うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

日本の失われた8年

2005年08月27日 | 語る!
今年度は中学教科書選定の年である。来年度4月から、中学では新しい教科書が採用される。今の教科書を使った6年、1度でも使ったことがある生徒を含めれば、8学年の子どもたちがこの教科書を使ったことになる。これはあくまでも私見であり、ご反論をお持ちの方も少なからずおられるだろうと思うが、わたしがこの8学年の子達が使ってきた教科書に思うことを言わせていただきたい。
この教科書が嫌っているもの、それは「単純作業」である。繰り返し、暗記、暗唱、複雑な数値計算。それらがこの教科書では推奨されない。そのような「作業」は、IT 等(パソコン、電卓、電子手帳などなど)を使って行いましょうという意図がありはしないかと、わたしには思われる。単純な作業は、知的ではなく、それらは、機械に任せればよいのだという考えだ。だから、年号も、計算練習も、スペルの暗記も小数点以下2位の円周率も、教科書からは、「無駄な作業」として削除されてしまった。お利口な子はしなくっていいのだよとお墨付きがついているようなものだ。子どもたちの漢字力、計算力、単語力は低下していった。個性重視、「オンリーワンだぜ俺たちは」的風潮の世の中の流れもそれを助長した。辛気臭い、暗記、暗唱などをする子はいなくなった。一桁ならいざ知らず、二桁以上の計算が暗算されることはなくなった。ちょっとした挨拶はできるが、全て英単語を思いつくまま並べ立てる、「しゃべる」だけの英語。グラマーって何ってやつだ。歴史年表も覚えないので、江戸時代が200年以上続いたことがわからない。スミレがいつの季語かわからない。10分の1と0.12のどちらが大きいのかわからない。というのが、この教育の作り出したものだ。確かにできる子はできる。だって、できる子はどうやったってできるから。義務教育とは、なんだったのか。「単純作業」はそんなにも経済発展、技術発展を遂げたニホンにとって、忌み嫌われなければならないものだったのか。
わたしは、思う、単純な繰り返しの作業の向こうに、論理が見えると。
確かに論理は今の義務教育の中で教えられはする。しかし、それで理解できるのは、どんな風にやってもわかる子達だし、論理として教えられた論理に実感は伴いにくい。
学問の悦楽は、単純作業のという名の山を、険しい山道だけを見つめて登っっていった先に、
突然眺望できる下界の景色だ。
あるとき、「わかる」ということが突然やってくる。
それを知らされないことは子どもにとって不幸だ。
文科省は一体、何を目指していたんだろう。
こうやって、ニホンは大きな8年を失ってしまった。
経済界において失われた10年というのはよく言われることであるが、
この教科書の8年の損失は、もう今この時も日本を直撃しており、この先何年も何十年も、日本に影響を与え続けることだろう。この子たちの損失、この子達が作る社会の損失にどのような責任を誰が取るのだろう。
そうして新しい教科書は一体何を目指して、送られてくるのだろう。
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フルムーンより

2005年08月17日 | 語る!
atsurinの新幹線通勤日記~ただ今○○駅停車中~のatsurinより、イメージバトンが回ってきました。
ちょっと、日がたってしまってごめんね、atsurin。お盆なので(あまりこれに必然性はないです、ごめんなさい)、答えさせていただきます。

①atsurinから受け取ったキーワード
        
         フルムーン

満月ってことですね。あえて、~旅行はおいといて、満月といえば、「叫ぶ」ですよね。何ででしょうか。月があんまり大きいと怖くなったり、叫んじゃったりするのは。変身する人もいますよね。そういえば、ペーパームーンって言う映画もありましたね。あの親子はどうしてるんでしょう。
昔の人たちは夜の娯楽って「月見」くらいだったんだろうなって思います。今日の月はどうとかこうとか、こういうのって本とはテレビ見たりしてる夜より、豊かなのかもしれませんよね。


②うさとがイメージしたもの(次の人へのイメージ)
         
       叫び      です。

③バトンをまわしてくれたatsurinへのメッセージ
atsurin、何のご縁かこうやってお話をしている。高校の後輩のあなたと。私が座った机にあなたも座ったんだろうか。お掃除サボった校舎裏の大きな木の下で、あなたもいろんなおしゃべりしたんだろうか。ちゃんとした「意思」を持って生きている理系女子のあなたに、世間の風が吹き寄せることがあるかもしれないけど私は応援している。正しく、強く、優しく、美しいものは、負けないってね。そうして幸せな未来をお祈りいたします。

