いのちの煌めき

誰にだって唯一無二の物語がある。私の心に残る人々と猫の覚え書き。

博さん

2023-05-10 01:50:00 | 日記
博さんは70歳代、男性。脳血管性麻痺の為、両上下肢に麻痺がある。特に足が全く動かない。大柄で体重は80kくらいあり、ほぼ寝たきりの状態。軽度の見当識障害はみられるが、意思疎通は可能。

博さんは60歳前半で発病し、身体に麻痺を負った。この時、再婚していた外国人の奥さんと2人暮らしだった。前の奥さんとの間には、子どもさんもいたようだが、今は音信不通となっている。おそらく、元の家族を捨てて、駆け落ちのような形で今の奥さんと一緒になったようだ。
博さんも、身体に刺青こそ入っていないが、元暴力団員だった。左手の小指と薬指の先が欠損している。それから極めて下世話な話だが、性器の中に真珠を数個埋めていた。
私が介護の仕事を始めた数十年前には、海千山千の看護助手経験者が何人かいて、彼女達は新しい入居者が入ってくると、たまに囁く言葉があった「今度の人は、三点セットよ」と。三点セットとは、刺青と指の欠損と性器の真珠のことだった。当時の暴力団員は、そういうことをしている人が多かった。加えて言うと、暴力団関係者は国民年金保険料なんて一度も払っていないから、漏れなく生活保護受給者になって施設入居してくる。

博さんは一言でいえば、自己中心的な人。

施設介護は限られた介護者で、数十人をケアしているため、時には「少々、お待ちください」という場面がある。私達も迅速な対応を常に心掛けてはいるが、物事には優先順位というものもあるし、どうしても今すぐには手が離せない用件もある。
それでも、博さんは何をおいても「自分のことを最優先で」と要求する。それが、叶わないと「てめぇ、いい加減にしろ!いつまで待たせるんだ」と叫ぶ。仕方なく、遅れた理由を説明しても「うるせー、このクソババァ」と罵詈雑言。
特に博さんは、叫んでスッキリ忘れてくれるのではなく、いつまでもネチネチ根に持つ意地悪なタイプ。

そんな博さんの枕元には、キリスト教のトラクトが貼ってあった。
「御霊の実は、愛、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」
ガラテヤ人への手紙5章22,23節

博さんは、クリスチャンだそうです。

病気になって頼る人もなく、奥さんと2人で近くの教会へ足を運んだとか。
そこで、いろいろ相談して、教会の牧師先生に保証人になって頂き、生活保護や施設入居の手続きも助けてもらったようだ。
でも、その教会、施設からもそう遠くない所にあるのですが、牧師先生も信徒さんも、博さんを訪ねて来ることは滅多にありません。

少し前、博さんの奥さんは一人暮らしをしていたアパートで孤独死しました。

博さんはただ、寂しさと虚しさを持て余しているのでしょう。
















たか子さん

2023-05-04 13:12:00 | 日記
たか子さんは80歳代、女性。町はずれの漁村の出身。浜育ちらしい焼けた肌と笑顔が印象的。お喋りが好きで、明るい性格。でも時々、感情的になる。少し足腰が弱っておられるが、概ね健康状態は良い。認知症は中程度。

帰宅願望が強くなることがあり、「帰る」と言って止められなくなる。仕方なく付き添って、たか子さんの気が済むまで、外を歩いてもらう時がある。
「この向こう側に家がある」「この角を曲がれば、誰々さんの家や」と言いながら、どんどん進んで行く。
でも、どこまで行っても、たか子さんの思い描く景色は現れない。最後は足も疲れて動けなくなり、座り込んで泣き出す。
それから一休みして、また施設に戻ってくる。

たか子さんは小さな子どもの頃に、お母さんを亡くしたと話してくれた。
漁村は今でも、地域の結びつきが強い。昔なら尚更、助け合う、相互扶助の機能が強かっただろう。たか子さんは、そういう地域の力に育てられてきたのだと思う。それだけに、生まれ育った土地への愛着は強い。

たか子さんの行動には、特徴がある。常に、誰かの真似をすることだ。
行動のきっかけは、自分以外の人の言動に依ることが多い。トイレに行くのも、食事をするのも、お風呂に入るのも自分の気持ちで動くというより、誰かの動きに連動する。

母親を失った、小さなたか子さんは、いつもご近所さんや、周りの人々のやり方や習慣を真似ることで、生き延びてきたのかもしれない。

たか子さんは村を離れて、生きねばならなくなった今が一番、生きづらいのだろう。

きっと、あの漁村に帰りたいのだ。