はじめての雪(1)
はじめての雪(2)の完結編です。続けてお読みください。
目の見えない人に、優れた音感を持つ人が多いという話を聞いたことがある。ダウン症の子は、誰も妬まず、穏やかに育つという。何かを取り上げられてしまった人は、その代わりのように何かを与えられるのだろうか。運命と呼ばれるものは、彼らに特別な持ち物を授けることによって帳尻を合わせようとしているのだろうか。信号の神様やら、テレビで話を伝える人は本当はいるのに、ただ、私に見えていないだけなんだろうか。母のような人々は、私の見えぬ何かが見えているのだろうか。今日は水曜、あと三日で雪の降るはずの日だ。
木曜日は、足元から凍っていくようで、雲は暗く重かった。微かに雪の匂いがする。この地方は、一度雪になると、長い間降り込められてしまう。だから私も、遠くの雪雲の匂いに敏感である。初雪は、開かれた世の中とお別れしなければならない日々の、始まりの日である。しかし、母を抱える私の生活は、雪の日が終わりも知れず続いているようであった。春はいつやって来るのか、いや、春という季節があるかどうかさえわからず、冬の日だけが過ぎていく。それでも、本当の雪が降るのを待っているようで、やはり、まだ降って欲しくはないような不思議な気持ちで雪を考えていた。今年の初雪は、「ご託宣」の雪なのだ。木曜の今日、雪が降ってしまえば、「ご託宣」に対する私の思いも晴れる。母はつながりのおかしい頭で、でまかせを言っただけなのだ。私に見えぬ形の真実を母が語っているなどと気にしなくてもよいのだ。その反面、土曜まで初雪がやってこなければいいのに、という気持ちが私の心のどこかに、ひざを抱えた子供のように黙って座っている。本当に土曜日に雪が降らなくてはいけないような気がする。そうでなければ、母があんなふうに生きている意味が何一つ残されていないようで、切なくなるのだ。
「ねえ、明日は初雪になるんだったよね。気をつけなさいって、お母さん言ってたよね。」堪らず、金曜に母に問い掛けてみると、
「あら、明日は雪だって天気予報で言ってたの。」と、母は自分が言ったことなど、全く覚えていない様子である。そして、金曜も暮れていった。
土曜の午後、私は買い物に出かけた。本当は、窓越しに雪が降っているか確かめるのに疲れてしまったのだ。いつものように鍵をかけながら、道の途中で雪が降り出したら、どうしようかと考えた。きっと、どうなりもしない。雪が降っても、誰も私の話をまともに聞きはしないだろう。でも、私はどうしても母の言葉を確かめなければならないのだ。
いつもよりゆっくり買い物をしたが、雪は降って来なかった。これ以上、家を空けるわけにはいかなかった。家の近くまでくると、ここ数日続いていた雪の到来を告げる匂いが、急に秋の匂いに変わった。枯れ草を焼く匂い。
その途端、白いものがふわふわと目の前に舞い落ちてきた。「はじめての雪だ。土曜の初雪。」そうつぶやきながら、私はそれが雪とは異なる動きであることに気づいた。白いものは落ちかけては、また少しだけその場に留まり、漂うようにまた、落ちる。「雪じゃない。」それは宙を舞う白い灰。私は駆けた。鍵を掛けてきてしまった。鍵を開けなければ、母は外に逃げられない。私が母を殺してしまう。家に閉じ込めた上に殺してしまう。
母は家の前で立っていた。今にも隣家の火が移ってきそうな玄関の前で、母は手のひらを天に開き、落ちてくる灰を受け止めようとしていた。
軽いやけどを負った母は、雪の季節の間を病院で過ごした。その治療がよかったのか、それとも、火事が母の中のなにかを変えたのか、春になり退院してきた母は、以前の母に少しだけ戻っていた。もう、「ご託宣」をすることはなくなった。
はじめての雪(2)の完結編です。続けてお読みください。
目の見えない人に、優れた音感を持つ人が多いという話を聞いたことがある。ダウン症の子は、誰も妬まず、穏やかに育つという。何かを取り上げられてしまった人は、その代わりのように何かを与えられるのだろうか。運命と呼ばれるものは、彼らに特別な持ち物を授けることによって帳尻を合わせようとしているのだろうか。信号の神様やら、テレビで話を伝える人は本当はいるのに、ただ、私に見えていないだけなんだろうか。母のような人々は、私の見えぬ何かが見えているのだろうか。今日は水曜、あと三日で雪の降るはずの日だ。
木曜日は、足元から凍っていくようで、雲は暗く重かった。微かに雪の匂いがする。この地方は、一度雪になると、長い間降り込められてしまう。だから私も、遠くの雪雲の匂いに敏感である。初雪は、開かれた世の中とお別れしなければならない日々の、始まりの日である。しかし、母を抱える私の生活は、雪の日が終わりも知れず続いているようであった。春はいつやって来るのか、いや、春という季節があるかどうかさえわからず、冬の日だけが過ぎていく。それでも、本当の雪が降るのを待っているようで、やはり、まだ降って欲しくはないような不思議な気持ちで雪を考えていた。今年の初雪は、「ご託宣」の雪なのだ。木曜の今日、雪が降ってしまえば、「ご託宣」に対する私の思いも晴れる。母はつながりのおかしい頭で、でまかせを言っただけなのだ。私に見えぬ形の真実を母が語っているなどと気にしなくてもよいのだ。その反面、土曜まで初雪がやってこなければいいのに、という気持ちが私の心のどこかに、ひざを抱えた子供のように黙って座っている。本当に土曜日に雪が降らなくてはいけないような気がする。そうでなければ、母があんなふうに生きている意味が何一つ残されていないようで、切なくなるのだ。
「ねえ、明日は初雪になるんだったよね。気をつけなさいって、お母さん言ってたよね。」堪らず、金曜に母に問い掛けてみると、
「あら、明日は雪だって天気予報で言ってたの。」と、母は自分が言ったことなど、全く覚えていない様子である。そして、金曜も暮れていった。
土曜の午後、私は買い物に出かけた。本当は、窓越しに雪が降っているか確かめるのに疲れてしまったのだ。いつものように鍵をかけながら、道の途中で雪が降り出したら、どうしようかと考えた。きっと、どうなりもしない。雪が降っても、誰も私の話をまともに聞きはしないだろう。でも、私はどうしても母の言葉を確かめなければならないのだ。
いつもよりゆっくり買い物をしたが、雪は降って来なかった。これ以上、家を空けるわけにはいかなかった。家の近くまでくると、ここ数日続いていた雪の到来を告げる匂いが、急に秋の匂いに変わった。枯れ草を焼く匂い。
その途端、白いものがふわふわと目の前に舞い落ちてきた。「はじめての雪だ。土曜の初雪。」そうつぶやきながら、私はそれが雪とは異なる動きであることに気づいた。白いものは落ちかけては、また少しだけその場に留まり、漂うようにまた、落ちる。「雪じゃない。」それは宙を舞う白い灰。私は駆けた。鍵を掛けてきてしまった。鍵を開けなければ、母は外に逃げられない。私が母を殺してしまう。家に閉じ込めた上に殺してしまう。
母は家の前で立っていた。今にも隣家の火が移ってきそうな玄関の前で、母は手のひらを天に開き、落ちてくる灰を受け止めようとしていた。
軽いやけどを負った母は、雪の季節の間を病院で過ごした。その治療がよかったのか、それとも、火事が母の中のなにかを変えたのか、春になり退院してきた母は、以前の母に少しだけ戻っていた。もう、「ご託宣」をすることはなくなった。