吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

後天性ネアカ

2007年09月27日 | 自分のこと
おはよう!

現在午後3時半、就寝は午前11時頃といつもより30分ほど早寝したので、ちょうど同じ睡眠時間です。
夜8時頃から朝9時頃まで仕事をしているのですが、思い通りには行かないものです。
ほんと、出来る人がひとりいると作業は4倍くらい早く進むんですがね、人材不足は深刻です、養成しなければならないのはわかっていても、それもまた難しいことです。

苛立ちは禁じえないところですが、その感情に身を任せると覿面に心と体が壊れます。
こういうときには多少無理にでも気分を明るい方に持っていくのが肝要です。
その辺の技法は、理屈ではなく反復練習による習得、自分自身への刷り込みで確立するものです。

修行というものの基本はここにあります、予測と解決の擬似行動、できれば擬似ではなく本番の繰り返しがより良いです、つまり経験です。
東洋での修行というものは、より高度なセルフコントロールを指していて、単に技術の習得を目指すものではありません。
そしてその要のひとつは「心と体の分離」です。
それはどういうことかというと、普通、心と体は密接に繋がっていて、どちらか一方が不具合に陥ると両方ダメになるものです。それらを分離するというのは、心と体どちらか一方の不具合を他に影響させないようにすることです。
つまり、体がぼろぼろでも心は元気、心が壊れてしまっても、体は元気にすべきことを果たす…、こんな感じです。

うん!難しいよ。

歳をとってみて気付いたのですが、頭がユルくなったことが一番良かったです(笑)。
真剣であればあるほど、真面目であればあるほど、苦しみから目や手を離せません。
程よくユルんだ今「ま、いいっか」とノーテンキになれます。
もちろん若いころからのたゆまぬ努力は必要ですけどね。

こうして、だんだんユルんでいくのね、そしてついにはシモまでも…!?

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4 コメント

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そうそう、ユルく、ユルく (ムスタファ)
2007-09-27 22:55:36
最近、うつ病患者が多いです。私の周りにも結構います。皆に共通して言えることは「き真面目で、向上心の高い」人です。
そして「テキトーに手を抜けない人」。
私も歳をとってみて分かったのですが、世の万物は意外にしたたかに、図太く流れているのです。なるようになる。どうもこれが基本のようです。
イチビリな性格なため、どうも物事に真剣になれない私。心のどこかに「遊び」を求めている。九州の言葉でこれを「ててんご」といいます。これで昔から親に怒られていました。私のようなチャランポランな人はまたこれで問題なんですけれど。
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Unknown (とど)
2007-09-28 10:23:30
>心が壊れてしまっても、体は元気にすべきことを果たす…

これって、結構大切なことなんですよね。感情って行動によりある程度制御できる部分があるから。だから、生活の中の小さなことでも意志を持つことって、自分にとっては重要な眼目になっています。
勿論、壊れまくっている最中は、それどころじゃないんですけどね(苦笑)。
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見方を変えると (ひろなん@風琴屋)
2007-09-28 15:51:14
ムスタファさん、ようこそ!

近くに居るんですけどねえ、なかなか会えませんね。

テキトーに物事をこなせる人というのは、物事の本質的に重要なポイントを瞬時に理解できる人だったりします。
真面目で几帳面な人というのは、それが読めないがために、いちいち細かい事柄を丁寧に行わないではいられないとも言えます。

「向上心が強い」というのも一見良いことなのですが、これは、現在の自己を否定することでもあったりします。
「他人に認めて欲しい」という気持ちが強い人は、自分で自分を認めていない人だったりします。

本当にマズいことは、一見美しい正しい言葉の影に隠れていたりします。
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矛盾するようですが (ひろなん@風琴屋)
2007-09-28 16:25:17
とどさん、ようこそ!

「心と体の分離」というのは、突き詰めれば「全体性の重視」に至ります。一見矛盾するようですが。
僕達は、中途半端に心と体を分けて考えるクセがあるようです。
そのことで問題のポイントがどっちつかずになって焦点がぼやけることが多いのです。
いっそ心と体を分けてコントロールするように努めることで、問題の本質に至りやすくなります。

この世界に存在するということは、魂だけでは出来ません。
魂が世界と関わるためのインターフェイス・ツールとしての体を備えた「自分自身」というものを自覚して大切にすることが出来るようになれば良いのですが、これがなかなか…。
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