私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

冠動脈塞栓術

2017年02月03日 | 日記
昨年から肝臓にいくつも再発腫瘍が見つかっていました。

夫を亡くし母を看て一年足らずで母も亡くし自分の事は考える暇もありませんでした。


消化器外科を受診していましたが担当の先生が手術は難しいということで内科に転科。

今年になって冠動脈塞栓術を受けてきました。

1月16日に入院して翌日塞栓術を受け体調を見て退院。大体皆さん一週間程度の入院になるそうです。


私の場合膵臓が原発でもう20年前になるのですが、肝臓に再発が何個も現れ、そのたびに手術で摘出するという方法でやってきていました。

あ、一度だけラジオ波治療を受けたことがあります。かなり前の事ですが…

それはそれはキツイ治療だったと記憶しています。

でも治療を受けてどう感じるかは本当に個人差が大きくありますね。

ラジオ波の時はほかの人の話はあまり聞かずに臨んだためよくわかりませんが

塞栓術は何回も繰り返し受けてる方の話を聞いたことがあります。

その方は手術での治療が難しいので初めから塞栓術で治療をしていて いつもなんともなく終えているそうです。

私はというと、もう繰り返したくない。というのが本当の気持ち。


全身麻酔の手術は大きなリスクの元本人の意識のないうちに終わりますが

塞栓術もラジオ波も部分麻酔で行われます。


ラジオ波の時は呼吸も大事で狙う腫瘍の場所が呼吸で動いてしまうので

息を吸ったり吐いたり、止めている時間も長く

器具や周囲の音もみんな聞こえる中麻酔の効きが弱くなってくれば痛みとともに不安も増大。

ラジオ波治療はお腹の中に高温のアイロンをぐいぐい押したり引いたりしてるような印象でした。


今回受けた塞栓術も途中までは良かったのですが

周囲の音や先生方が無意識に?「硬いな」とか「お湯‼早くお湯を‼」言っているのがとても不安に感じ

さらに麻酔が弱くなって痛いし苦しいしどうにもできない状況になりました。

もう少しですから待ってください。なんて言われたものですから「待てません!もうやめて‼」と叫んでしまったほどです。


その騒ぎでたぶん麻酔を追加されたのでしょうね 

眠ってる私に看護師さんが治療が終わったことを教えてくださいました。


治療の後の体調も少し時間が経ってから不調が表れてきて

微熱やだるさ、気持ち悪さなどに悩みました。

血液検査の結果で炎症反応が出ていたので、もう点滴の針は抜いてしまったのですが

もう一度新しく刺して抗生剤を追加。

うまくいけば5日くらいで退院できるかも?と思ったのは無理な話でした。


私は肝臓の手術を何回も受けているため血管が通常とはちょっと違っているようで

腫瘍に血液を送る血管のルートが横隔膜寄りにあったりもして

今回の治療では充分な塞栓とは言えないような説明を受けました。


でも、私は繰り返したくない。

その理由は、塞栓する際抗がん剤も使うのですが

膵内分泌腫瘍に効果がある抗がん剤というのが確立されていないのです。

肝がんや肝硬変の治療に使うものを使うのです。


治療前に先生にお願いしてみたのですが

塞栓物質だけにして抗がん剤は使わないでもらえませんか?と

答えは 全く効かないかどうかは試さないと分からないので使う方がいいとの説明でした。

やるなら少しでも効果がありそうな方法を ということなんですね


今回の塞栓術で私の肝臓内でどんな効果が出たか

次の外来で造影CTを撮ることになっています。



実は、再発腫瘍が見つかって塞栓術の前に飲み薬の治療を選んでいました。

アフィニトールという薬です。

これが私の場合副作用が強く出てしまいまして

具体的に言うと口内炎。これがとてもひどくて自分のつばも飲み込めないこともありました。

休薬して日を置いて飲み始めるとまた口内炎。

免疫力がた落ち状態になってしまってアフィニトールはやめることになりました。

そこから一か月間休薬期間を取って今回の塞栓術なわけです。


何もしないわけにはいかない。

先生も娘たちもそう言います。

でも、本当にそうなのでしょうか?

