うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

花狭間

2007年11月20日 | お出かけ
随分気温も低くなり、うちの近くの銀杏もところどころ色づいてきた。日曜は紅葉狩など、と思ったのだけれど、里はまだまだ紅葉半ば。しかし、恒例の湯たんぽを出動させるほど、冬は近づいている。少し山に入れば色づきも濃かろう。はてさて、どこに出掛けたものか。去年うかがった谷汲の横蔵寺。高低差のあるお庭、お堂は紅葉狩のためである筈。横蔵寺まで登れば色づきもさぞやだろう。それとも久しぶりに明治村でも出かけようか。空は鉛色。雨が近い。広い広い明治村や横蔵寺に登る途中で雨に降られるのは難儀だ。やはり、多治見に行こう。数日前から、むらむらと虎渓山永保寺に行きたくてたまらない気分になっているんだ。お寺に行くのに、「むらむら」というのもおかしな話だけれど、岐阜にたった2ヶ所のの国宝の鎮座される虎渓山永保寺。隣の公園には随分前に行ったけれど、お寺が国宝だということを知らず、通り過ぎてしまったところだ。そうだ!今日はどうしても私は虎渓山永保寺に行きたいのだ!ネットで調べてみると、国宝のお堂2つと名勝庭園があるのに、静かな紅葉が見られるらしい。もう、止まらない。さあ、出発だ。
可児を通り、ヤイリギターを過ぎる頃には、ぽつぽつと雨が降ってきた。多治見市街では、もうどしゃぷりだけれど、引き返すわけには行かない。こんな雨の中、多治見の町は大きく渋滞している。一体皆さんどこにお出かけか?まさか虎渓山永保寺に紅葉を見になってことはなかろうし、陶器祭りでもないはずだし。
などの疑問を抱きつつ、山に入る。なんだか臨時駐車場まであったりして、そんなに人気なところでしたか、ごめんなさい、と思ったんだけれど、どうも様子が違う。和装のご婦人だらけ。臨時の看板には、庫裏完成記念茶会とある。偶然にも、そのような特別な日に、登山のような格好にウォーキングシューズで来てしまいましたよ、私は。

いやいや、どうもこれは仏縁。年に一度しか公開されない国宝のお堂の扉が開いているのだ!国宝裏表上下左右見放題!決まった拝観料も無し!これを仏縁と呼ばずしてなんと言おう。きっときっと呼ばれたのだわ、と、和装の方々の中をじっくり拝見させていただきました。紅葉にはちょっと早いけれど、お堂も、名勝庭園も伸びやかで凛としている。

花狭間 花の形に細工されている戸から黄に赤に色づき始めた木々が見える。
庭を抜けると清流が流れている。

大きな葉をつける銀杏も静かに燃える。


私をこの日にお呼び下さったあのお方に感謝。
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町家で聴こう

2007年11月17日 | ことばを巡る色色
今日は町家コンサートですよ。主催はトラスト岐阜さん。場所は、麩兵さんの旧店舗。ちょっと失礼して、七五三で賑わう伊那波神社さんの駐車場に置かせていただいて、歩いていこう。参道はしだれ桜。米屋町、吉照庵さんのある通りへと曲がる。シートで大きく囲われているのは、旧日下部邸。そっと覗くと重機が入っている。広く更地になった日下部邸跡は名残の煉瓦やら敷石やらがある。数年後には高野山と名古屋に移築されると、日下部家主さんの言葉が看板にされている。大事に移築されますよ、という報告と感謝の文面。愛されていた日下部邸(旧吉照庵)。私もかつて何度かお蕎麦を頂いた。何もなくなってしまって、こんなにも広いお屋敷だったとわかる。なんだか、泣けてしまった。お隣の日下部邸洋館である石原美術のアールデコのエントランスは健在だ。ちらりと覗くと吊電燈、ステンドグラス、階段、何もかもが美しい。向かいは最近できた豆腐茶屋万福さん、桂翠館さん。どちらも古い建物を用いていらっしゃる。蟹料理のひら井さん、そうして憧れの水琴亭さんの前を通る。水琴亭さんの開いた門から市松の襖が見える。細い路地を入ると麩兵さん。
         
こんにちは。お邪魔します。
あら、商いの看板がかかっていますよ。
         
入場料300円のコンサートなのに、麩兵さんの生麩ぜんざいのおみやげつき。
お座敷は南向きの中庭に面している。その西にはお蔵。
車座になり、フルート、セロ、キーボードの方々のセッションを聴く。なんとなんと贅沢なことでしょう。

