吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

師の思い出

2006年02月20日 | 自分のこと
何ゆえ,ひろなんなのか。これはひろにゃんの音便形であり,猫科宣言でもある。
今は亡き我が師,猫のみーこへのリスペクトからである。

そのころ私は,年上の友人宅に居候していた。
為すべきことを見つけられずにぶらぶらしていた当時二十代の大飯喰らいの大酒飲みの居候が疎まれるのも時間の問題だった。
みーこはその家の年とった猫で,やることのない私はずっとその猫を観察していた。

そして,学んだ。

彼女は実にうまく自己の存在感をコントロールしていたのだ。
家人とコミュニケーションをとるべきときにはしっかりと自己を主張するが,切り上げるタイミングをちゃんと心得ていて,疎まれる前にすっと距離をとる。
そこにいても気にならないが,必要とされた時にはしっかりと存在感をあらわす。
同じ場にいてとても楽なのだ。

自己の存在をただ主張することしか知らなかった若い私にとって,それは目から鱗の出会いだった。
私は彼女を師として(にゃんこ先生ですな)その行動に学んだ。

その時に身につけたワザは後に重大な危機から私を救うことになるのだが,それはまた。

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