④次に回させていただく人
ミュージックバトンで人脈を使い尽くしてしまいました。もし、「叫び」で記事を書いてくださる有志がいらっしゃたら、お申し出ください。もれなくTB送らせていただきますよ。
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LOVE☆児玉清

2005年07月17日 | 語る!
また、今日もたわけた日曜を過ごしています。そうして、唐突ですが、児玉清です。
わたしは実は実は、かなりの隠れたエレクトラコンプレックスなんですが、どんな人が好きかというと、surviveするdadです。ただ、思春期を男性なしの家庭で過ごしたんで、どうも、大黒柱っぽい、筋肉系の方は苦手です。家庭の中に男の人がいるというのに慣れていないんですね。ではどのように「生き延びる」人かというと、その方法を具現しているのが児玉清なんですね、これが。
小学生のころ、彼は、若尾文子という近所の人妻に、妻の忘れ形見の子の面倒を見てもらうパイロットでした。若尾人妻は、実家の困窮を助けるために結婚した夫との辛い家庭の中で、児玉パイロットに会うのだけが安らぎでした。しかし、お互い大人で立場をわきまえているので、募る思いを胸に秘め、遠くでいとしい人の幸せを祈るのです。「よろめきドラマ」とか、呼ばれていました。同年齢の子達は遅い時間のテレビを見せてもらっていなかったので、多分知らないと思いますが、わたしは夜のお留守番中、ちゃーんと見ていて、ちゃーんと覚えています。紺のパイロットの制服はダンボールでできているんじゃないのってほど、パリッパリにプレスされており、そのころから、心の中で、LOVEです。
慇懃、丁寧で、整然とした身なりなのに、本当は不良。言葉をなくすほど嘘っぽい。昔々に、本当は見なくていいような冷たい暗いものを見てきたから、社会の評価とか倫理とか常識とか信じてはいない。だけど、ちゃんと社会人らしいこともしている。やってる仕事も「パネルクイズ」言ってるせりふも「アタァクゥ」
本心が見えるようで見えない。仕立てのいいスーツは老舗にオーダアーメイドなんだろうけど、大切なものを守るためなら、そのスーツを脱ぎ捨てて、殴りかかる敵にてらてらと殴られてやるだろう。何も見ていないようなあの瞳で。いくつでも殴られ続けるだろう。
今だって、誰も児玉清には勝てない。
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平均律上のバッハ

2005年07月09日 | 語る!
私は、ただただ音楽を聴くだけの人でピアノお稽古もしたことはないし、初めてのクラシック体験は百科事典の付録のソノシートで聞いたシューベルトの「野ばら」だった。だから、バッハのこともよく知らない。
バッハという人はエピソードを語られない人だ。モーツアルトもベートーベンもシューベルトも大音楽家といわれる人を描いた映画は数あるが、バッハの人生を映画にしたというのを聞いたことがない。彼がどんな暮らしをし、どんな恋をし、どんな名誉を得、どんな失望を味わったかを、私は知らない。
しかし、時々バッハという人について考える。私にとってバッハとはそういう人だ。

わたしの想像の中でモーツァルトは口から音符を吹いている。ボッティチェリの絵に描かれた口から花を吹く春の女神のように、念仏とともに阿弥陀仏を吹く空也上人のように、モーツアルトは呼吸をするように音を紡ぐ。わたしたちは天才を愛する。モーツァルトは掛け値なしにその一人であり、人からも天上からも愛された才能だっただろう。それに比べ、バッハはどうだろうか。無口で付き合いにくい人だったかもしれない。部屋にこもりブツブツ呟きながら鍵盤に向かっているちょっと偏屈な人ではなかったかなっと考えたりする。創作中に近寄る子には、気難しく叱る人だったろうし、弟子や生徒には、音楽とは関係ない、生活の中の不良行為を指摘するような、いやな大人だったかもしれない。だからといって、モーツアルトがより神に近いと私は思わない。それはわたしがモーツァルトのように神に近い才能を持っていないからかもしれないが。

