川の流れ
母なる大自然からその開かれた秘密の啓示を受け始めた者は、
彼女の最も大切な解釈者に、
すなわち芸術に、
抗しがたい憧れを感じるであろう。
ゲーテ
自然に奉仕する芸術 フローフォームの物語
マーク・リーグナー ジョン・ウィルクス監修
自然のリズム[律動]
ジョン・ウィルクスは、テオドール・シュベンク(1910-1986)の仕事からフローフォーム・デザインの霊感を多くひきだした。西ドイツ流体科学研究所のシュベンクの下で、彼は学んだのだった。『感覚できる混沌』(邦題は『カオスの自然学』工作舎、1986年)で、シュベンクは、流れる水は「絶えず球の形態に戻ろうと努めている」と記している。静止した水は、水滴の完璧さでこの形態を採るが、運動中に球の形態は部分的にしか実現しない。渦はある意味で、球への「憧れ」だが、一瞬しか存在せず、混沌に返っていく。
川の蛇行は円環性への傾向のもう一つの実例として見ることが出来る。「円環を完結しようというその努力はここでは部分的にしか成功しない。川は出発点に逆流出来ないからだ。そう出来ないから、その循環運動の最初に水は下流に引き寄せながらも、この下降に従って両側に交互に揺れるのである。」ほぼ平野に至ると、川の蛇行は非常に強化されて、その弧が実際主流から弾き出されて、牛の角形の湖「三日月湖」を形成することもある。
ギリシア語の"maiandros"を語源とする"meander"すなわち蛇行は、右に左に律動的に揺れることであり、自然の最も調和した形態の一つとなる秩序だった左右の運動なのである。
蛇行の律動「リズム」は河川の個々の性質と切っても切り離せないものだ。広い渓谷で川は振幅の大きい曲線で揺れ、一方狭い渓谷では「もっと速い」律動「リズム」で左右に揺れるものだ。野原を流れる小川はたくさんの小さいためらいがちな蛇行を示すだけだ。流れとそれを取り巻く地形は必ず一心同体で、植生は両者を結び付け、生きた統一体にしている。それに比べて、人工的に直線にされた河川は、生気を失い荒涼として見える。それは、生きた自然のリズムと共に動く方法がもはや分からなくなった人々の魂の心象風景だと言える。
(テオドール・シュベンク『カオスの自然学』)
フローフォームは、水が螺旋の渦を描いて律動的に動くことを可能にすることによって、水がダイナミックなポテンシャルを絶えず表現することを、許すのだ。
マーク・リーグナー

