いのちの煌めき

誰にだって唯一無二の物語がある。私の心に残る人々と猫の覚え書き。

私と父の物語2

2023-03-23 12:51:00 | 日記
父親に関して、最近、わかったことがある。
私の父は「これをしてはいけない」と言われると、かえって、それをしてしまう人。禁止事項の方に、引っ張られていく人だと思う。
そうそう、、お笑い芸人のプラスマイナスさん、知っておられるかな? あの岩橋さんという人も、そういうタイプの人だと思う。私の父も、あんな感じ。
やってはいけない…と言われれば、言われるほど、それをしたくなる。禁止事項を繰り返し、繰り返し、何度も念を押されたら、どうしてもその禁を犯したくなるという、あの症状。

今思うと、先のブログに記した携帯ショップの件も、そういう事の一つだったのだと思う。
「私も一緒にいくから、絶対に一人では行かないで…」と私は父に何度も念を押していた。でも私に、繰り返しそう言われると、余計にその言葉がトリガーとなって、父の行動を反対方向へと誘導してしまったのかもしれない。

もし本当にそうなら、今まであった、家族間のトラブルや、その他の色んな出来事も、なんとなく辻妻が合ってくるような気がする。

神経過敏で潔癖症な母の気持ちを、わざわざ逆撫でするような事をしたり、結果、母を激怒させたり、そして、自分では事の収集が出来なくなって、私を巻き込んだり、そういう家族ゲームを私は子供の頃からずっと、父に仕掛けられていたのかもしれない。

これまで私は、私の人生脚本のモーターは、母だと思い込んでいたけれど、子供時代、怪物のように怖かった母の行いの、そのキッカケを作っていたのは、実は父だったのか…

してはいけないことを、どうしてもしてしまう父、その父が母の爆発スイッチを、いつも押していた。なぜだろう?と、私は子ども心にも思っていた。そんなことを言ったり、したりしたら、絶対、母が怒り狂うのはわかっているのに、なんで、いつも父は、そういう事をするのだろう?と。
子供だった私はただ、巻き添えになっていただけなんだな… あの夫婦の問題の。

たいていの場合、子供には逃げ場がない。

頑張ったと思う、小さかった頃の私も、今の私も。
でももう、そろそろ私は、こんな茶番劇の家族ゲームからは退場させてもらおう。 

大人なら、大人らしく振る舞うべきだ。
自分の機嫌は、自分で直すもの。

父も母も、そうすればいい。
いつまでも、自分の子どもに、自分の心のお守りをさせたりするのは、いかがなものかと私は思う。

私と父の物語1

2023-03-23 11:23:00 | 日記
実家の父(80代)から、電話があった。
今まで使っていたガラケーの携帯電話を、スマホに変えたという連絡。
それだけなら、普通のことと、だれもが思うのかもしれないけど、私は、それを聞いたとたん、猛烈に腹が立ってきた。

約束していたんです。
そろそろ、父の携帯電話の機種交換をしないといけないことは、私もわかっていたから、今回の新型コロナの諸々が落ち着いたら、一緒に携帯ショップへ行こうねって、話していたんです。

父も高齢になっているし、一人で出掛けて行って、ショップ店員の言いなりに、高額、高機能の父には不釣り合いな品物を買わされてはいけないし…と娘なりの思いやりの気持ちでした。
何度も、父にも母にも話していたのに…
私に一言の相談もなく、「買い換えた」という連絡と、案の定、使いこなせなくて、今、とても困っているとのこと。

私はスマホじゃなくて、ガラホというほうを、勧めるつもりだったのに。
ガラケーしか使えない高齢者が、今さら、普通のスマホを操れるとは、到底、思えない。
末端の携帯ショップも、あくどいと思うけど、機種変更を余儀なくする大元の携帯電話会社にも、すごく苛立つ。
私自身も、通話は断然、ガラケーの方が使い易いから、未だに、昔から愛用しているガラケーを手放してはいない。通話料金も安いし、重宝している。それでも、いずれかは、ガラホに買い換えないといけないのだか…
とにかく今、私は、父にも、携帯電話会社にも、ものすごく腹が立っている。
そして、こんな嫌な気持ちを味わいながら、「なんで、私、こんなことで、無性に腹が立つんだろう?」と考えてみた。

すると、フワっと、子供の頃の嫌な思い出が蘇ってきた。
父はよく、私との約束を反故にしたことがあったのだ。

子供なりに、とても大切にしていた約束を、父のどうでもいいような自分の気まぐれで、いとも簡単に破ったことが、何度もあった。
そのことで、傷付いていた私の中のインナーチャイルドが、今また、同じようなことをされて、怒り狂い、泣き喚いたのだと思う。
「嗚呼、、私は心の奥底に、こんな傷も持っていたのか…」と、新たな発見をした。

母との関係性の方が、深刻で複雑だったため、時間と労力を費やしたが、その分、父とのことは、後回しになっている課題が、まだ、いくつかあるんだな…とわかった。
傷のありかがわかれば、その傷を癒すのは、そんなに難しくはない。大人になった私が、小さな子どもの私を、抱きしめて、慰めてあげればいいだけだから。

父は最近、物忘れが強くなっている。認知症の始まりだろうと、私は感じている。
また、なるべくして、なっている…とも思う。
父は昔から、物事を自分の都合の良いようにしか見ない人だった。それは、若い時から、そう。認知の歪みのある人だったのだ。
私が、病気を患って、辛い思いをしていても、「お前は、いつも元気やな」と平気で言う人。
「そんなことないよ、私も今、病気になってて、しんどいんやで」と病状の説明をしても、心の中には入っていかない。自分の見たいものを、見たいようにしか見ない人。
また次に会った時には必ず、「お前も、お前の家族も、みんな元気やな」と言う。
「私、今、難病指定患者やで」って、また答えても、「あっ、そうやったかな?」と言うけど、その言葉は父の心には残らない。それは、認知症になるずっと前からそう。
そういう認知の歪みを使って、父は父なりに、自分の心を無意識に守ってきたのかもしれない。最近の私は、そう思う。でも本当は、親に心配してもらえない子どもって、切ないんだよ。