「エイジング」 ヘッドフォンなどの音のこなれをよくするために、数十時間か音楽を流すという作業がある。それをエイジングと呼ぶ。エイジングというのは「加齢」ということだけれど、それにより、出来立てでないよさが生まれるのだ。
この麩兵さんのお店。そうして今日歩いた、万福、石原美術、旧日下部邸、水琴亭、桂翠館。できた当初はどんなだったろう。それはそれで素晴らしかったろうけれど、エイジングされたこの建物たちは、エイジング故に、今、良き物、である。昨今エイジングは「アンチ」という冠をつけて語られるけれど、少なくとも、ここではそれは讃えられる物だ。多分私は、エイジングされているから、こうやって古いおうちを訪ね歩いているのだから。人のエイジングも斯くありたい(だからって、ただ漫然と歳を重ねているだけの人が大声で自己肯定をするのを聞くのは、気分の悪いものであって、上等な新しいものは、その上等さを正しく評価されるべきだと思うけどさ)
エイジングを活かしながら、古いおうちを保全修理し、使い続けることは本当に大変なことなのだろう。しかし、それは本当に美しい。文句なく、美しい。
入り口に箪笥が有った。切り抜いた菅原道真が貼られている。
            
私の日頃の行いを指摘するかのようにピンボケになってしまったけど、勉強、正直が大切なり と書いてあった。はい、私も精進いたします。

Thanks for おしえてくれたけんちゃん
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培養の海

2007年11月12日 | ことばを巡る色色
長いこと生きてきたせいか、最近は言葉で考えないことが多くなった。たとえてみれば、培養液の中に相互関係もなくキーワードがぷかぷか浮かんでいる感じ。それらを、自由に泳がせていると、狙い定めたように、幾つかを結ぶ言葉が与えられ、ああそういう風につながっているのだとわかる。そうしてそれは、言語のレベルでなく、培養液のイメージのレベルでなされるのだ。余り長く生きていなかった頃は、つなぐ作業が、「言葉」抜きではできなかったけれど、今は、色や匂いやを伴ったものとしてなされているようだ。そうそう、左脳でしていたのを、右脳でするようになったのかもしれない。
「知」というのは、本来そのキーワードを増やすということかもしれない。それが増えれば増えるほど、多様な結びつきが可能になり、一見すると関係のなさそうな物が、実はユニットを組むことによりソルートすることが可能になる。知識が少なければ、画一的な発想しかできない。
そしてそれらを、要素として浮かばせておくことが必要だ。敢えて結び付けようとすると陳腐なユニットになってしまう。放置しているようで、いつも心にかけておく、するとキーワードは蠢いて形を成していくのだ。その形成を感知するのは、やはり言語レベルでなく、右脳の方であり、その瞬間は数多の色が弾けるように、衝撃的で、魅惑的だ。
言葉で確認しながら物を見、知る。それは重要な作業だ。それにより知識は確実に自分のものとなり、理解の浅い部分がはっきりする。知識を厚く堅固にするには、得た知識を言葉で説明しなおしてみるという行為が有効だ。解った気になっていることと解っていることはやはり別物だからだ。しかしそれだけではいけない。同時に、それを大きくイメージでとらえ、培養液の中に丸ごと浮かべておかなければならない。この作業が、イメージで理解し言葉で記憶するという逆の物になってしまうと、不安定な知識・硬直した発想になってしまう。
知識はアトラクティブなものだ。キーボードやジョグなどなくとも、体一つで極彩色の世界が味わえる。特に、うごうごと浮かんだ物がくっつこうとしている時はhighな世界だ。

先日、民俗学の講座を聞いた。
キーワードが、増えるのは楽しい。
遷都 海の民 養蚕 数寄 黒 帝の庭 山人 秦氏 塗椀 常世 鹿ぞ鳴く 
触媒はもののけ姫?
説明は不能。次にみえるのはどんな世界だろうか。 
   
