KYというと現場労働者にとっては、K=危険、Y=予知、活動で、朝礼の時に今日の作業の危険ポイントと安全対策を確認することです。
最近KYというのをよく耳にするので、これが一般社会に広がったのかと思いきや、さにあらず、K=空気が、Y=読めない、ということをいうそうな。
「空気読めよ!」
なんてセリフ、そういえばよく漫画でも見かけるなあ。テレビは見ないからわからないけど、きっと多用されているんだろう。
付和雷同しろってことかい。
しかも結構な大人も使う言葉らしい。
僕は集団というものが基本的には好きではありません。
自立した個がより高度なことを目指して集まったものと、ひとりでいられない者達が群れをなしたものを同じ「集団」という言葉では呼びたくはないですね。
ぼくらの身の回りの「集団」は後者が多い気がします。
歴史的には稲作文化の影響だとか、江戸時代の固定化した社会のせいだとかいろいろな原因が言われていますが、日本人の集団性は確かに高いと思います。
今でこそ個性は大事だなどといいますが、僕らが子供の頃は人と違うということは、明らかにマイナス要因とされていたと思います。
「みんなと同じように!」「みんながするから…」
随分と言われたものです。
集団嫌いだといっても、集団というものと関わらずに生きられるはずもなく、とにかくそういうときには、その集団を観察し分析したものです。
そうすることで、集団に属する苦痛も和らぎましたし、得るものは確かにありました。
お陰で、僕は今は集団というものに煩わされることもほとんどなくなりました。
「空気読めよ!」
なんて本気でいう人間には会えないかもしれませんね、冗談のネタにはなるかも知れませんけど。
いたら、からかってしまうだろうな。
最近KYというのをよく耳にするので、これが一般社会に広がったのかと思いきや、さにあらず、K=空気が、Y=読めない、ということをいうそうな。
「空気読めよ!」
なんてセリフ、そういえばよく漫画でも見かけるなあ。テレビは見ないからわからないけど、きっと多用されているんだろう。
付和雷同しろってことかい。
しかも結構な大人も使う言葉らしい。
僕は集団というものが基本的には好きではありません。
自立した個がより高度なことを目指して集まったものと、ひとりでいられない者達が群れをなしたものを同じ「集団」という言葉では呼びたくはないですね。
ぼくらの身の回りの「集団」は後者が多い気がします。
歴史的には稲作文化の影響だとか、江戸時代の固定化した社会のせいだとかいろいろな原因が言われていますが、日本人の集団性は確かに高いと思います。
今でこそ個性は大事だなどといいますが、僕らが子供の頃は人と違うということは、明らかにマイナス要因とされていたと思います。
「みんなと同じように!」「みんながするから…」
随分と言われたものです。
集団嫌いだといっても、集団というものと関わらずに生きられるはずもなく、とにかくそういうときには、その集団を観察し分析したものです。
そうすることで、集団に属する苦痛も和らぎましたし、得るものは確かにありました。
お陰で、僕は今は集団というものに煩わされることもほとんどなくなりました。
「空気読めよ!」
なんて本気でいう人間には会えないかもしれませんね、冗談のネタにはなるかも知れませんけど。
いたら、からかってしまうだろうな。
フランスでも付き合い悪いので
野生児といわれてます
集団が苦手で、学生の頃母親が先生に呼び出された
前科があります(笑)
気の合う友人達と楽しい時間を過ごすのは好きだし
別に孤独を愛してるわけでも
ネクラでもないのですよー
集団嫌いで、ずっと問題児扱いだったおかげで、人を読むことについては随分と鍛えられました。
まあ、読んだからといって従うかは別問題ですけどね。
空気だの気持ちだのとよくいう人は、大抵、自分の気持ちを察して欲しいという欲求が強いものです。
これは甘えです。
さらに、
「私もあなたを認めるからあなたも私を認めて」
という無言の取引などをされた暁には、思いっきりその人の不愉快ところをピンポイントで突いたりしました。
あ、昔のことです、今はそういう人はそれで別に良しと思っていますから。
人同士が理解し合うというのはそういう取引ではないと思っています。
だから、友達は少ないですがそれで良いです。
本当に友達のためならば、一肌脱ぐつもりなので、あまりたくさんいると全裸になってしまいますから(笑)。
元々その場の雰囲気を読むことが苦手な方ですので…。
KYがイニシャル…、げっ、うちの家内もだ!うぎゃー!
上下関係は好まないので、皆切ってしまった僕には、もはや空気を読むことを要求される機会そのものがほとんど無いです。
もちろん、その代償は払ってはいるんですけどね。
自分らしい生き方をして、その途上で出会う人達と付き合うのが楽で良いです。