川口はいいところよ・・  ようこそ新潟へ

新潟県中越地震震源地から今年で早や12年。そげ落ちた信濃川の河岸段丘の表土も自然の力で草木が戻りました。

手話サークル&emojibook;

2006-04-27 23:10:41 | ワブログから引っ越しました
ばたばたと夕食の後片付けもそこそこに手話サークルへいってきました。
少しでも何かお役に立ちたい!!と思い日々邁進している方々の集団です。
私は根性なしですのですぐ他の事に興味がいき だめですね
それも人生&emojiface_glad;&emojiface_glad;

それでも少しずつことばのレパートリーが広がります
手話とかかわってから4年半の歳月が過ぎました
手のひらで会話が出来るってとてもステキなことです。
手話サークル会員募集中です




さくらんぼの&emojisakura;今年は競争率がアップしそう&emojisweat;

2006-04-27 19:48:17 | ワブログから引っ越しました

こんばんわ
越後川口SAの桜は三分咲き位になったでしょうか。
午後から降る予報の雨は5時過ぎから降り始めました。
傘がいらないくらいの春雨でした。


我が家のさくらんぼの木(だんち)は梅ノ木より毎年早く咲きます。
まごまごしていると冬囲いの中で葉桜になってしまったこともありました。
枝は随分折れましたので少し寂しい満開です。

今晩は手話サークル・・行ってきます


新潟県中越地震によせてⅢ

2006-04-27 18:29:10 | ワブログから引っ越しました
滞留車両が全て出発したあと、リュックを背負って歩いてくる人がいました。普段高速などをメンテナンスしている会社の人でした。
エリアに大勢の人が残っていると聞き、自宅でおにぎりを作ってリュックに積め、塩沢(現南魚沼市)から運んできてくれたのです。地震直後緊急復旧工事に参集した人々も自宅が被災したにもかかわらず駆けつけて夜通し必死に土嚢を運び本線を復旧し続けてくれました。
このあとまだ越後川口ICに滞留している車がいることがわかりエリアを経由して長岡方面に流出するのを見届けた後、私たちが自宅に戻ったのは午後3時を回っていました。地震発生から約21時間の出来事です。
翌日出社すると大きなみずのタンクが運び込まれていました。
酷い状態になっていたお手洗いを一箇所ずつ丁寧に洗い流し、バケツとひしゃくを用意して使える状態にまで復旧してもらいました。
みんながそれぞれ自分の出来る限りのことを恐怖の中出し切ったと思います。
本当に二度とこのような恐ろしい体験はしたくないですが、大変貴重な経験をさせてもらいました。
この物語は私の記憶の範囲と地震後集めた資料と内部研修の体験発表用の文書を混ぜ合わせて日々綴ったものですので事実と違っている部分があると思います。ご了承願います。
また、地震直後から被災地に駆けつけ威力を発揮してくれた自衛隊の皆さん。
H17年8月(新潟県集計)現在25,030人に及ぶボランティアのみなさんが駆けつけてくださいました。
お礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。


奥ゆかしさってこういうことですよね&emojistar2;&emojistar2;

2006-04-27 18:25:24 | ワブログから引っ越しました


こんばんわ。
買い物帰りに見上げた川口町の上越線跡地の桜並木は三分咲き位に開花が進んでいました。天気は思ったほど気温が上がりませんでした。

4月よりSAでハイカの交換手続きが始まっています。
時々見える係員さんをいつも何処かで見かけた人だなと思っていました。
ブログに地震直後の事を綴っていた時、地震二日目におにぎりをリュックに背負って持ってきてくださった方だと思い出しました。
今日久しぶりにいらっしゃいましたので遅くなってしまったお礼を申し上げ、当時のお話をうかがう事が出来ました。
地震直後すぐに南魚沼市より川口町方面に向かったそうです。堀之内を過ぎR17の和南津TN迄来たのですが先にすすむことが出来なくてどうしましょと考えあぐんでいたところ、額に怪我をした女性が歩いてきたので小出の病院まで搬送をし、そのまま戻り、おにぎりを作って再度堀之内PAまで途中から徒歩で来て、滞留していた人に配ったのだそうです。

越後川口におにぎりを届けたのはそのときSAには滞留者が沢山いると聞き、もう一度戻って、またおにぎりを作って来て下さったのだそうです。
いったり来たりおにぎりを沢山握っったり夜通し動き回って下さっていたのです。

気がつかない私もいい加減ですが、その私に気がついていても私が聞くまで何もおっしゃいませんでした。
敬服しきりです。
そんな 影で一生懸命骨を折ってくださっていた方々がとても多く、そんな力の結晶だったと改めて感じました。
今日はとても感激の一日でした&emojiface_glad;&emojiface_glad;


新潟県中越地震サービスエリアにてⅥ(川口町震度7の町)

2006-04-27 18:19:24 | ワブログから引っ越しました
平成16年10月24日日曜日 快晴。
越後川口上りSAは落ち着きを取り戻していた。
販売用の携帯電話の充電器がSAにおいてあった。
順番に車のバッテリーで充電。
各自が家族や会社に容易に連絡が取れる状態になっていた。
おにぎりやペットボトルも充分ある。
それぞれに帰り支度を始めていた。

「緊急応急措置が終了しました。確認次第10時より出発を始めたいと思います。」
発表後余震が続いた。
出発は延期された。
かなりの段差に土嚢を積んだだけでは小規模な余震でも二次災害が起きる。
慎重に避難誘導の開始が進められた。

誰となく残っていたおにぎりや飲み物を車に配り始めていた。
「沢山頂きましたのでもう充分です。
ありがとうございました。」
「まだ、沢山あります。これからどうなるかわかりませんのでじゃまにならないと思いますのでどうぞ持っていってください。」
従業員は遠慮する車の窓に入れて歩いた。

「大変お待たせしました。現在パトロールカーがこちらに向かっています。
到着後順次出発を開始します。普通車、中型車、大型車の順に出発します。」
オートバイクは先導車の脇につけた。
1台ずつSAの入り口に移動を開始。長い列が作られた。
しばらく待機。

見送りのため従業員が並んでいるところに1台不自然に車が横付けした。
けげんな顔の私たちに

「お世話になりました。」
挨拶にきてくれたのだ。
「こちらこそ。わざわざありがとうございます。気をつけていってくださいね。」
次々に車は挨拶をして列の最後尾につけた。

先導車を先頭に静かに車は出発を始めた・・

どの車からも大きく手をふるのが見える。

私たちは涙でぐちゃぐちゃになっていた。