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紛れ込んだ毒

2007年11月08日 | ことばを巡る色色
薬害肝炎訴訟に和解勧告というニュースを見た。フィブリノゲンというのは止血剤で、大きな手術という稀な体験のみでなく、出産時の大量出血という比較的頻度の高い場合にも用いられる。つまり、誰もが、経験する可能性、つまり原告側に名を連ねる可能性のある出来事である。あなたも私も、知らずに止血剤を打たれる母、その夫、その子、その友になる事件である。そして、厚生労働省の公開している医療機関一覧を見て、少なからず驚愕した(クリックして、どうぞお住まいの都道府県の医療機関をご覧ください) 私が目にする、あの公立病院も、あの産婦人科も、名前がついている。誰にもその危険は、近くにある、そうして不幸にして身の中にある場合もあるのだ。
フィブリノゲンを作っていた製薬会社は、今はなくなってしまった「ミドリ十字」(現在は田辺三菱製薬)である。あの、血液製剤で薬害エイズを引き起こした会社である。どちらも安全性が保証されない血液を使い、危険性が指摘された後もその薬は使用され続けた。「ミドリ十字」は、関東軍防疫給水部の人々によって作られた会社である。それは、京都大学医学部の学閥に絡み、そうして暗黒の731部隊に繋がる。かれらは731部隊の「実験結果」を米軍に売ることにより戦争犯罪裁判を逃れたわけだが、その後の彼らは、このように、市井で「実験」を繰り返した。ある時は名古屋の児童施設で、ある時は自衛隊で。彼らの「実験」への渇望は麻薬のように彼らの精神を蝕んでいたのかも知れない。混合ワクチンによる無菌性髄膜炎。上記の薬害エイズ、薬害肝炎。
なぜ、厚生省、厚生労働省はそれを止められなかったか。
それは、厚生省、厚生労働省と彼らが密接に繋がっているからである。日本医師会とも、である。そうして、官僚の天下り先となり、市民の安全は蔑ろにされた。薬を使って病となる矛盾。罪深き者が医を、政と利で操る矛盾。彼ら「同士」が、密やかに、大胆に、この国の人一人一人の健やかさを握っている。
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雑器親しむ候

2007年11月07日 | ことばを巡る色色
私の祖父は大工である。私は幼い頃、祖父の現場によくついて行った。土に藁を入れて練ったり、鉋屑でままごとをしたり、母屋横の作業場の中で木っ端を拾ったりして過ごした。多くの大工のご多分のもれず、若い頃から祖父は骨董道楽だった。大工の手間賃は掛け軸と茶釜などということもあった。母はそれゆえ貧しかったと嘆いたけれど。奥座敷には、抹茶茶碗やら、掛け軸やらが仕舞われていて、盆正月に親戚が集うときには、その薄暗く湿った奥座敷で、お茶会ごっこがなされる。鉄斎などがあったように思う。志野だの乾山だの織部だのという言葉をわかった振りをして聞いていた。新し物好きでもあった祖父は、最新の電化製品なども買い求めてきたけれど、私が覚えているのは、岩絵具のセットだ。水で薄くのばすと、どれかの軸で見たような、南天やらがそれらしく描けるのだ。祖父は庭を「つぼのうち」と呼んだ。よくその掃除を祖父に頼まれたが、わたしはそれが嫌いではなかった。いろいろな形のいろいろな木の葉。作業場からは檜を刻むよい香りも流れてくる。あの頃は棟上も豪勢で、いくつもの折り詰めに鯛やら赤飯やら盛り込みやらがつめられていた。
私はずっとずっと、思い出せないほど前から茶碗狂いであり、骨董狂いである。うちの血族のほとんどがそうであるように、多分それが血肉になってしまっているのだろう。
ずっと気に入って使っている染付けは、会社勤めを辞め大工になった叔父にもらったものだ。叔父もどこぞのお蔵に行っては器やら軸やらを仕入れてくる。やはり血筋と言うものだろう。
         
漬物を盛る。煮物を盛る。生野菜を盛る。
しばらく骨董市に行ったりもしたけれど、ある時から、古い茶碗は好きなのに、骨董市とか骨董屋が駄目になってしまった。
「澱」のようなものに耐えられなくなったのだ。
茶碗は雑器がよい。ファミリーフレッシュとかママレモンとかですっぱり洗って、できたて、切りたてのおかずを盛る。その中で、茶碗は、そう不思議なことだけれど、いよいよ新しく清清しくなっていく。
茶碗は雑器。雑器こそが茶碗の矜持。毎日の暮らしの中で、拝みたくなるように清らかになる。また、そんな器でなければ、使う値打ちはない。
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11月の禁

2007年11月05日 | ことばを巡る色色
またぁ?と言われそうだけれど、またまた京都に行ってきました。だって、だってさ、年に一度の冷泉家の特別公開だったんだもん。あの、冷泉家。同志社のへこんだ部分、御所の北にいつもは固く閉ざされている門が、ぎぃぃと開くんだよ。じぃっとしてられようか。前回相国寺に行ったとき、穴が開くほど見つめ、一体、やんごとなき冷泉様のお宅はいかがお過ごしなのだろうと思っていたのだけれど、当然ながら、塀に穴は開かなかった。だがその門が、4日間だけ開くのである。はやるはやる心。いっちゃいましたよ。だからね、今出川まで。
     