バッハは生きた時代もあり、彼の音楽の多くは宗教曲である。その意味で彼は『音楽の捧げ物』をしていたわけなのだが、彼は何に音楽を捧げていたのだろうか。バッハは音の数式を懸命に解いていたのではないか。口ずさみながら、書き込みながら。モーツァルトが「降りてくる音」ならば、バッハは「苦悶の中で解く音」である。人の技として音楽を律儀に不器用に解き続けたバッハを、わたしは素敵だと思う。数学者は数字の中に広大な宇宙を見るという。バッハを聴くと、彼が憧れ続けたものもそんな音の宇宙なのではなかったのかと思える。天上の音を、人である自分を自覚しながら追い求めていたのではないかと思う。万能、天才でないわが身を嘆きながらも少しでもあの場所に近づきたいというバッハの悲しみや喜びが聴こえる気がする。
もしかすると、バッハは教会の説く神など、ちっとも信じてなかったかもしれない。彼が信じた神は音楽という名の神で、探し求め、苦悩し、躓き、失望し、時に永遠の音と思えるものが遠くに垣間見える。モーツアルトは「神の歌」であり、バッハは「神を追い求める魂の歌」である。多くの著名な演奏家がバッハを好んで演奏する理由がそこにあるのではないか。バッハを聴くと、人が奏でうる最も高みの音の楽園が聴こえる。たとえ凡庸と思われる人だって、求め続けるとある日突然、天上は、その姿を見せてくれることもあるのだとバッハは思わせてくれる。





Special thanks for  モーツァルトとバッハ~教会音楽に関する考察  KenさんのBLOG STATION 
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わたしのともだち

2005年07月05日 | 語る!
あと少しで、わたしのともだちMDBちゃんの誕生日だ。MDBちゃんとわたしは大学時代同じサークルに入っていた。大学を出て何年かの間ほとんど会うことはなかったし、彼女は遠くに住むことになり、音信も途絶えがちだった。しかし、数年前MDBちゃんは大学のある街に帰ってきた。久しぶりに会うことになり、二人でわたしたちがともに過ごした大学や周りの街を歩いてみた。「お帰りツアー」というわけだ。わたしも大学の中を歩くのは卒業以来初めてで、変わらない景色、新しく建設された学部棟などを二人で回った。そして、それまでのことをそれぞれに話した。なんだかよくわからないけれど、二人で泣きながら話した。「大学出てから、何やってきたんだろう、わたし。ばっかみたい」少なくともわたしはそう思えて、泣けた。MDBちゃんにとって、それまでの日々がどんなものだったかは彼女の話の中だけからしかわからないが、彼女もそんなに上手ではない生き方をしてきたみたいだ。MDBちゃんもわたしも一人っ子で、しっかりしたお子さんとして育ってきた。学校の係りも嫌がらず引き受けた。甘えず、頼らず、手を抜かずに誠実に努力することが大事だと信じてきた。周りからは危なげなくマイペースで、すいすいと世の中を渡っているように見えることだろう。実際MDBちゃんは資格をたくさん持つ「できる人」で、クールな上司だと思っている部下も少なからずいるだろう。東京まで出ていたら、全然違う人生が待っていたことだろう。そんなわたしたちが、「不器用な渡世をしている」と言っても人は取り合ってくれないだろうし、私自身、他人から「不器用な人ね」と言われたら、「あんたに言われたかないわ」と思うことだろう。でも、MDBちゃんといると、上手でない生き方をしていることを隠さなくってよくなる。「できる振り」も「できない振り」もしなくてよくなる。多分、どんなところでもMDBちゃんといるようにしているべきなんだろうけど、なかなかそれができなくって、いつも疲れ果ててしまう。
それ以来、仕事のついでがある折りごとに時々会っては二人でくだを巻いている。「ここまで生きてきてわかったことだけど、世の中の人は頼ったり、甘えたりしながら上手に折り合いをつけている。どうも、その方が、うまく生きていけるらしい。そんなことに気づかなかったわたしたちって、どうだろう。」って言いながら。MDBちゃんはわたしが会った人の中のベストに入るやさしい人だ。人を捨てることなく、人生を受け入れることのできる人だ。彼女に切り捨てられたと思う人がいるかもしれないが、それは違う。その人が彼女に捨てられる形を取らせているだけだと思う。でも、周りの人のどれだけがそれに気づいているんだろうか。

MDBちゃん、お誕生日おめでとう。また、一緒に飲もう。
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漕げよ、マイケル

