うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

はじめての雪(3)

2005年05月28日 | 語る!
はじめての雪(1) 
はじめての雪(2)の完結編です。続けてお読みください。

目の見えない人に、優れた音感を持つ人が多いという話を聞いたことがある。ダウン症の子は、誰も妬まず、穏やかに育つという。何かを取り上げられてしまった人は、その代わりのように何かを与えられるのだろうか。運命と呼ばれるものは、彼らに特別な持ち物を授けることによって帳尻を合わせようとしているのだろうか。信号の神様やら、テレビで話を伝える人は本当はいるのに、ただ、私に見えていないだけなんだろうか。母のような人々は、私の見えぬ何かが見えているのだろうか。今日は水曜、あと三日で雪の降るはずの日だ。
 木曜日は、足元から凍っていくようで、雲は暗く重かった。微かに雪の匂いがする。この地方は、一度雪になると、長い間降り込められてしまう。だから私も、遠くの雪雲の匂いに敏感である。初雪は、開かれた世の中とお別れしなければならない日々の、始まりの日である。しかし、母を抱える私の生活は、雪の日が終わりも知れず続いているようであった。春はいつやって来るのか、いや、春という季節があるかどうかさえわからず、冬の日だけが過ぎていく。それでも、本当の雪が降るのを待っているようで、やはり、まだ降って欲しくはないような不思議な気持ちで雪を考えていた。今年の初雪は、「ご託宣」の雪なのだ。木曜の今日、雪が降ってしまえば、「ご託宣」に対する私の思いも晴れる。母はつながりのおかしい頭で、でまかせを言っただけなのだ。私に見えぬ形の真実を母が語っているなどと気にしなくてもよいのだ。その反面、土曜まで初雪がやってこなければいいのに、という気持ちが私の心のどこかに、ひざを抱えた子供のように黙って座っている。本当に土曜日に雪が降らなくてはいけないような気がする。そうでなければ、母があんなふうに生きている意味が何一つ残されていないようで、切なくなるのだ。
「ねえ、明日は初雪になるんだったよね。気をつけなさいって、お母さん言ってたよね。」堪らず、金曜に母に問い掛けてみると、
「あら、明日は雪だって天気予報で言ってたの。」と、母は自分が言ったことなど、全く覚えていない様子である。そして、金曜も暮れていった。
 土曜の午後、私は買い物に出かけた。本当は、窓越しに雪が降っているか確かめるのに疲れてしまったのだ。いつものように鍵をかけながら、道の途中で雪が降り出したら、どうしようかと考えた。きっと、どうなりもしない。雪が降っても、誰も私の話をまともに聞きはしないだろう。でも、私はどうしても母の言葉を確かめなければならないのだ。
 いつもよりゆっくり買い物をしたが、雪は降って来なかった。これ以上、家を空けるわけにはいかなかった。家の近くまでくると、ここ数日続いていた雪の到来を告げる匂いが、急に秋の匂いに変わった。枯れ草を焼く匂い。
その途端、白いものがふわふわと目の前に舞い落ちてきた。「はじめての雪だ。土曜の初雪。」そうつぶやきながら、私はそれが雪とは異なる動きであることに気づいた。白いものは落ちかけては、また少しだけその場に留まり、漂うようにまた、落ちる。「雪じゃない。」それは宙を舞う白い灰。私は駆けた。鍵を掛けてきてしまった。鍵を開けなければ、母は外に逃げられない。私が母を殺してしまう。家に閉じ込めた上に殺してしまう。

 母は家の前で立っていた。今にも隣家の火が移ってきそうな玄関の前で、母は手のひらを天に開き、落ちてくる灰を受け止めようとしていた。

 軽いやけどを負った母は、雪の季節の間を病院で過ごした。その治療がよかったのか、それとも、火事が母の中のなにかを変えたのか、春になり退院してきた母は、以前の母に少しだけ戻っていた。もう、「ご託宣」をすることはなくなった。

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はじめての雪(2)

