うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

育ったり、育てたり

2005年09月25日 | ことばを巡る色色
「共育」とか「親業」という言葉が最近使われているのを目にする。これらの言葉に共感される方が少なからずいらっしゃるとは思うけれど、どうも私は違和感を感じてしまう。違和感というより、単に、これらのコトバが好きではないという感情なのだろうけど。この都合のいい言葉で了解してしまっていいのかという思いが私の中にはある。
「育てる」というのは、本能的な行動である。生き物として生まれたからは、人はどうしようもなく、「育ててしまう」もののはずである。そんな「育てる」ことの中で、「おとうさん(おかあさん)も親として育っていくから、一緒にがんばりましょうね」なんていわれた子どもはいい迷惑ではないのかと思えてしまう。子どもは育つために生まれてくる。親を育てるために、そのお手伝いや、ともに育つ仲間として生まれてくるのではないはずだ。健やかに育てられるのは、子どもたちに与えられたの権利だ。意地悪な子も泣き虫な子も癇の強い子も落ち着きのない子もぼんやりな子も、みんなみんな。
私が子だったら、自分を育てることに、「共育」とか、「親業」とか名づけられるのはまっぴらごめんだ。結果として、きっと親は育つだろう。しかし、「毎日私も子に育てられている。一緒に育っている。」なんて、思ってほしくはない。
なぜ、その人たちは、この言葉を使いたがるのだろう。育てるということは、何も持たず愛するということであり、愛を知るということではないのか。なぜ、育てるということが、子ではなく、自分に向いてしまっているのか。

それとは違った意味で子を育てられない親がいる。子どもを育てられない大人がいる。

私は、子どもが苦手だ。幼稚園の先生になりたいと思ったことは一度たりとしてないし、小さい子の面倒を見るというのもよくわからなかった。でも、わたしにとって、この世界で一番辛いのは幸せでない子どものことを考えることだ。子どもを無垢で純粋だなんて思ってないけど、けして、子どもを傷つけてはいけないと思う。子どもは寄る辺ない存在だ。心細い身分だ。彼らは社会の中で一人で生きていけない。そんな人たちを一人ぼっちにすることは、人として許されないことだ。
それでも、いろいろな理由で幸せでない子はいる。あまりにも足らないために、あまりにも過剰なために。そんな子達を考えると、頭の端っこや、胸の裏側がピリピリと痛くなる。太い針で刺されたような痛みが走る。自分が真っ暗な場所に一人捨てられたような気分になる。
一人ぼっちの傷ついた子よ。もし私の声が聞こえるならば、立ち止まって聞いてください。
そんな大人は、捨てていいんだよ。
捨てるといっても、ずっと死ぬまでってわけじゃないから、今、そんなに辛い今は、捨ててしまえばいいんだよ。
君が、愛してほしいと思っている、愛したいと思っている、その人は残念ながら、それに応える力がない。本当に残念で悲しいことだけど、応える力のない大人もいるんだよ。君は捨ててしまうことに躊躇するだろう。愛されることをもっと待っていたいと思うだろう。愛されていると信じたいだろう。でも、悲しいことだけど、ちゃんとそれができない大人もいる。自分の親や教師がそういう人であることもある。そんなときは、一人で生きていく道を、一人で探したほうがいい。きっと、いつかは、それは君が、今の君くらいの子を持つ年になっているころかもしれないけど、いつかは、君をちゃんと愛せなかった「大人」も、すこしだけ、話の通じる人になっているかもしれない。それまで、君が待ってあげなければならないっていう、理不尽も、悲しいことだけど、ある。君は育て。愛してほしい人が、ちゃんと愛することがわかるまで、強く、育て。何よりも、君が君であることが大事なことだ。だから、捨てていいんだよ。

*予告* すみません。次回も「育つ」シリーズです。
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18 コメント

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時折… (ももぞう♪)
2005-09-26 01:59:35
ブログを拝見している“孤独”という文字が浮き出てくるのは…なんでなんだろう???と…思ったりいたしまする。うさとサン お友達とかお仲間 多い感じやし…オイラが孤独なのかしらん???