2005年07月02日 | 語る!
われらがじゅん吉さんのブログにお邪魔していたら、KENさんのトラックバック企画「あなたのベスト・エントリー2005・上半期」ブログエントリーの記事が載っていました。
じゅん吉さんがいつも力説している「ブログの大海原に飛び出そう」 (飛び込み→腹打ちになってしまいそうな私ですが) こういうことだったのかもしれないですね。

皆さんも、エントリーしてみませんか。
飛び込むときの道連れは、多ければ多いほうが心強い。
若輩者のうさとではありますが、エントリーしてみる!!と決めました。
エントリーを3つ選べるそうです。どれがいいのか、自分ではよくわからないもんですね。
「これがよい」「まだまだ10年早い」「私のこのコメントを消してから出ろ」
というようなご意見ありましたら、コメントしていただけませんか。
みんなで、大海に漕ぎ出でませんか。
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数学→すいか

2005年06月29日 | 語る!
最近、某教育関連のテレビCMで、「数学終わったら、スイカ」というのをやっている。
目の前ににんじんをぶら下げて、受験勉強を乗り切ろうねというものである。
あーーーーーーんなに勉強に青春を捧げた私も、受験勉強ではつらい思いをした。夏休み、体力をつけるために高校の自主勉強室に40分かけて自転車で通ったが、ほとんど熱中症となり、かえって体力を消耗したなんてこともあった。

さて、天王山(この言葉も使われなくなりましたね。さびしいことです)の夏休みを目前にし、世の受験生諸子ならびにご家族の健闘を祈り、私の考えた『受験を乗り切る仕掛け』をここに書かせていただこうと思う。

(1)参考書、問題集を買う。このとき、(どんな問題があるでしょう)なんて考えて、中身を見る必要はない。手にとり、開いてみて、触ってみて、ちょっと離して眺めてみて、「いいかんじ」「相性よさそう」というインスピレーションを大事にする。このとき特に大事なのは、紙質、フォント。しっくりこないものとは長く付き合えない。内容はたいてい大差がないので、気にしない。

(2)うちに帰って、問題集を開く
用意するもの--ペン(何色か、特に好きな色がよい)、メッセージカード。好きな子の写真。
アトランダムに問題集を開き、そのページに「よくここまでやった」だの、「君の努力は天が見ている」だの、「がんばる君は輝いている」だのという励ましの言葉を余白に書き込む。メッセージカードにも、イラスト、お言葉などを書いて挟み込む。スペシャルサプライズとして、好きな子の写真に「やっと来てくれたのね。待っていたのよ」と書いて、これも挟む。そうして、どこに何を書いたか、何を挟んだかをすっかり忘れる。

(3)とにかく何も考えずに、解く。この方法で成果が出るのかとか、この先自分はどうなるんだろうかとかいう、とろくさいことは考えず、ただただ、ひたすらに解く。解いて、解いて、解きまくる。そうすれば、この本のどこかで、何かが君を待っていて、辿り着いたときにそっと微笑んでくれる。

私は、受験期に本当にこれをやっていました。方法としては無敵です。
ただ、合格後、後輩・兄弟にお下がりするときは十分に気をつけましょうね。
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musical baton

2005年06月28日 | 語る!
レトロ・コレクターズのsion37さんから、「musical baton」を渡して頂きました。
今は、(音楽聴く期)ではなく、ちょっと音楽から遠ざかっています。しっかり書けませんが、お許しを。

(1) Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
自分のがどれか、どれだけあるのか、判然としません。ごめんなさい。

(2)Song playing right now (今聞いている曲)
最近は自己意志で選んで聴くことがほとんどありません。夏は何故かエゴラッピンの「くちばしにチェリー」を聴きたくなります。

(3)The last CD I bought (最後に買ったCD)
ほとんど買いません。最後に買ったのは、デスティニーズ・チャイルドのサバイバーです。(どうとでも思ってください)

(4)Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
「チューリップのアップリケ」岡林信康 中学の文化祭で歌った。
「サマータイム」ジャニス・ジョプリン ララバイが好きです。つらいときは歌います。
「スカボロ・フェア」S&G 自分の戦いが(理由も忘れたもの)であるのかどうかを問い続けたい。
「枯葉」多くの人が歌っていますが、誰のを聴いても名曲です。最近のでは、椎名林檎のがなかなかです。
「モーツアルトのレクイエム」死んだらかけて欲しいです。

バッハもグレゴリア聖歌もパブロ・カザルスの「鳥の歌」もジプシーキングもイエローモンキーもYOUR SONGも入れられませんでした。
なかなかすぐには難しい。冷や汗でした。ふう。

