いのちの煌めき

誰にだって唯一無二の物語がある。私の心に残る人々と猫の覚え書き。

ひろ子さん

2023-05-18 08:05:00 | 日記
ひろ子さんは80歳代、女性。猫好き。キジトラのオス猫を飼っている。背中が大きく曲がっていて、認知症はない。

前屈みに歩く姿は老婆のようだが、ハキハキとした口調と表情豊かな面差しには、妙に艶っぽさがある。何となく…水商売の経験があるのかな?と感じた。
それとなく話題を投げかけても、ひろ子さんは笑っているだけで、自分については、あまり多くを語らない。

ただ、ひろ子さんの人生の多くの時間には、経済的な貧しさが付きまとっていたようだ。だからといって、捻くれたり、いじけたりしていないのが、ひろ子さんの魅力の一つ。足るを知る。
最低限、必要な物だけで、つましく潔ぎよく生きている。そんな生き様が滲み出ている。

ある日、ひろ子さんのお風呂介助の時、左側の乳房に大きな傷跡がある事に気がついた。
「ここ、どうしたん?」と聞いた私に「玉んこがあったんよ、しこり。それで、自分で絞り出したんや」って答えてくれた。
それは、私の理解の範疇を越えていて、はじめは意味がわからなかった。よくよく聞いてみると、どうやら、乳癌らしきもののしこりを、自分で乳房を切開して、取り除いたということだった。驚愕の出来事。本当にそんな事が出来るのだろうか?いや、しかし、ひろ子さんは実際にそうしていた。大きな傷痕だった。
「痛かったやろ?」と聞く私に、「そりゃ、痛いのなんのって、ものすごく痛かったわ、ドロっとした、コーヒー牛乳みたいな色のもん、いっぱい出てきたよ、それをこう、ギュウギュウ絞りだしたんや」と話してくれた。

おそらく、貧しくて、また相談出来る人も誰もいなくて、それで病院にも行かず、追い詰められるようにして、自分でそんな事をしたのだと思った。そう思ったから、私は「何で、病院で手術して貰わんかったん?」とは言えなかった。
そんなひろ子さんは、童謡ななつの子を聴いた時、人目も憚らず号泣した。お母さんを思い出したそうだ。

かわいい、かわいいとカラスは鳴くの、かわいい、かわいいと鳴くんだよ。山の古巣にいてみてごらん、かわいい七つの子があるからよ。

フルートの音色が、ひろ子さんの心を溶かしていった。