う~む、まだここに居る実感がない…
24日の朝3時半頃に家を出たのだったっけ。
4時前に高速に乗れば深夜割引が適用されるので。
行き先はまず関西、兵庫と大阪。それから神奈川へ行って帰還という予定。
もう数日で高速道路1000円がスタートするのですが、たぶん混雑すると思われるので、あえてその前に用事を済ますことにしたのです。
重たい木工機械の引き取りと、ついでにリードオルガンのジャンクの引き取りです。
さて、先ずは兵庫。午前10時頃を目指します。
といっても、時間的にはゆとりなので走行は経済性重視です。
今回は(いつもそうだけど)軽トラです。こいつは時速80キロを超えると急に燃費が落ちます。
加えて、乗っている人間もその辺の速度を超えると疲労度が大きくなるので、抑えて走ります。
その速度なら警察の取り締まりに引っかかることもないので、ストレス要因がひとつ減ります。
他の車に抜かれるのも多少は気になるところですが、自分の任務を安全に最小の疲労で全うするという目的の前には小さいことです。
渋滞もなく途中一時間程の休憩もして無事最初の目的地へ到着。
兵庫といってもかなり大阪寄りです。一般道で東大阪へ。
これで、関西での引き取りは完了。
その後、Oさんご一家と会いました。
Oさんは、僕がオルガンの仕事に就いた時の先輩ですが、その数年後足を洗ってカタギになり(?)大阪に住んでいらしたのです。
Oさんの奥さんとお嬢さんは去年お目にかかる機会があったのですが、Oさんとは十数年ぶり(もしかして二十年?)の再会でした。
懐かしい時間はあっという間に過ぎ、僕はまた高速へ。
大津のサービスエリアで二時間ほどの仮眠を取って神奈川へ向かいました。
さすがに睡眠が足りなかったようで、静岡でまた一時間の休憩。
今回は、薬物(カフェイン錠剤)は使用しない方針です。
疲れたり眠かったりしたら休むということを徹底しました。
走り続けると、休憩をとることが億劫になりがちなので、休むことも努力しなければ出来ないのです。これは訓練です。
予定通り神奈川での引き取りも完了。それが25日の昼。
ふと思い立って、平塚の古い友達宅にお邪魔することに。
こちらは、昔、中国を旅したときに知り合った方です。
あの頃僕は22歳だったので、もう23年前ですか。
当時の中国の旅は実に不便や不備が多く、唯一のガイドブック「地球の歩き方」もあてにあらない情報ばかりでした。
なので、旅行者同士の情報交換や助け合いが必要だったのです。
何をするにもスムーズにことが運ぶのは稀でした。
人間は皆それなりにバケの皮をかぶって生きているものですが、ストレス状態が続いて忍耐力が低下してくると、そのバケの皮がはがれてきます。
いいひと面していたのが、わがままになったり、大人ぶっていた人がお子ちゃまになって周囲に当り散らしたり。
特に、娯楽施設がないと楽しめないタイプの人にとっては苦痛だったようです。
思えば面白い環境でしたね。普段はいっぱしの人物のような顔をしている人たちが次々とモンスターに変わって行くの!
そんな中で付き合うに足る「人間」を見つけるのは容易で、あの時の友達同士は強い信頼感で結ばれているのです。
それにしても何年ぶりだったのかな?
3時間ほど、いろいろ話をして帰ることに。
本当はもっとゆっくりしたかったのですが、いろいろとやることが溜まっているので。
最早、エネルギー切れだったのですが、もう一仕事することにしました。
山梨県内のお客さんなのですが、南部町というほとんど静岡のところです。
東名を西へ、富士川サービスエリアのETC専用出口から出て、興津から国道52号を北上します。
この道はだいぶ整備が進んでいて、以前よりずっと快適になっていました。
夜7時過ぎにお客さん宅に到着。
以前オーバーホールしたリードオルガンに異音が出たとのことでした。
その楽器は個性的な構造が特徴なのですが、それが弱点でもあり、そこに由来する小トラブルでした。
寄って良かった!