(5)Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
★☆★じゅん吉ブログ!!★☆★じゅん吉さん
今日もまた螺旋上昇あきちゃん
猫わんログ猫わんさん
グルメのけんちゃんけんちゃん
M78星雲バルタンさん
バラエティに富んだ選曲をしていただけると思い、バトンを渡します。
ご都合がつかないときはスルーしてください。
では、お願いいたします。
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パンチ・ドランカード

2005年06月27日 | 語る!
昨日の日曜、テレビでボクシングを見た。
私は理系でも運動系でもない文系の人なので、ほとんどスポーツ観戦はしない。テレビで見るといえば、スケート、短距離、高飛び込み。およそ盛り上がりとはかけ離れたスポーツを見るのが好きだ。これらはたいてい予選から見る。高飛び込みはあまりメジャーな競技ではないが、それはそれは美しい。観客と一緒に「ほおぉ」とため息をつき、オリンピックの頃は寝不足になる。
そうして、観客の熱狂を伴いながら、息を詰めて見るなら、やっぱりボクシング。

ボクシングはストレートなスポーツだ。
それは単純な要素でできている。

叩く / 叩かれる / 叩く / 叩かれる / 叩く / 叩かれる

しかし、
叩く / 叩く / 叩く / 叩く / 叩く / 叩く / 叩く     となることもあるし、

叩かれる / 叩かれる / 叩かれる / 叩かれる / 叩かれる     というものになってしまうこともある。

叩いたものが叩かれるわけでも、叩かれたものが叩けるわけでもない。

リングは仮想の今生だ。現実の社会では許されない闘争や、巧妙に包み隠されているストレートな「この世」を見せてくれる。
血みどろになり目を腫らせ、叩く・叩かれる。勝った者の名だけが刻まれる。
揺らされた脳が見るこの世はどんなものだろう。ラメ色に輝いているだろうか。
それもしあわせ、かな。




ЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮЮ



また、コメントしづらいものを書いてしまいました。
「ファイトクラブ」という不思議な映画は面白かったです。

コメント (10)
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empty warning(残量警告)

2005年06月24日 | 語る!
ブログをはじめて50日が経とうとしている。
私は世の中に向かって叫びたいことが取り立ててあるわけではなく、一人の大人と話すことなく過ごす日があるような、「引きこもり」的生活を送っている「普通の人」だ。
ふとしたきっかけでブログをはじめることになったわけだが、それもリハビリのようなものかも知れない。
大人になるまでの私は「普通の子」ではなかった。人生を+-の座標で表すとしたら、私の10代までは随分と(-)の方に寄っていた。だから、ゼロ地点に立てるよう学校の勉強をした。そうして、色々なものを手に入れた。目に見えるもの、見えないもの。とにかく、人並みに見えるようにはなった。何も知らない人から見れば、私は多くのものを持っているように見えるかもしれない。どんなことも、事も無げにやっているといわれたこともある。しかし、私にとってそれはゼロに戻れただけのことでしかない。世の中が平等になったといっても、自分の意思にかかわらずマイナスから人生を始めなければいけない人たちはいるものだ。世に言われるカテゴリー以外にも、いろいろな意味での「マイノリティー」は、「普通の人」の対極に存在する。
そうして、自分の「少数具合」をそれらの人は語りもしないだろう。「普通の人」に成れることは「普通の人」が考える以上に難しいことだ。

そうやって、世の中を渡ってきたが、emptyのランプが点滅し始めた。
「普通の人」として世の中を騙していけることに慢心して、マイナスからゼロの間に埋めたものがスカスカになってきたみたいだ。
10代に手に入れたものはまだ幾分、有効のようだが、それらが過去の蓄財でしかないことは自分が一番よくわかる。

10代の頃、十数年日記を書いていた。それと同じように、身を削って文章を書きたいと思っている。だから、この場を借りて、リハビリをしている。

ここを訪れてくださる方には、本当に感謝をしている。もし、お願いできるなら、ABCでも○△×でも12345でも甲乙丙でも優良可不可でも100点満点でも結構なので、その日の記事に採点だけでもしていただけると、うれしい。勝手なお願いだけど。
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はじめての雪(3)