2005年05月26日 | 語る!
はじめての雪(1)の続きです。

こうして、どんなお願いをされても、私はその度ごとに戸惑いながら、応えることになった。私がかなえた母のお願いは、いったい誰の希望がかなったこととして、母の記憶の中に残されていくのだろう。母は、一緒に寝て欲しいという望みを自分が持ったことをわかっているのだろうか。その望みを子である私に訴えたことを、記憶しているのだろうか。私がそれに従ったことは、どんな形となって、母の中にいるのだろうか。
 母が告げた雪の約束など、すっかり忘れてしまっていた火曜日のことである。「みっちゃん、今日は秋刀魚の大廉売だから、スーパーで買ってきてね。一緒に食べましょ。」との「ご託宣」があった。新聞を読まぬ母に、秋刀魚の値段などわかるはずはないし、「大廉売」という言葉も時代めいて可笑しい。だが私は、たとえ今日の秋刀魚がいくらで売っていようが、「お母さんの言うとおり、秋刀魚が大廉売だったわ。」というのだろう。
ここしばらくの習慣の通り、出かける前に玄関に鍵をかけた。いつだか、買い物に出た私を、「今日は、白い服でないと大変なことが起こるのよ。」と母が泣きながら追いかけてきたことがあった。裸足で髪を乱して走る姿に、私はすぐさま家に引き返し、「大丈夫、大丈夫よ。」と母をなだめた。そのような出来事が二、三度続いて以来、外出する時には鍵をかけるようになった。鍵の解除さえすれば中からも開けられるのに、不思議と母は、鍵を開けて追いかけてくることはなかった。近所の好奇の目を恐れずにすむようにはなったが、それに伴って、母の外出もめっきり減ってしまった。外に出ぬ人の居る家は、部屋の空気まで重く湿って、ぬるい。家から店までの五分の間、湿った表皮をはぐような清い北風の中を歩いた。それは、つかの間の正常な空気であり、歩くごとに身が軽くなるようであった。

その日の目玉商品は秋刀魚だった。鮮魚コーナーの前には、ゴム長の店員が、秋刀魚のパック詰めをワゴンに山積みにして、「秋刀魚、大廉売です。」と叫んでいる。奇妙な符牒が私の心の中に沈んでいった。
あれは急に冷え込んだ水曜日の朝だった。私は何ヶ月か前の母の言葉を夢の中で聞きながら目覚めた。
「今日は、柳のおねぇちゃんがくる気がする。」と母は確かに、あの時言った。「柳のおねぇちゃん」は、母のいとこである。その日の夕方、「りんごをいただいたから」と、柳のおねぇちゃんはやって来た。しかし、「気がする」という言葉を、単なる偶然と思った私は気にも留めなかった。そのころの母はまだ、「ご託宣」をしてはいなかった。じっと考え込む日が増え、話し掛けても聞いていないことが多くなり始めた頃であった。
 私はこの数ヶ月の母の言葉を残らず思い出そうとした。本気で聞くと腹が立ったり、情けなくなったり、寂しかったりしたので、忘れてしまおうと思っていた言葉を、一つ一つ頭の隅の方から出してきた。「気がする」といったもの、そして「ご託宣」。その両方に、本当になったことがいくつかあった。それらは、どれも些細なことで、偶然と言えてしまうものばかりだった。むしろ、私にお願いをするためにした母のこじつけではないか、と疑うものの方が多かったかもしれない。流しにごみが詰まっていること、夜に電話がかかってくること、夏風邪をひくこと。腕時計が止まっていると言い出したこともあった。その日の朝、時計が止まっているのに気づいてはいたが、古い手巻きの時計なので、その言葉にぎょっとしながらも、その言葉をやり過ごそうしていたのだ。

はじめての雪(3)に続きます。
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はじめての雪(1)

