うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

N先生のこと

2021年10月15日 | ことばを巡る色色
N先生。
N先生をテレビで見るのは、正直楽しく、興味深かった。
N先生の会見が頻繁に報道されるようになったのは、要職に就かれた時からだ。
発言がいわゆる、上から。目つきも悪い。
お前らみたいな馬鹿に何がわかるのだ、言うこと聞いてればいいんだよ感に溢れていた。
頭のいい私たちが決めてるんだけど文句あるのか感。パワハラっぽいよね。うんうん。
それはそうだよね。N先生は関西無双の名門N高校から、天下のT大に進学、キャリアになられたお方。
並の頭脳ではないというのは自他ともに認めるところだ。
皆なんて頭の回転が遅いのだ、イライラするぜ、胃が痛いぜと思っておられたことであろう。
よくあるお詫び会見で逆切れする社長にも似ている。
きっと、キャリアのお仕事の時もこのような口調で叱咤しイラついて部下や関係者に接していらっしゃったのでしょう。
そうして、それは当然のことであったのでしょう。なんせ、キャリアなのですからね。
しかし先生。全国に報道される会見で、その態度はいかがなものでしょう。
いくら国民があなたの計画通りに動かず、感染者が増えているからって、その、国民のためにやってやってるのに的な尊大な態度はいかがなものでしょう。
ネットでも、あれはないんじゃないの、国民を馬鹿にしてるんじゃないのてな意見が氾濫。
N先生の名で検索すると、えらそう、てのが検索ワードに出てきちゃう。
それもこれも、楽しくウォッチングさせていただきました。
しかーし、私は信じていましたよ、聡明なN先生のこと、エゴサーチしたりして、国民の非難メラメラにお気づきになることを。
期待にたがわず、先生は少しずつ、口調、言葉遣いをお変えになった。さすがです。
先生にとっては、国民に不快感を与えない態度などは容易なものでありましょう。
高齢者の方にもわかりやすく、ゆっくり丁寧な優しい口調で、国民に自粛協力を呼び掛けていらっしゃる。
一挙手一投足が国民にさらされ続ける時代であることを認識なさらず、いつまでも不遜な態度を変えない政治家先生とは違い、N先生にとって見せ方を変えるなんてお茶の子さいさいでございますね。
でも、先生、私にはやはり、先生が態度を変えたのと同じように、大衆に向きあう心持になられたのか、それともうわべだけ立ち回られたのか判断することができませんでした。先生の目は変わらず鋭いままだったからです。
そして、組閣により先生を会見で見る機会もなくなってしまいました。
本心にせよ、うわべだけのものであったにせよ、先生程度には立ち回ってくださる方でないと、政治も立ち行きません。いわんや、何度も泣く奴なんて願い下げです。
全然笑ってない目で、先生のような方がうまく立ち回りながら、誰かだけのための美しい日本ではなく、本当の意味での美しい天下国家とするために働いてくださることをまたウォッチングしたいな。そんなささやかな楽しい日々が来るのをお待ちしておりますよ
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看護と文化と

2021年10月11日 | ことばを巡る色色
しばらく、締め切りに追われる仕事が続き、無為の罪悪感からは解放されていたが、
追い立てられる日々に、いったい何に向かっているのだろうと思うこと度々。

そんな締め切りロードも終わった久々締め切りのない土曜、別々の場所で、看護の話と、文化の話を聞いて話して考えた。
看護の話はナイチンゲールについて。
ナイチンゲールは「白衣の天使」と呼ばれ、滅私、慈愛の人と思われているが、
実は医療計画を立て、看護施設の整備を訴え、ネゴシエイトし、運営したというもの。
調べてみると、ナイチンゲールは統計学者として認知されていた。
傷病兵の統計をとり、医療環境の整備がいかにされるべきかを統計を使って国に訴えた。
「かわいそうな人を助けましょう」だけではだめだということをよく知っていた。
方針を決める時、それも未経験の事態の中で、指針になるのは、やはり統計であろう。
例えばワクチン接種、感染症の死亡率と副反応の発生率を判断することが求められる。
どちらのリスクをとるかは個人の考えによるだろう。しかし、統計を無視した決定は
結局、「なんとなく」のものでしかない。
ナイチンゲールは、ボランティアの自己犠牲によって事が為されるべきでないとも言う。
関与するものが生活できるシステムが必要だと考えていたのは、マザーテレサも同様だ。
愛が地球を救うわけではない。
統計とそれに基づく計画と強い意志とが必要であり、自己陶酔は期間限定のものしか実施できない。
統計で看護を考え、奉仕者にも報酬が必要であると考えたナイチンゲールは冷淡なのか、クールなのか。
しかし、冷めた頭で考えたからこそ、多くの人を救う事業の継続を可能にしたのだ。

文化のこと
昨今の日本の文化活動が失速していることについて。
気が付いてみれば、日本は低賃金(ニューヨークテイクアウト配達員の最低賃金は1600円と知ったのは少なからぬショックだった)で、家電もハードもソフトも負け負けで、安いものしか売れず、かといって、文化も学問も世界基準から遅れ、これはもう後進国なんだろう。
先進国なんて思っていたのはひと時の夢幻だった。
知人はそれを、戦後日本がアメリカ万歳で文化を考えたからだというのだけれど、それはどうだろう。
文化は経済力、政治力とともに高揚するものだと思う。経済、政治で世界に伍すほどの力、気持ちがなければ、文化も衰退するばかりであろう。経済も政治も学問も文化も無血の闘いであろう。「がんばる!」なんて言葉は何もなさぬとナイチンゲールは知っていた。
先進国だとの夢を見ているうちに計略謀略の必要性を忘れてしまった。
五経をそらんじていた時代の人々には、知らぬうちに胸の中に計略謀略の大切さが刷り込まれていたのかもしれない。
まず、まずは、考えることだ。分析し、解釈し、そうして自分の頭と言葉で考えねばならない。
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