わずかな仕事で何とかなりましたが、放っておくと深刻な事態に繋がるところでした。
自宅に帰り着いたのは25日夜11時半、走行距離は1200キロ。
軽トラではちょっとキツいですね、この距離は。
わずか二日間の行程だったのに、非常に充実した長旅のようです。
一週間くらい経ったような気がします。
それでまだ時間の感覚が変なのです。
24日の朝3時半頃に家を出たのだったっけ。
4時前に高速に乗れば深夜割引が適用されるので。
行き先はまず関西、兵庫と大阪。それから神奈川へ行って帰還という予定。
もう数日で高速道路1000円がスタートするのですが、たぶん混雑すると思われるので、あえてその前に用事を済ますことにしたのです。
重たい木工機械の引き取りと、ついでにリードオルガンのジャンクの引き取りです。
さて、先ずは兵庫。午前10時頃を目指します。
といっても、時間的にはゆとりなので走行は経済性重視です。
今回は(いつもそうだけど)軽トラです。こいつは時速80キロを超えると急に燃費が落ちます。
加えて、乗っている人間もその辺の速度を超えると疲労度が大きくなるので、抑えて走ります。
その速度なら警察の取り締まりに引っかかることもないので、ストレス要因がひとつ減ります。
他の車に抜かれるのも多少は気になるところですが、自分の任務を安全に最小の疲労で全うするという目的の前には小さいことです。
渋滞もなく途中一時間程の休憩もして無事最初の目的地へ到着。
兵庫といってもかなり大阪寄りです。一般道で東大阪へ。
これで、関西での引き取りは完了。
その後、Oさんご一家と会いました。
Oさんは、僕がオルガンの仕事に就いた時の先輩ですが、その数年後足を洗ってカタギになり(?)大阪に住んでいらしたのです。
Oさんの奥さんとお嬢さんは去年お目にかかる機会があったのですが、Oさんとは十数年ぶり(もしかして二十年?)の再会でした。
懐かしい時間はあっという間に過ぎ、僕はまた高速へ。
大津のサービスエリアで二時間ほどの仮眠を取って神奈川へ向かいました。
さすがに睡眠が足りなかったようで、静岡でまた一時間の休憩。
今回は、薬物(カフェイン錠剤)は使用しない方針です。
疲れたり眠かったりしたら休むということを徹底しました。
走り続けると、休憩をとることが億劫になりがちなので、休むことも努力しなければ出来ないのです。これは訓練です。
予定通り神奈川での引き取りも完了。それが25日の昼。
ふと思い立って、平塚の古い友達宅にお邪魔することに。
こちらは、昔、中国を旅したときに知り合った方です。
あの頃僕は22歳だったので、もう23年前ですか。
当時の中国の旅は実に不便や不備が多く、唯一のガイドブック「地球の歩き方」もあてにあらない情報ばかりでした。
なので、旅行者同士の情報交換や助け合いが必要だったのです。
何をするにもスムーズにことが運ぶのは稀でした。
人間は皆それなりにバケの皮をかぶって生きているものですが、ストレス状態が続いて忍耐力が低下してくると、そのバケの皮がはがれてきます。
いいひと面していたのが、わがままになったり、大人ぶっていた人がお子ちゃまになって周囲に当り散らしたり。
特に、娯楽施設がないと楽しめないタイプの人にとっては苦痛だったようです。
思えば面白い環境でしたね。普段はいっぱしの人物のような顔をしている人たちが次々とモンスターに変わって行くの!
そんな中で付き合うに足る「人間」を見つけるのは容易で、あの時の友達同士は強い信頼感で結ばれているのです。
それにしても何年ぶりだったのかな?
3時間ほど、いろいろ話をして帰ることに。
本当はもっとゆっくりしたかったのですが、いろいろとやることが溜まっているので。
最早、エネルギー切れだったのですが、もう一仕事することにしました。
山梨県内のお客さんなのですが、南部町というほとんど静岡のところです。
東名を西へ、富士川サービスエリアのETC専用出口から出て、興津から国道52号を北上します。
この道はだいぶ整備が進んでいて、以前よりずっと快適になっていました。
夜7時過ぎにお客さん宅に到着。
以前オーバーホールしたリードオルガンに異音が出たとのことでした。
その楽器は個性的な構造が特徴なのですが、それが弱点でもあり、そこに由来する小トラブルでした。
寄って良かった!
わずかな仕事で何とかなりましたが、放っておくと深刻な事態に繋がるところでした。
自宅に帰り着いたのは25日夜11時半、走行距離は1200キロ。
軽トラではちょっとキツいですね、この距離は。
わずか二日間の行程だったのに、非常に充実した長旅のようです。
一週間くらい経ったような気がします。
それでまだ時間の感覚が変なのです。
年齢を重ねて行くにつれ、おつき合いは信頼感なしでは出来ませんね。
関西弁丸出しの会話はいかがでした?
たぶんそちらに寄せて頂いても関西弁が臆することなく出ると思いますが(笑)
次回は是非お酒の席も設ける事が出来ますように。
先日はありがとうございました。
今回、ジーグさんご一家と、神奈川の友達(60歳)にお会いしたのですが、皆さん全然昔と変わっていなくて驚きました。
まだまだ将来の夢が見られますよね!
一方、変わったひとはペコちゃんです。
あの頃は小学生だったんだもんね。
で、あの頃の僕は今の君よりも若かった!!!
そう思うと老け込んでしましそうよ!