、心にしまって帰りました。
又やんがタイプなだけに、ゼリグよりも、あの緑に白混ぜた色のセーター・牧田君がお気に入りで。サボテンにささって大変な牧田君。鼻毛が出てる牧田君を真近で、実際にみてみたかったです(相当、悪趣味)。いすに座れない牧田君とか、どういうわけか異様にハイな牧田君。堤さんの演技はいつもとかわることなく、人間的というか、ダメ人間というか、そういう演技は素晴しくウマい!!!
そういう意味で、ゼリグよりも、より、素敵にみえてしまいました。ゼリグのほうは、ストーリーがないに近い=人間が深くないと言う意味で、表面だけがカッコイイという人にしか見えなかったのが、ちょっと残念です。とういうことは、堤さんの立ち姿が相変わらず!!素晴しくいいということです!!!
私はけっこう、最初の作業着姿の立ち姿にうっとりしちゃってました。よくお似合いでございましたもの!!
それから、あらためて、堤さんの声のよさに惚れ惚れ、惚れ惚れ。声だけでも惚れますね。
頭蓋骨が意外に小さいというせりふもありましたね。堤さんは、ほんとにそうだと思いますが。
頭蓋骨が小さいとは、実は私が母親に昔から言われていることだったので、笑ってしまいました。頭蓋骨が小さいだけならいいんだけど、そのために脳みそも少ないかもと、親がいうかと言うようなこと言われるくらい、頭のサイズはいまだに小学生なみなので、帽子屋さんにも笑われてます。メガネのサイズも困るのよ。
なので、堤さんに頭のサイズをお聞きしたいです(笑)
で、なんか、このお芝居に一番よく似合っていたような感じがするのが、山崎さんのような気がします。カメリプのときからそんな感じ。それにしても、内容はどうであれ、松尾さんと犬山さんはすごく印象的で面白かったです。他の役者さんたちももちろんよかったです。せりふはおもしろいし。笑いながら悲しかったし。
この手の、二つの世界を描いた舞台は、第三舞台の鴻上さんのお得意技で、さんざん観まくっていたので、まったく違和感もなく、シニカルな笑い、下ネタも過激な部分も長年受け入れてきたので、別にキツいわけでもなく。
というわけで、私の???は、労働者Mって、一体何ぞや?ということに問題がしぼられていきました。その解釈がこの舞台を観た私の魂が感じた答えは二つということになるのかなと。
世の中必ず、表と裏から成立しているんだから二つの世界があるのは、当然といえば当然。プラスという答えがあれば、マイナスという真反対の答えがあるのも確か。二度見、さえあったことだし??(笑)
現在があれば過去もあり、反対に未来もあり。人間、かっこいい部分もあれば、かっこ悪い部分もあり。
でも、それはどっちもかっこいいと言えるし、かっこ悪いとも言える。感じることは、人それぞれに違うし。アカデミー賞で亡国のイージスの監督さんが、中井貴一さんは二役です。と言っていたことと似ているような・・気がします。
歌みたいにダイヤだけど石で、1万円札だけど紙で、人だけど、肉で。意味は二つ。
という感じで、労働者Mの「M」ってパンフのMにはなかったようですが、私としての「M」はMEN。複数なので、ピープルという意味の人々。人間たち。というようなニュアンスになりました。ニだし、一じゃないのでニは複数。
で、二つの世界って、人の世界。人はみんなニ面性(言ってみると、長所と短所)があるんだろうから、ケラさんが描いた世界は、無意味でもなんでもないことみたいに思います。
それどころか、おおいに意味がるように思えて納得しちゃいます。
現代の事務所と近未来の収容所とは一見無関係みたいだけど、世界そのものを人、「M」にしてみると、二つの性格があって、人だけに、どっちもけっこう悩んで苦しそうだったり。
「ビギナー」の司法修習生、桐原勇平さんが観ていたら、どこかの世界のどうしようもない奴らのどうしようもない話だと言いそうなシーンだけど。
人ってみんなどの時代でも、なにか得体の知れない、目にみえないものにあやつられて思いどおりに生きていられなくて苦悩しているのかもしれない。
そして、そのことを苦しいくせに誤魔化しながら生きてることもあったりするのかもしれない。
もしかしたら、土星人って、近未来での得体に知れないものの具体化かも知れないような気がしました。現代の事務所では具体化してないだけみたいな。室長はなぜか失踪しちゃってたし。
働け、働けって、なんとなく、それでも生きてけ、生きてけっていう、実際の現代の悩める人へのエールみたいな感じにも思えてきました。
はっきり言って最初はなんじゃこの苦しそうなだけのお芝居は・・?と思ってみたりしたのですが、それでは、この舞台のいいところはないのか。
そんなわけないぞ、と思いながらどう感じたら、素敵な舞台になるのか考えてみようと思ってまとめてみました。苦しそうなお芝居にみえても、反対の答えも導き出してみることで、逆に世の中、お芝居とは反対に前向きに生きていけるように頑張って努力して生きてる人も苦しい人と同じくらいいるわけなので。そういう意味で働け、働けっていい言葉だな、労働者Mの歌っていい歌ねって思いました。
くだらないって感じの笑いなどもその裏にはくだらなくなんかない、なにか大切なことが隠れていたりすると思うし、すごいってことやかっこいいってことが、ほんとは真っ赤な嘘っぱちなこともあるのよ・・・^^。
さあ、どっちだあ、今度のシーンはっていう感じです(笑)
あくまでも、私の魂が今の私の心境に合わせて感じたことです。
アンケートは、把握できないまんま、ケラさんにはちょっと失礼なアンケートになってしまいましたが、大きく変化いたしました。(>_<)
早くもう一度、放送で観たいです。
舞台をお作りになられた皆さま、大変遅れましたが、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
また、全然違う堤さんや役者さんたちが観たいです。