2005年05月28日 | 語る!
はじめての雪(1) 
はじめての雪(2)の完結編です。続けてお読みください。

目の見えない人に、優れた音感を持つ人が多いという話を聞いたことがある。ダウン症の子は、誰も妬まず、穏やかに育つという。何かを取り上げられてしまった人は、その代わりのように何かを与えられるのだろうか。運命と呼ばれるものは、彼らに特別な持ち物を授けることによって帳尻を合わせようとしているのだろうか。信号の神様やら、テレビで話を伝える人は本当はいるのに、ただ、私に見えていないだけなんだろうか。母のような人々は、私の見えぬ何かが見えているのだろうか。今日は水曜、あと三日で雪の降るはずの日だ。
 木曜日は、足元から凍っていくようで、雲は暗く重かった。微かに雪の匂いがする。この地方は、一度雪になると、長い間降り込められてしまう。だから私も、遠くの雪雲の匂いに敏感である。初雪は、開かれた世の中とお別れしなければならない日々の、始まりの日である。しかし、母を抱える私の生活は、雪の日が終わりも知れず続いているようであった。春はいつやって来るのか、いや、春という季節があるかどうかさえわからず、冬の日だけが過ぎていく。それでも、本当の雪が降るのを待っているようで、やはり、まだ降って欲しくはないような不思議な気持ちで雪を考えていた。今年の初雪は、「ご託宣」の雪なのだ。木曜の今日、雪が降ってしまえば、「ご託宣」に対する私の思いも晴れる。母はつながりのおかしい頭で、でまかせを言っただけなのだ。私に見えぬ形の真実を母が語っているなどと気にしなくてもよいのだ。その反面、土曜まで初雪がやってこなければいいのに、という気持ちが私の心のどこかに、ひざを抱えた子供のように黙って座っている。本当に土曜日に雪が降らなくてはいけないような気がする。そうでなければ、母があんなふうに生きている意味が何一つ残されていないようで、切なくなるのだ。
「ねえ、明日は初雪になるんだったよね。気をつけなさいって、お母さん言ってたよね。」堪らず、金曜に母に問い掛けてみると、
「あら、明日は雪だって天気予報で言ってたの。」と、母は自分が言ったことなど、全く覚えていない様子である。そして、金曜も暮れていった。
 土曜の午後、私は買い物に出かけた。本当は、窓越しに雪が降っているか確かめるのに疲れてしまったのだ。いつものように鍵をかけながら、道の途中で雪が降り出したら、どうしようかと考えた。きっと、どうなりもしない。雪が降っても、誰も私の話をまともに聞きはしないだろう。でも、私はどうしても母の言葉を確かめなければならないのだ。
 いつもよりゆっくり買い物をしたが、雪は降って来なかった。これ以上、家を空けるわけにはいかなかった。家の近くまでくると、ここ数日続いていた雪の到来を告げる匂いが、急に秋の匂いに変わった。枯れ草を焼く匂い。
その途端、白いものがふわふわと目の前に舞い落ちてきた。「はじめての雪だ。土曜の初雪。」そうつぶやきながら、私はそれが雪とは異なる動きであることに気づいた。白いものは落ちかけては、また少しだけその場に留まり、漂うようにまた、落ちる。「雪じゃない。」それは宙を舞う白い灰。私は駆けた。鍵を掛けてきてしまった。鍵を開けなければ、母は外に逃げられない。私が母を殺してしまう。家に閉じ込めた上に殺してしまう。

 母は家の前で立っていた。今にも隣家の火が移ってきそうな玄関の前で、母は手のひらを天に開き、落ちてくる灰を受け止めようとしていた。

 軽いやけどを負った母は、雪の季節の間を病院で過ごした。その治療がよかったのか、それとも、火事が母の中のなにかを変えたのか、春になり退院してきた母は、以前の母に少しだけ戻っていた。もう、「ご託宣」をすることはなくなった。

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はじめての雪(2)

