今年は雛人形を早めに出した。
いつもはギリギリに飾るのですぐに片付ける羽目になる。しまう時は、来年こそは早く出そうと誓うのだが今年は違う。
この人形が我が家に来たのは今は亡き友人の紹介で人形作家の美香さんを知ったからだった。先月下旬に、その友人の息子さんファミリーが我が家に来られるから一緒に鑑賞しながら母上のことを偲びたいと思った。
我が家は雛人形も5月の節句人形も(事情があって)手元にない。
子供達もあまり情緒的でないので何も言わない。
しかし、正月の飾りが終わるとなにか寂しい。
出会いは数年前、友人宅で人形展が開かれた時。人形作家の美香さんの人形が並べられ、その中にこの雛人形があった。古布をまとった雛人形はシックで品があって、しばらく眺めているうちに欲しいという気持ちが募ってきた。そして我が家の人形になってくれた。
今年は眺める時間が長く、毎日鑑賞するうちに、やはり五月人形も作っていただきたいとなぜか居ても立っても居られない衝動にかられた。
しかし、連絡先がわからない。
苗字も住所も知らない。
私の衝動は止めることができなかった。
わずかの記憶を頼りに、まずは振り込んだ郵貯の通帳を調べたがない。次に、亡き友人のブログにあるはずだと思い、探す、探す、探す、、、、
やっとある年の11月のブログに、「美香さん、滋賀の野洲出身」というふたつの情報が得られた。
これで検索すればすぐヒットするかと思ったが人形作家では出てこなかった。
次に、造園家で検索したら京都の造園会社の画像の中に作庭者として名前が出ていた。
人形作家で造園家。
亡き友人と美香さんの接点は京都芸術大学の造園学科(通信だったと思う)だったと記憶していたから、繋がった時はやったぁーと小躍り状態だった。
ここに聞けば繋がるか?
ドキドキしながらその会社に電話をすると、商談でもないのに恐縮するくらい丁寧な応対。現在は造園会社を辞め独立されたとのこと。さらに連絡をしてみますと言ってくださったのだ。
それが午後2時ごろ。
スムーズにいけばすぐに電話があるかと思ったが、夕方になってもない。明日まで待とうと思ってた時、電話が鳴った。
電話は本人ではなかった。
「美香は今入院中で今日 手術を受けてバタバタしているところです」と母上の声。
「お電話をいただいてとても嬉しい。母親でもとても嬉しいのですから 娘はどんなに喜ぶことか、、、面会はできないが必ず伝えます」と話された。
私のこの執念がよかったのかどうか、
喜んでくださったのは救いだが最後の話で気持ちは落ち込んでいる。