2005年05月25日 | 語る!
ちょっと、創作なんかしてみました。連載全3回です。


「ねぇ、みっちゃん、今年の初雪はね、来週の土曜日に降るんだって。ちゃんと気をつけてね。」母は布団の中で、固く両手を組んだまま、天井を見つめながらつぶやいた。いつ瞬きをするんだろうと思わせるほど、視線が動かない。私に話しているはずなのに、私が聞いているかなど全く関係のないような一言である。私はこれを、「ご託宣」と呼んでいる。
 母の「ご託宣」は、予期せぬときに、予期せぬ事柄について、降りてくる。「このあたりに空き巣がいるから、うちの電気は全部つけたままにしてね。」「今日の信号がどこでも青なのは、早く家に着くように神様がしてくださるからなのよ。」「テレビで、今日は新しくなる日だと言っていたから、古い服は全部捨てておいてね。」「私が外に出られないのは、私を汚そうとする悪い人が狙っているからなのよ。」
 残念ながら私には、空き巣のうわさも、テレビの忠告も、信号が教える神様のメッセージもわからない。ただ、電気をつけたまま眠り、古い洋服をこっそりと押入れに隠し、外出しない理由を母に問い正さぬだけである。
「ご託宣」を聞くようになってから、母は子供のように私に甘えるようになった。
「ねぇ、みっちゃん。お母さん、りんごの皮のむき方がよくわからなくなってしまったから、みっちゃん、やってくれないかなぁ。」昨日の母は、亀甲に切ったしいたけだけが五つも詰まった、おかしな茶碗蒸しを作っていた。りんごがむけぬはずはないのだ。そう思いながらも皮をむいて四つに切ると、「大きすぎて食べにくいから、もっと小さくしてくれないかな。」「昨日から腕が痛いから、食べさせてくれないかなぁ。」とお願いは増えていく。
「りんごぐらい、一人でむけるでしょ。」とでも言おうものなら、「そうよね。みっちゃんはお母さんなんて、もう要らないんだもんね。大人になったから、邪魔なんだもんね。お母さんの言うことは面倒なんだもんね。昔からずっと、みっちゃんはお母さんのこと嫌いだったんだよね。」と、泣くのだ。、泣きじゃくる母の求めるままに添い寝をし、私は母の髪をなでて眠った。母は誰に抱かれて眠っているのだろうと考えながら。

はじめての雪(2)に続きます。
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不幸のズンドコ

2005年05月23日 | 語る!
どんな天の廻りが災いしていたのか、少し前から調子の悪かったPCが、どんどん無愛想になり、パッタッと消えてしまうということが金曜から激しくなりました。スキャンしたり、メンテナンスしたり、これは駄目かもとバックアップしたりでばたばたしていたのですが、その日の夜のことです。仕事帰り、やれやれこれからまたPCの原因探しかと交差点で止まってバックミラーを見ると、そこには赤色灯を消したバトカー。「そこの踏み切り、一旦停止した?ハイ、空き地に止めてね」ってんで、減点2点、9000円でございます。土曜も不具合は続き、サービスセンターに電話してみると「混み合っておりますので受話器を持ったまま20分お待ちください」とのアナウンスを聞き、真夜中1時半じーーーっと受話器を握って待っておりました。その後、いろいろ試みてみてもやっぱり解決せず、とりあえず午前3時に就寝。たまの日曜にも関わらず近所のお葬式に参列し、その後もPCと戦い、何とか、復旧いたしました(と思います、とほほ)優しく教えてくださった、ぎふてぃじゅん吉さん本当にありがとうございました。帰ってきたよぉ、webの世界に。。。
この3日間はなんだったんでしょうか。へとへと、へろへろでございます。

こんな時こそ、宝くじでも買ってみっか。

(画像についてのご説明)
あまりに身も心もへろへろなので、今日は目先を変えて、村上隆の限定ポスター「カイカイキキ」の「フラワー」にしてみました。お茶碗同様、絵画もちょっとだけ持っています。   ハイ、底なしですね
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がんばれ、強いぞ、正義の味方

2005年05月19日 | 語る!
私はかつてカラオケ、マン喫は行かないという信条を持っていたが、いくらか前から、マン喫の常連になってしまった。きっかけは、無理やり浦沢直樹の「20世紀少年」を読まされたことにある。「絶対面白いから」と、1.2巻を渡され、はまってしまったわけだ。
「20世紀少年」の主人公たちは、大阪万博の頃、小学高学年。その点が共感を覚えながら読む要素になっているのかもしれない。
そうしてテーマは「正義」である。私たちは「正義」の時代だったかもしれない。こどもの頃に馴染んだものは「正義」のために身を捧げるものばかりだった。けして豊かとはいえない国の子達は、ひたすら「正義の味方」を応援しながら育ったのだ。大人になり、自分の倫理観を考える時、そのほとんどがマンガやら、テレビのヒーロー物やらから出来上がっていることに愕然とする。「それは許せん」の意味を考えると、ジャングル大帝やら、リボンの騎士やら、ジョーやらが体の中に巣食っているのに気付く。思想家とか、哲学者とかいうのなら、聞こえもよかろう。私の思想的バックグランドはサファイア姫です、とかって、ちょっとヘナヘナであるが、否定しようのない事実は事実なのである。
そして私たちは求めながら流離する。諸国流離が簡単になっている現代において、それはWEBの中かもしれないが。(流離譚については、またいつか。)