2005年05月26日 | 語る!
はじめての雪(1)の続きです。

こうして、どんなお願いをされても、私はその度ごとに戸惑いながら、応えることになった。私がかなえた母のお願いは、いったい誰の希望がかなったこととして、母の記憶の中に残されていくのだろう。母は、一緒に寝て欲しいという望みを自分が持ったことをわかっているのだろうか。その望みを子である私に訴えたことを、記憶しているのだろうか。私がそれに従ったことは、どんな形となって、母の中にいるのだろうか。
 母が告げた雪の約束など、すっかり忘れてしまっていた火曜日のことである。「みっちゃん、今日は秋刀魚の大廉売だから、スーパーで買ってきてね。一緒に食べましょ。」との「ご託宣」があった。新聞を読まぬ母に、秋刀魚の値段などわかるはずはないし、「大廉売」という言葉も時代めいて可笑しい。だが私は、たとえ今日の秋刀魚がいくらで売っていようが、「お母さんの言うとおり、秋刀魚が大廉売だったわ。」というのだろう。
ここしばらくの習慣の通り、出かける前に玄関に鍵をかけた。いつだか、買い物に出た私を、「今日は、白い服でないと大変なことが起こるのよ。」と母が泣きながら追いかけてきたことがあった。裸足で髪を乱して走る姿に、私はすぐさま家に引き返し、「大丈夫、大丈夫よ。」と母をなだめた。そのような出来事が二、三度続いて以来、外出する時には鍵をかけるようになった。鍵の解除さえすれば中からも開けられるのに、不思議と母は、鍵を開けて追いかけてくることはなかった。近所の好奇の目を恐れずにすむようにはなったが、それに伴って、母の外出もめっきり減ってしまった。外に出ぬ人の居る家は、部屋の空気まで重く湿って、ぬるい。家から店までの五分の間、湿った表皮をはぐような清い北風の中を歩いた。それは、つかの間の正常な空気であり、歩くごとに身が軽くなるようであった。

その日の目玉商品は秋刀魚だった。鮮魚コーナーの前には、ゴム長の店員が、秋刀魚のパック詰めをワゴンに山積みにして、「秋刀魚、大廉売です。」と叫んでいる。奇妙な符牒が私の心の中に沈んでいった。
あれは急に冷え込んだ水曜日の朝だった。私は何ヶ月か前の母の言葉を夢の中で聞きながら目覚めた。
「今日は、柳のおねぇちゃんがくる気がする。」と母は確かに、あの時言った。「柳のおねぇちゃん」は、母のいとこである。その日の夕方、「りんごをいただいたから」と、柳のおねぇちゃんはやって来た。しかし、「気がする」という言葉を、単なる偶然と思った私は気にも留めなかった。そのころの母はまだ、「ご託宣」をしてはいなかった。じっと考え込む日が増え、話し掛けても聞いていないことが多くなり始めた頃であった。
 私はこの数ヶ月の母の言葉を残らず思い出そうとした。本気で聞くと腹が立ったり、情けなくなったり、寂しかったりしたので、忘れてしまおうと思っていた言葉を、一つ一つ頭の隅の方から出してきた。「気がする」といったもの、そして「ご託宣」。その両方に、本当になったことがいくつかあった。それらは、どれも些細なことで、偶然と言えてしまうものばかりだった。むしろ、私にお願いをするためにした母のこじつけではないか、と疑うものの方が多かったかもしれない。流しにごみが詰まっていること、夜に電話がかかってくること、夏風邪をひくこと。腕時計が止まっていると言い出したこともあった。その日の朝、時計が止まっているのに気づいてはいたが、古い手巻きの時計なので、その言葉にぎょっとしながらも、その言葉をやり過ごそうしていたのだ。

はじめての雪(3)に続きます。
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はじめての雪(1)

2005年05月25日 | 語る!
ちょっと、創作なんかしてみました。連載全3回です。


「ねぇ、みっちゃん、今年の初雪はね、来週の土曜日に降るんだって。ちゃんと気をつけてね。」母は布団の中で、固く両手を組んだまま、天井を見つめながらつぶやいた。いつ瞬きをするんだろうと思わせるほど、視線が動かない。私に話しているはずなのに、私が聞いているかなど全く関係のないような一言である。私はこれを、「ご託宣」と呼んでいる。
 母の「ご託宣」は、予期せぬときに、予期せぬ事柄について、降りてくる。「このあたりに空き巣がいるから、うちの電気は全部つけたままにしてね。」「今日の信号がどこでも青なのは、早く家に着くように神様がしてくださるからなのよ。」「テレビで、今日は新しくなる日だと言っていたから、古い服は全部捨てておいてね。」「私が外に出られないのは、私を汚そうとする悪い人が狙っているからなのよ。」
 残念ながら私には、空き巣のうわさも、テレビの忠告も、信号が教える神様のメッセージもわからない。ただ、電気をつけたまま眠り、古い洋服をこっそりと押入れに隠し、外出しない理由を母に問い正さぬだけである。
「ご託宣」を聞くようになってから、母は子供のように私に甘えるようになった。
「ねぇ、みっちゃん。お母さん、りんごの皮のむき方がよくわからなくなってしまったから、みっちゃん、やってくれないかなぁ。」昨日の母は、亀甲に切ったしいたけだけが五つも詰まった、おかしな茶碗蒸しを作っていた。りんごがむけぬはずはないのだ。そう思いながらも皮をむいて四つに切ると、「大きすぎて食べにくいから、もっと小さくしてくれないかな。」「昨日から腕が痛いから、食べさせてくれないかなぁ。」とお願いは増えていく。
「りんごぐらい、一人でむけるでしょ。」とでも言おうものなら、「そうよね。みっちゃんはお母さんなんて、もう要らないんだもんね。大人になったから、邪魔なんだもんね。お母さんの言うことは面倒なんだもんね。昔からずっと、みっちゃんはお母さんのこと嫌いだったんだよね。」と、泣くのだ。、泣きじゃくる母の求めるままに添い寝をし、私は母の髪をなでて眠った。母は誰に抱かれて眠っているのだろうと考えながら。

