吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

三年目の

2014年03月16日 | 自分のこと

あれからもう三年。

あの大地震と原発事故の年から三年。自分にとってのこの三年。

あの年、何も無ければドイツでしばらく仕事をするつもりだった。オルガンの。

大地震の直後、闘病中の父が危篤になり、その頃鉄道も道路もまともに機能していなかったので、カブにガソリンタンクを積んで、無給油で千葉を往復した。

わずか三年前、日本の首都たる東京はまるでフィクションのように機能を損なっていたんだ。
もう忘れたかい?

その後、父は体調を回復し、古い知り合いや関係者に挨拶まわりをした上、かっこいい言葉を残して8月の終わりに世を去った。

父の葬儀の直後、以前より腹痛を抱えていた母は癌で手術。

僕のドイツ行きは取りやめ。なに、夢だの希望だのが崩れるのなんて良くあることさ。ってね。

それからは日本の、日本人の醜いところ、幼稚なところを見せつけられている。
政治家もキレイ事すら言わない。むき出しの欲望と奪い合い。強者に追随する弱者。
今まで、隠されていた醜いものが次々と露わになってくることは、悪いことではないのだけれど、バレたからって止めるわけでもない様子を見るのは不快極まりない。
うちはテレビはないけれど、マスコミとやらは嘘ばっかりだ、ネットじゃマシな情報はあるけれど、論理的、理性的な話し合いというものがいつまで経っても持てないのには失望する。

そして、去年、母も世を去った。

その後、僕自身も体調不良が続き、検査の結果、直接体調不良には関係なかったようだけど解除不能、爆発時刻不明のスリーピングボムが見つかった。

正直なところ、この先どうするべきか迷ったし、自分の身体に対してどう接して良いものかも迷った。
相変わらず、苛立つ情報ばかりが入って来て、心はすっきりとは晴れない。

今年2月に山梨は大雪に襲われ、僕も否応なしに体力を酷使せざるを得なくなってしまった。
そうしたら身体の再生能力が活性化したらしく、力も出るし、筋肉痛、疲労による関節痛も一晩で治るようになってしまった。
先日、出張仕事で千葉に行って来たけれど、やはり身体は動いてくれた。
夕方に、肘が曲げられないほど痛くなって、全身が筋肉痛になっても、翌朝には若干の疲れが残るものの回復していた。
昔から重肉体労働はしているけれど、これほど身体の回復力が高かったことはない。
自分でも気味が悪い。

為すべきことのために、必要な力を与えられたのだろうかとも思う。
今が動くべき時なのだろう。
ムカつく時代に何かを見せてやるために。
大切な人たちに何かを残してやるために。


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