私たちは、正義と民主主義と自由と平等を教室で教えられ、マンガで読み、ヒーローから語られた世代である。時に戦後教育の失敗といわれることもあるが、捨てたもんじゃないぜ、同世代。
私は信じ続ける。
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お大尽遊び

2005年05月16日 | 食う・着る・住む
私はだいぶ前から大人だ。仕事をしているし、家庭も家も車も持った。こどもの頃は心もとないことがたくさんあった。「誰かに頼らねばならぬ心もとなさ」というやつであろう。早く大人になりたいと思い続けた。誰か(親やら教師やら周りの大人やら)の気まぐれで生活を左右される子供なんて早くやめたいと思っていた。そうして私は大人になった。そうは言っても大人はそんなに面白いものではない。なんだかやっぱりこどもの頃の方が一つ一つの出来事が面白かったような気がしてしまうが、それがなぜなのか、大人の私はわからない。

そこで、ひとつ大人の遊びをしてみようと思った。
家庭も、家も、車も持っている大人の遊びって、どんなものだろうか...
よくはわからないが、とりあえず、「お大尽」をやってみよう。
まだ大人でなかった私が思う「お大尽」は、料亭でご飯を食べる人である。こじゃれた創作料理なんて問題外である。グルメを気取るこどもがいるところだからだ。(先日は先斗町で創作イタリアンを食べたが、「こども」だった)
「お大尽ご飯」のキーワードは「庭園」「番頭」「個室」である。
当地岐阜で「大尽遊び」をするにふさわしいところはどこだろう?私は幸せなことに食道楽の親戚を持ち「潜龍」「萬松館」は中学生の時経験済みである。また、「ひら井」は勤め先の慰安会で使ったことがある。しかし、それは「貰い飯」、やっぱり自分の懐から払う料理は経験すべきである。当然前の3つは候補である。
まず、手始めに敷居の低いところで練習してみた。「かいらん亭」である。そして、「後楽荘」「萬松館」へと、攻め入った。会社でえらいおじさんたちは、経費で食べているんだろうか!!!しかし、私は私のお金で食べる!!(と威張って言ってみるが、ランチどまり。可愛いもんだ。)仲居さんに部屋まで案内され、庭など眺める。「もそっと、ちこうよれ」「あれ、ご無体な」なんてことがあったりするんだろうかとどきどきするのも素敵だ。器もこじゃれていないとこがいい。「わかる人にはわかるのよ。あんたには私の価値がわかる?」という風情を持つ茶碗である。静かでありながら、挑戦的な器だ。(この点で創作料理屋とは大違い。えてしてケレンミだけの安いお茶碗なことが多い)お帰りはずーっと門のところでお見送りされる。
いい時代になったものです。世が世なら、私のようなものは、いくら大人になっても、こういうとこでご飯は食べられなかったでしょうに。
次のターゲットは、「ひら井」「潜龍」、そして、本丸「水琴亭」
.............ふと、考えた。お大尽でないのはいいことだ。こんなことでも日々を営む糧にできる。
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声の悦楽、音の愉楽

2005年05月14日 | 語る!
土曜の昼下がり、「義経」の再放送を見ながら、いい声だよね、と再認識。残念ながらタッキーではありません(何が残念かよくわかりませんが)。いい声の主はナレーションをやってる白石加代子。あの声は何でしょう。幾分古いイントネーションが入っているせいか、聞いているとアドレナリンが出てきます。「特別な声」をもって生まれてくる人がいるのかもしれません。そして、「特別な声」に磨いていく人がいるのかもしれません。世の中では、細川俊之とか、森本レオとかが、そんな声を持つ人として時に語られていますよね。
いい声は言語の器と、音としての波動の両方を持ち、二つが上になったり下になったりする。言葉の意味を聞いているのか、美しい音を聞いているのか、自分でもわからなくなってしまう瞬間は、声の悦楽です。耳で聞いているのか、頭で聞いているのか、それとも心の深いところで聞いているのかがわからなくなる瞬間です。昔のSFで宇宙人の言ってることがわかるってのを、テレパシーみたいにやってることってありますが、ちょっとそれにも似ています。ホーミーのように違う音域を聞いたようでもあります。
白石加代子の語り、美輪明広の歌(小さいホールで聞くと泣かされます。未来会館では、「朧月夜」なんて歌で、60くらいのおじさんおばさんも大泣きでした。私も泣きました。なぜか泣けます。ぐしょぐしょです。)ジャニス・ジョプリン、中島みゆき、清志郎、エゴラッピン、椎名林檎、風間杜夫、ヘレン・メリルなど、声の迷路に連れて行かれることがあります。お経や、祝詞、浄瑠璃というのもそんな要素を持っています。目を閉じて聞くと、音の流れの中から意味が浮き上がってくる瞬間があり、その中に巻き込まれて、ちょっとだけ天に通じたような気分になれます。変な薬物よりトランス状態かも。
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ペルルでトニー滝谷