はじめての雪(2)に続きます。
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不幸のズンドコ

2005年05月23日 | 語る!
どんな天の廻りが災いしていたのか、少し前から調子の悪かったPCが、どんどん無愛想になり、パッタッと消えてしまうということが金曜から激しくなりました。スキャンしたり、メンテナンスしたり、これは駄目かもとバックアップしたりでばたばたしていたのですが、その日の夜のことです。仕事帰り、やれやれこれからまたPCの原因探しかと交差点で止まってバックミラーを見ると、そこには赤色灯を消したバトカー。「そこの踏み切り、一旦停止した?ハイ、空き地に止めてね」ってんで、減点2点、9000円でございます。土曜も不具合は続き、サービスセンターに電話してみると「混み合っておりますので受話器を持ったまま20分お待ちください」とのアナウンスを聞き、真夜中1時半じーーーっと受話器を握って待っておりました。その後、いろいろ試みてみてもやっぱり解決せず、とりあえず午前3時に就寝。たまの日曜にも関わらず近所のお葬式に参列し、その後もPCと戦い、何とか、復旧いたしました(と思います、とほほ)優しく教えてくださった、ぎふてぃじゅん吉さん本当にありがとうございました。帰ってきたよぉ、webの世界に。。。
この3日間はなんだったんでしょうか。へとへと、へろへろでございます。

こんな時こそ、宝くじでも買ってみっか。

(画像についてのご説明)
あまりに身も心もへろへろなので、今日は目先を変えて、村上隆の限定ポスター「カイカイキキ」の「フラワー」にしてみました。お茶碗同様、絵画もちょっとだけ持っています。   ハイ、底なしですね
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がんばれ、強いぞ、正義の味方

2005年05月19日 | 語る!
私はかつてカラオケ、マン喫は行かないという信条を持っていたが、いくらか前から、マン喫の常連になってしまった。きっかけは、無理やり浦沢直樹の「20世紀少年」を読まされたことにある。「絶対面白いから」と、1.2巻を渡され、はまってしまったわけだ。
「20世紀少年」の主人公たちは、大阪万博の頃、小学高学年。その点が共感を覚えながら読む要素になっているのかもしれない。
そうしてテーマは「正義」である。私たちは「正義」の時代だったかもしれない。こどもの頃に馴染んだものは「正義」のために身を捧げるものばかりだった。けして豊かとはいえない国の子達は、ひたすら「正義の味方」を応援しながら育ったのだ。大人になり、自分の倫理観を考える時、そのほとんどがマンガやら、テレビのヒーロー物やらから出来上がっていることに愕然とする。「それは許せん」の意味を考えると、ジャングル大帝やら、リボンの騎士やら、ジョーやらが体の中に巣食っているのに気付く。思想家とか、哲学者とかいうのなら、聞こえもよかろう。私の思想的バックグランドはサファイア姫です、とかって、ちょっとヘナヘナであるが、否定しようのない事実は事実なのである。
そして私たちは求めながら流離する。諸国流離が簡単になっている現代において、それはWEBの中かもしれないが。(流離譚については、またいつか。)


私たちは、正義と民主主義と自由と平等を教室で教えられ、マンガで読み、ヒーローから語られた世代である。時に戦後教育の失敗といわれることもあるが、捨てたもんじゃないぜ、同世代。
私は信じ続ける。
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