結果的に 親と子供は互いに存在することで成長を共にするのだろうとは思うのですが その中で「一緒に頑張ろう」と言われて 嫌だなぁ…と思う子供も居れば 「はぁ…んじゃ頑張ってね」と思う子供も居れば…と様々なような感じがしまする。



子供・大人と区別するよりも 人は人によって…デッカクなるのかなぁ…? うさとサンほど 脳が発達していないので 詳しくは解らないけれど 親事情でちょびっとだけ気苦労しているオイラとしては 捨てるより拾う努力をしたいのである。

勿論コレは 大きくなった今だから言える言葉なんですけれど…ね(^・^)b



ま…拾うたって 努力せにゃイカンとこが問題?なんですが…^_^;

トラウマもあるから ハードじゃぁぁぁぁ(苦笑)
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主体的に捉えればいいじゃん (けんちゃん)
2005-09-26 08:33:16
「共育」共に育ってしまっている。

「教育」教えたい!育てたい!
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共育 (bube)
2005-09-26 08:57:03
[共育]って言葉しりませんでした。

話のポイントがずれているかもしれませんが・・・

[共育] って、自己中な言葉ではなくて、

親として、育つという意味もあると思う。

親なんだぞーという、エゴではなくて、

自分も親として成長して行くんだという、

前向きな言葉としては、私は、好きかも。

育てる自身のない私の、逃げの言葉でもあるかも。

子供は親を選べないですから。

そんなこんなで、もう、息子は、20歳。

彼が、近い将来、父親になるかと思うと・・・

私は、彼を父親として、育ててはいないよねー。

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一人ぼっち (家主うさと)
2005-09-26 12:57:04
も♪さま

私、氷点下48度くらい孤独なのかもしれないです、も♪さま。

友達はいて、いい人たちで、揉め事もなく暮らしているけど、一人ぼっちって思ってるから、孤独かもね。も♪様には、わかっちゃうのね。

切れてしまわぬために、一時的に捨てることにしておくのが必要なときもあるんじゃないかと思ってるんです。いつかは、つながりたいからさ。
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けんちゃんちの子 (家主うさと)
2005-09-26 12:59:51
けんちゃん

みんながけんちゃんみたいなお父さんだったら、いいノにって思うよ。自分の子がすっごくかわいくって、育てたくって、教えたくって、そんな人ばっかだったら、いいのにね。

私もけんちゃんちの子になりたい。(もう、も♪様とmikitanちの子にも立候補済みだけど)
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共育 (家主うさと)
2005-09-26 13:04:54
bubeさん

共育って、結構最近聞きます。

私はちょっと胡散臭い言葉だなって思ってます。

でも、やっぱし人しだいだし、親子だって、相性とか、あるし。

絶対bubeさんとこは大丈夫だと思う!!

私がお邪魔してる人のとこはみんな大丈夫だと思う。

「父親として育てる」それは難しい!!

「誰かの夫として育てる」ってのも難しそう!
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うけた! (bube)
2005-09-26 15:22:11
夫として育てる・・・

息子を夫として育てるのは、

父親として育てるより、大事なことかも。

お嫁さん、みつからないと困るし、

逃げられても困るなぁ。



まずは、おとうちゃん、からだねぇ。

よく、だんなは、子供みたいとかっていうけど、

うちも、そんな感じ。

奥さんは、息子もおとうちゃんも、育てないと。

hahahahaha

おっと、そのまえに、おとうちゃんに

逃げられないように、自分が奥さんとしての

教育を受けなければ。。。

努力あるのみ。

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うさと!ママだよー (mikitan)
2005-09-26 18:12:09
親だって子供だったし、今も子供だったり・・



うさとさんの根っこのところに

ある何か・・・



時々怒りになって見え隠れしたり・・・・

にっこり笑って何も無く見せてたり・・・

氷点下48度?・・・・



朝携帯でこの記事見てから、心はなれなくて・・・



旨く言葉が見つかんないんだけど・・・



私はやっぱり子供に育てられてるって思う。

そう思ったほうが気持ち楽じゃん!

今が完璧の親なんていないんだもの。

人は死ぬまで成長するのさ

体は衰えても、脳の記憶力は低下していないんだってそれを引き出すトレーニングを怠けるようになるだけだって!



あれ脱線した!



世界中の人がおまえは悪人だ!といっても私はおまえを愛してる。。。



     ママより



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bubeさんへ (家主うさと)
2005-09-26 19:45:29
bubeさんはえらい!まだ、妻として育っていこうとしてるなんて!

そういう、清らかな思いって、まぶしくっていいなあ。

いい子は、夫としても、父としても、立派に通用する。どれかだけ駄目ってことはないもん。

bubeさんちの坊ちゃん、かっこよさそうだな。いいなあ。
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mikitanままへ (家主うさと)
2005-09-26 19:57:02
でっかい餃子、ごちそうさまでした。

おなかも心も満腹になりました。

あったかいmikitanのとこで、ぬくぬくです。

ありがとう。いまは、36.5度です。



思っていることは、こういうことです。私の孤独など、どうでもいいってこと。私はもう一人でどこでも行ける大人だから。ただ、小さい人たちにそういう気持ちを感じさせたくないってこと。そのために私に何ができるだろうかってこと、です。



でも、そんな大人のあたしにも、mikitanとこのご馳走は、心を売りそうになるほど、素敵です。
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