2005年05月12日 | お出かけ
昨日はお休みだったんで、ペルルでトニー滝谷を見ました。本当に久しぶりの映画。ポイントカードを出したら、「お客様、期限が切れておりますから、新規でおつくりしますね」と言われてしまいました。1年以上見てなかったてことですね。映画も見ず、いったい何をしてたんでしょ。
「トニー滝谷」は、イッセイ尾形と宮沢りえの出てる映画です。村上春樹(実はあまり好きではありません。邦訳した「心臓を貫かれて」はすごかったけど)の原作を市川準監督が撮ったものです。凍てつくような「孤独」の寓話でした。小劇場でこのお芝居を見たら帰りのお酒がしみるだろうなって感じの。孤独であることより、自分が孤独であると気づき、孤独を恐れる方が、孤独なんでしょうというような。
宮沢りえちゃんはやっぱり、とってもとってもきれいでした。新しいりえちゃんの写真集『STYLE BOOK』(講談社)も、ほんとにおしゃれで可愛い。(サンタフェってのもありましたね。そういえば)一度見てください。いろんなイマジネーションを書きたててくれる写真集です。いろいろあったけど、あのお相撲さんなんかと婚約解消して本当によかったよね。Adult children(私にはUTADAと彼女はそう見える。)を上手に抜けた感じですよね。

この映画は結構前から見たかったんですが、都会でないと上映しないだろうとあきらめていました。そんな映画をやってくれるペルルはえらい!!単館上映の映画を岐阜でもちゃんとやってくれる心意気のある映画館です。しかも、共通駐車券もいただきました。その上、ロビーに無料コーヒーがおいてある!!(決して無料コーヒーの狙い撃ちをしているわけではありません。)
柳ヶ瀬に行ったのも久しぶりでした。寂しくはなったけど、かえって歩きやすくて今までとは違った意味で「いい街だな」って思いました。

今日のノリタケは、オーストラリア輸出用のトレイです。オーストラリア向けには、やっぱしカンガルーが多い。今日の記事とは、村上春樹とのカンガルー繋がりってことで。
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WANTED大ちゃんたこ焼き

2005年05月09日 | 食う・着る・住む
♪ひとつ人より力持ちぃ ふたつ故郷あとにしてぇ♪
何年も何年も前のお話です。毎週一度、夕方5時になると、よしみちゃんの大ちゃん音頭をとどろかせながら、ワンボックスがやってきます。
わがマンションの住民はこぞって窓から顔を出し、ダッシュで階段を駆け下りて、列に並ぶのです。
夫婦でやってくる、その名も  「大ちゃんたこ焼き」
親父は言う!
「5分以内に食べてねっ」
大阪ではきっと許されないであろう醤油味、外はカリカリ、中はとろっとろ
たっぷりのキャベツと、おっきな蛸をじっくり、最後に食用油をかけて転がすように焼き上げる。日本人を根底から転覆させる香ばしい醤油のにおい。
確かに、職人のたこ焼きは待ち時間も長いし、発泡スチロールの舟はちょっと溶けちゃってるけど、うまいことこの上なし。
辻本さんちはたこ焼きをおかずにすると言って買っていった。
たこ焼きが夕飯のおかず!!  ご飯一口、たこ焼き一口?  それとも、たこ焼きどんぶり??
   はっきり言ってカルチャーショックでした。
何でも、夫婦の師匠は市民病院の近くで屋台を出していたとか。夫婦の屋台は初詣の神社で店を開いているとか。そのうち、週に1度が、月に2度、1度と減り、私はそのマンションから越してしまって、何年も何年も再会していない。どこへ行ったのさ、「大ちゃんたこ焼き」
どなたか、ご存知ありませんか。また、アツアツ、カリカリを、あっちっちでハフハフしたいぞ。

