APOSTROPHES アポストロフII

久しぶりにブログを再開しました。

丸岡美香さん

2024-02-25 11:47:00 | 日記
今年は雛人形を早めに出した。
いつもはギリギリに飾るのですぐに片付ける羽目になる。しまう時は、来年こそは早く出そうと誓うのだが今年は違う。

この人形が我が家に来たのは今は亡き友人の紹介で人形作家の美香さんを知ったからだった。先月下旬に、その友人の息子さんファミリーが我が家に来られるから一緒に鑑賞しながら母上のことを偲びたいと思った。

我が家は雛人形も5月の節句人形も(事情があって)手元にない。
子供達もあまり情緒的でないので何も言わない。
しかし、正月の飾りが終わるとなにか寂しい。

出会いは数年前、友人宅で人形展が開かれた時。人形作家の美香さんの人形が並べられ、その中にこの雛人形があった。古布をまとった雛人形はシックで品があって、しばらく眺めているうちに欲しいという気持ちが募ってきた。そして我が家の人形になってくれた。

今年は眺める時間が長く、毎日鑑賞するうちに、やはり五月人形も作っていただきたいとなぜか居ても立っても居られない衝動にかられた。

しかし、連絡先がわからない。
苗字も住所も知らない。

私の衝動は止めることができなかった。

わずかの記憶を頼りに、まずは振り込んだ郵貯の通帳を調べたがない。次に、亡き友人のブログにあるはずだと思い、探す、探す、探す、、、、

やっとある年の11月のブログに、「美香さん、滋賀の野洲出身」というふたつの情報が得られた。

これで検索すればすぐヒットするかと思ったが人形作家では出てこなかった。

次に、造園家で検索したら京都の造園会社の画像の中に作庭者として名前が出ていた。

人形作家で造園家。

亡き友人と美香さんの接点は京都芸術大学の造園学科(通信だったと思う)だったと記憶していたから、繋がった時はやったぁーと小躍り状態だった。

ここに聞けば繋がるか? 
ドキドキしながらその会社に電話をすると、商談でもないのに恐縮するくらい丁寧な応対。現在は造園会社を辞め独立されたとのこと。さらに連絡をしてみますと言ってくださったのだ。

それが午後2時ごろ。

スムーズにいけばすぐに電話があるかと思ったが、夕方になってもない。明日まで待とうと思ってた時、電話が鳴った。

電話は本人ではなかった。

「美香は今入院中で今日 手術を受けてバタバタしているところです」と母上の声。

「お電話をいただいてとても嬉しい。母親でもとても嬉しいのですから 娘はどんなに喜ぶことか、、、面会はできないが必ず伝えます」と話された。

私のこの執念がよかったのかどうか、

喜んでくださったのは救いだが最後の話で気持ちは落ち込んでいる。





江口久美さん

2024-02-25 01:03:00 | 日記

ある日、突然、知人の訃報を知った時ーしかも死因も、状況も知るすべもなく、ただもう存在しないということだけを知らされた時、人はどう反応するのだろうか?

10月の会議には元気で参加されたということは聞いた。
だから、突然のことと想像はできるがそれ以上のことは何もわからない。

知り合ったのは15年ほど前。彼女は未だ博士課程在学中だった。私が手伝っていた日仏関係の学会は、歴史ある学会とはいえ、若い人の入会がない危機感から、会誌のほかに広報誌のようなソフトなものを発行することになった。編集担当は若い会員の江口さんが引き受けてくれた。会の財政状況は悪化の一途であることは百も承知で、できるだけ安く仕上げようと途中の諸経費はゼロ、印刷費のみで仕上がった冊子の評判は上々であった。

その後も、江口さんの幅広いネットワークで、執筆者も多岐に及び、新鮮でセンスのいいPR誌は読み応えがあり、同封した会誌よりこちらを先に読むという人が出てくるほどであった。

毎号、連絡はしなくても、彼女は本業の片手間に着々と作業を進め、会には、ある日突然 完成した冊子が届くというありがたい循環が続いた。

のちに九大に職を得られ、私も会を辞めたので連絡は途絶えたが、冊子が届くたびに江口さんの優しく控えめな雰囲気を思い浮かべ、元気に活躍されていることに安堵した。

誠実という言葉が彼女ほど当てはまる人はいないだろう。平凡な言葉を彼女に重ねると静かに輝きをますようであった。
私が感じるように、彼女を慕い、頼りにし、感謝をするという方はきっと多いに違いない。

博士論文はその分野の教授が「大変な力作だ」と称賛され、のちに出版されたと人づてに聞いた。

40歳という若さ、結果は遺されて逝かれたとはいえ、不条理な終わりはいつまでも私を苦しめる。