抗がん剤って正常な細胞もダメージ受けたりして

人が本来持っている免疫力もおちてしまうのに

何かほかに方法があるのではないか?と本気で思います。


いろいろ調べていると分かってきたことがいくつかあります。

低体温ががんの居心地を良くしている。

食べ物の偏りや食品添加物などの過剰摂取。

無理やがんばりが過ぎるのも良くない。

糖ががんの栄養になる。

などなど


今までの自分の暮らし方を見直すべきだと感じたり

低体温を何とかしてもう少し平熱をあげたいと思ったり

出来合いのものを食べるよりも材料から自分の目で選び手作りしよう

食べるなら添加物や加工品は極力控えて選ぼう

と、時間がかかるだろうけれど身体の為を思う暮らし方に切り替えて行こうと思うようになりました。


私のお腹のがん達も急激にできたわけじゃないんですから

時間かけて改めて暮らしていけばがん達がさほど増えもせず 大きくもならず 悪さもしない。

そんな感じの共存を目指したい!と本気で考えています。









すっかりご無沙汰しておりました

2017年02月02日 | 日記
私の周辺、すっかり様変わりしてしまいました。

今、私、一人暮らし。
わんこ4匹とにゃんこ1匹との毎日です。

この前の記事書いてからずいぶんと日が経ってしまい
どういう心境だったのか…

ちょっと読みましたが、母の病気の事を連投していますね。


母は亡くなりました。

記事にはしていませんでしたが、その前に夫も亡くしました。


夫の事、ブログではほとんど書いていませんでした。
書かなかったのではなく、書ける心境ではなかった、というのが本当のところです。

夫はすい臓がんでした。

病気がわかったとき、すでに末期で治療としてできることは何もない状況でした。


私自身が膵臓を患っていたのに主人も同じ膵臓で 

何も気が付いてあげられず悔しい思いばかりで頭がおかしくなりそうでした。


私がそんな状態では主人の事を見守ることもできないと思いすぐに心療内科に行き、薬の力で涙を流さずに踏ん張れていた。

そんな風に思い出されます。


主人が亡くなったのは平成26年3月26日。

病気がわかったのは同年1月中旬でした。


それから割とすぐに母も入退院を繰り返し翌年2月25日に亡くなりました。


主人があんなにも早くあっけなく逝ってしまったのは、母のことをしっかり診てやれるように、という主人の気遣いもあったのではないか?と最近思います。

そんな気遣いより 私を一人にしない方を選んで欲しかったのですけれどね


主人と母をまるで一度に亡くしたように感じるくらい私には記憶が圧縮されてしまっています。

最近になってようやく少しずつ思い出しながら記憶を整理しようとしています。


母のなくなる5日前にはわんこの一匹、アンバーが急逝してしまいました。

わんこも私の大事な家族です。その中でもアンバーは愛嬌のある男の子でした。


なぜ一年の間に私の大事な家族が続けていなくなってしまったのか

いくら考えても答えは出ません。



どれだけ泣いたかわかりません。

一つだけ分かったことがあります。

私は生かされている。ということです。


主人の分も生きなきゃなりません

母の分も生きましょう

アンバーの分も生きていくしかないんです



悲しいことだけではないんです。


主人が亡くなる前に次女が妊娠していたのですが

主人が亡くなって4か月後、元気な男の子を産みました。

もう2歳半になるんです。

とってもいい子に育っています。

主人も心配していた次女がしっかり子育て頑張っています。

子育てしながらいい家族になってきています。


主人が亡くなる前には結婚の「け」の字もなかった長女も

母が入院しているところに彼を連れてきて紹介できました

母から二人目のひ孫を早く見せて!と催促されて

順調に事が進み、今ではもう7か月になる女の子がいます。

私には二人目の孫です。とってもかわいいです。


娘たちには私しかいませんが、私に新しい命との出会いをプレゼントしてくれています。

私はどうにかして孫たちと楽しい時間を長く長くいつまでも・・・と思えるようになってきたのです。


いまだに夢で主人の名を呼んで目が覚めるような日もありますが

まだ追いかけていくわけにはいかないのです。

ようやくそういう風に前を向けるようになってきたところなんです。