上の画像はオールドノリタケのオイルビネガーボトルです。たこ焼き2個分ではありません。

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MOTHER

2005年05月08日 | コレクション
今日は母の日。mother's day ですね。
このブログのタイトル、mother-pearl、これについて少しお話をします。
正確な英語は mother of pearl。貝の内側の光った部分を英語ではこういいます。多分、真珠貝だけでなく、すべての貝の真珠層をこう呼ぶんだと思います。
そうして、お茶碗のラスター彩もmother of pearlと呼ばれています。
ラスター彩が多く用いられたのは、最近ではart deco 期の食器です。
1920年から1940年の間、森村brothers(日本陶器会社、いまのnoritakeです)は、多くのart decoの食器を、欧米に輸出していました。開戦になるまで、名古屋のおばちゃんや、お姉ちゃんが絵付けしたカラフルなキラキラの食器が海を渡ったのです。
貧しい国であった日本には売られず、豊かな欧米の食卓を飾ったのが、オールドノリタケです。
欧米から日本に帰って来たこれらの茶碗を「里帰り」と呼んでいます。意匠は、欧米風ですが、その中に日本のテイストが隠れています。
同じスタイルのマイセンなどと比べてみると、「里帰り」は日本が確かに職人の国であり、花鳥風月の国であったことを示しています。

上のC&Sは、artdecoへの過渡期のもの。アメリカではnipponと呼ばれているM-nipponのbackstampを持つノリタケです。ラスターは使われていませんが、盛り上げがされています。ちょっと大正ロマンっぽいですね。

私は泡沫コレクターですが、上戸でおなじみの会社の創業者もコレクターのようで、彼がオーナーのジュール(名古屋市内)という高級サロンのようなレストランにたくさん飾ってあります。オールドノリタケを見ながら、オールドノリタケのカップでコーヒーがいただけます。
でも、もしオールドノリタケでお茶が飲みたいって方!一声かけてくだされば、私がノリタケのカップ持って伺いますよ。

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2005年05月06日 | 語る!
この地方ではさっきまで激しい雨が降っていた。連休のダルダルの体にはちょうどよいお湿りってとこです。

さて、ここで質問です。


あなたは土砂降りの中、傘なしでいます。どうしますか。

A1急いで走り抜ける
A2ゆっくり雨にぬれて歩く
A3雨宿りできるところを探す。
A4入れてくれそうな人を探す。
A5パクル

単純な質問に人間性は出るかも!
当方は(A2)です。
そういえば、私はずっと傘を持たないで来たかもしれないなぁ。
高校のときは、傘なしでも急がないのを信条としていた。
傘を忘れて小走りでいくのは「貧乏くさい」と思っていたから。「武士は食わねど」ってことかもしれない。
そのせいか、大人になっても傘のない生活をおくることになってしまった。「傘下」というのは大きな傘の下で雨風から守ってもらうことなんだろうけど、大きな会社に守ってもらうことのない毎日を過ごしている。大手企業ボーナス比較なんて記事も「いいなぁ」って読むけど、それでも、ちょっとやせ我慢をし、雨宿りの軒下に小走りで駆けて行くようなことはしない。
多分、old fashon なんだろうけど
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ゴールデン貧乏ロード

2005年05月04日 | お出かけ
ゴールデンウィークも佳境。みんなが大枚はたいてレジャーに行くってのも、どうよ。そんな時、通はゴールデン貧乏ロード(うさと命名)ってのはいかがでしょう。

                  経路1
小牧キンブル
飴ちゃんから鎧まで。新品も中古も何でも有のお店。ないものはないけど、今日あるものが明日あるとは限らない、人の世の諸行無常を感じさせる品揃えです。客層もワールドワイドでいろんな言葉が飛び交います。。今日はガルシニアとか言う成分の入ったジュースのペットボトル20円でした。運がいいとただでもらえるイベントに巡り会うこともあり(以前ダンボール1箱の新品帽子をもらいました)お買い上げの方もれなく直営和菓子店のコーヒー無料券がいただけます。ちょっと時流にのれなかった食玩とかもあります。

                  経路2
びっくりらーめん
キンブルから国道を5分程度北上。関西のチェーン店でラーメン189円を食します。餃子のお持ち帰りは210円なんで、おみやにします。にんにくおろしを入れると結構いけます。

                  経路3
和菓子「
ラーメンでおなかもいっぱいになったんで、食後のブレイクにします。もう一度キンブルまで南下。先ほどもらった無料券でコーヒーをいただきます。45円のみたらしとか、63円の和菓子を足してデザートにしてみるのもいいです。

二人分でも500円程度でいけちゃいます。700円出せばおみやまで。
どう?ゴールデンでしょ!
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