御所の方々がお江戸に引っ越しても、北の玄武を掲げてお留守居をしている冷泉さんのお宅。泉湧き古筆眠る所。

おお調べてみると、ちょうど御所は秋の一般公開。以前にも御所見学はしたんだけれど、一般公開の日は特別に開くお部屋があり、襖絵なども見せていただける。
     
バスをしたててやってくる善男善女。高御座を拝む人。試食し放題のおみやげやの屋台(もちろん御所のお外ですよ)京の都は昔も今も、憧れの都なのだ。

今回の京都行きは盛りだくさんで、実は冷泉家だけが目的ではなくって、御所だけが見所ではなくって、長い長い列を覚悟しながらやってきたのは、京都国立博物館
     
ライトアップされた片山東熊博士の設計、麗しの本館。日曜5時過ぎに並び始めたのに、待ち時間は60分。
仕方あるまい、早世(確かに過労死かも)の天才、「狩野栄徳」展。緻密にして豪胆。端正ながら急進的。天下布武が為ったなら、私もこの絵師にどんどん絵を描かせ、屋敷を飾りたいと思う。そんな天賦の才。天下人の無理難題も、あらよっとこなしてしまい、その注文を超えた衝撃を表現したであろう。

おいしい京料理も頂く暇はなかったけれど、「11月に京都に行くな」の禁を破った濃い秋の日でございました。(まだ紫の枠入りだけど、後で手直し予定なり)
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文六ちゃんとチーと

2007年11月03日 | ことばを巡る色色
昨日、見るともなしにつけていたNHKで、新美南吉をやっていた。浅野温子氏が、「狐」という話を朗読していた。初めは聞くともなしに耳に入っていただけだった。「狐」の主人公の文六ちゃんは仲のよかったお友達から、夜に新しい下駄を下ろしたということで、「狐憑き」かと思われてしまう。自分でもだんだんそんな気がしてきて、「こんこん」と咳が出る。考えれば考えるほど、自分がお友達たちとは違ってしまった気がしてしまう。そうしておかあちゃんにどうすればいいのと泣いて尋ねる。

南吉は結核で夭逝している。29才であったそうだ。自らに責がなくともある日、人は「狐」になってしまう。されてしまう。本当に怖いのは、「狐」だと思われていることなのか、それとも、自分が「狐」かも知れぬと思えてしまうことなのか。こんこんと咳をする南吉も、自分を「狐」と思えてしまったのか。
ある日気づく。「狐」である自分。凍りそうに恐ろしいことだけれど、誰も自分が「狐」でないという証明を持ち合わせていない。ただ、それに思い至ってしまうかそうでないかの違いでしかないのだろう。

文六ちゃんのおかあちゃんは、私も文六ちゃんと同じ狐になるよと言う。そうして、猟師の前でびっこを引いてゆっくりゆっくり歩くから、文六ちゃんはその間に逃げるんだよと言う。
自分の大事な人を本当に救おうと思えば、自分の命を投げ出すしかないということか。それほど、「狐かも知れぬ人」は非力である。そうやっておかあちゃんが身を投げ出して助けても、文六ちゃんはそれからは一人ぼっちなのだ。しかも、「狐」であり続けなければならないかもしれないのだ。

この「狐」という話が、育児セミナーのようなところで人気だそうである。若い母達は、この話に何を思っているのだろうか。育児の専門家らしき人はそれを歓迎すべき新しき流れのように語る。それもなんだか違っているような気がする。
愛するというのは哀しいことだ。
セミナーにはそれが抜けているような気がする。
とはいえ、私は、若い母や、若くはない母や、母でも父でもない人がこれを読んでくれるのは、いいな、と思う。人は「狐」になってしまうことがあって、それは、ヒューヒューっとさむいかぜが吹くように、心細いことで、それを助けようとしてくれる人がいて、でも、それが完全なる解決策にはなりえないという、どうにもこうにもできぬことの中で生きていかねばならぬ、愛していかねばならぬということが、そこにはあるからだ。

「モーニング」という雑誌を毎週読んでいる。なかなかの秀作ぞろいなのだけれど、柄でもなく、「チーズ・スイート・ホーム」が好きだ。初めは、チ、猫漫画だぜ、と思っていたのに、最近は、嗚咽しながら読んでいる。こういう読み方をするのはおかしいのかもしれない。何も、哀しいことは書いてない。子猫のチーの話しなだけだ。チーは迷子になって、でも元気に「チッチッ」とミルクを飲んだり、散歩したりしている。何が泣けるのかって、多分、その心細さ、だろう。まっさらな人生の。何者かわからぬ心細さ。寄る辺ないこどもだった自分と、そうではなくなったはずの大人の自分がないまぜになっている。

今月は児童虐待防止推進月間で、シンボルカラーはオレンジだそうだ。「狐」と同じ色だ。
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