私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

何か熱中できること

2017年02月09日 | 日記
今、体質改善をしようと考えながらも
病気の事を忘れたいという思いも強くある私。

体質的に冷え性なので運動をしたり食べるもので体を温めたり
温めることで血流が良くなり体全体がよい循環になるはず。

と、体の事ばかり考えていてふと気が付くとずっと自分ひとりだ。

一人暮らしって誰とも話さないで一日が終わることって普通なのかなぁ?

パパがいなくなって何年も経って一人の自分に気が付いた。

何か習い事をしようか?コーラス?楽器の演奏?

母の真似してフラダンスでも?
いや、英会話のサークルなんてないかなぁ?

いろいろ考えはするものの一歩が踏み出せない。

まずやりたいと思うことが見つけられない。

やっと一つ見つけたのが陶芸。

月に二回だけのゆったりペースのサークルでまだ陶芸のなにもわからないまま土をこねたりろくろを回す。

土に触れているとなぜか落ち着く気がしてヒーリング効果があるような感じ。

ほかのメンバーの人たちには病気の事は言うつもりはない。

一番若くて初心者として面倒見のいい先生も丁寧に教えてくれる。

出来上がったお皿や器、マグカップは愛着の持てるものばかり。

でも、器いっぱい作っても使う人私ひとりじゃ~ねぇ


月に二回だけではさみしいし もう一つ何か熱中できるものを見つけたい!

何か気持ちが明るくなるような華やかな・・・ん~ なんだろう?

楽しくて時間があっという間に過ぎちゃうもの。

熱中して一日があっという間に終わっちゃう~ なんていう風に言いたい。

現在それを探しています。





医療に望むこと

2017年02月07日 | 日記
西洋医療と東洋医療というような大きな分け方をされることもありますが

西洋医療は大きな病院体制で多くの患者、様々な症例に対応できる良さがあります。


東洋医療はそういった病院体制とは違った組織で運営されていたり

関わろうと自分から行かなければ何もわからない世界だったりもします。


生まれて成長するなかで体調が悪いとき、普通に行く病院は西洋医療側でしたし

それが普通の事だと思っていました。

でも、なぜ東洋医療はあまり親しみがなかったのでしょう?


主人が突然膵がんの末期であるということが診断され

その病院はがん専門ではない総合病院で

それでも主人の状態はCTなどの検査にも明らかで

検査結果を聞く段に「ご本人が全部聞きたいですか?」などという変な質問をされ

「そりゃそうでしょう。自分の体ですから」と主人も答え

そこで自分の命が短いと告げられた。

何も手の施しようがないとまで言われた。


こんな唐突な宣言ってあるのだろうか?きっと何かの間違いだ。と

主人も私も耳を疑い、

ちゃんとした先生に相談しよう、そうすればきっと違う判断があるはず。と

東京の一番間違いないと思う病院に予約して約一週間後に違う判断を聞けるはずだと期待して出向いた。


期待は脆くも崩れ落ちた。

検査結果のデータに目を通しただけ

何もできないと言われた。

主人の体には一度も触れずデータのみで命の期限を言い放った。


この病院に来たのは私の病気P-net患者会や勉強会で講演をされる先生がいるからで

膵臓にも詳しく医療設備も最先端、治療法もきっと革新的なものがあるのではないか?と期待したから


私が涙ながらにそういうと

「奥さんのP-netとは比べ物にならないものです。」とまで言われる始末。

こんなところに主人を連れてこなければよかった。


家族で大きな期待を持って主人の足元がおぼつかないので車いすで来た

その様子を見て

「もう歩くの大変ですか」と


普通の診察時間なのでそろそろ次の方の番なのでと診察室を出された。


それほど多くの会話もなく命の期限だけは念入りに言われたようにしか受け取れず

どれだけ辛い気持ちになったか…

傷に塩を塗られ何のフォローもないまま放り出されたような気分だった。


それでもまだ期待が持てると娘が調べてきたのは東洋医学の抗がん漢方で

保険診療外となることがホームページに記載されていて

予約も通常ならかなり先になってしまうけれども

主人の状況を話すと予約をずらして早く診てもらえることになった。


まず全く違うのは眼を見て話してくれること。

ベッドに寝てお腹を触診してくれたり脈をみたり、口を開けさせ舌の様子も診る。

ほかにもいろいろなチェックをしてもらって

普通に世間話もしながら笑い話にもしてくれて

主人も先生につられて笑えた。


すぐに涙。

涙を流しながら笑った。


主人はもうすっかり諦めの心境でいたけれど

先生が主人の体を触って丁寧に話してくださり

娘が同伴して一生懸命主人を助けている様子にも感激し


先生と笑って話せるなんて思いもしなかった。

それだけでもここに来た甲斐がある。と泣きながら喜んでいたのです。


診断では主人の体質的なことの良くない点、

改善策もいくつも教えてくださって

それをより効果的にする漢方薬を処方してくださって

次回の予約をした。


もうそれだけでもとてもうれしいことで

帰りの車の中では笑顔になれたし外が明るいことにも気が付きました。

主人にも気力が湧いてきたのが良く分かったんです。

今現在の主人には何が必要なのか この先生はとても大きな力をくださったと思います。

もっと早くこちらの先生にお会いできていたら…と思うと本当に残念です。


大きな病院でシステム化される医療を受ける。

そこでしかできない検査や治療もありますから…


でも、私どもではもうほかにできることがないんです。

なんて言われて命の期限を突き付けられた患者や家族はどう思うのか

こんなつらい思い、繰り返されてよいことではないと本気で思います。







身体の冷えの事

2017年02月06日 | 日記
体質改善をしよう!

まずは低体温をなんとかしよう!
と気持ちは前向きになっているのですけども

体温が低めであることはずっと前から分かっていました。
けれども何も自覚する症状がありませんでした。

若いころだったから?
手のひらがあったかい人は心もあったかい。なんて言葉もありましたね~

逆に手のひらがあったかい人は心が冷たい。なんていうのも聞いたことがあります。


実際心と体温の関係性は分からないんですけど

低体温であることってあまり自覚症状がないんですよね


学生の頃、友達と手が触れて私の手が冷たいので友達がびっくりした。ってことは何回かあります。

その程度の認識でしかなかったんです。

いつ頃から低体温だったのか?

ん~ 考えても思い出せません。


自律神経と体温の関係が深く免疫力や気力などとも影響しあうという話を聞いたことがあります。

自分が最初に膵臓に腫瘍ができたころ(22年もまえの事)は低体温だったのかどうかわかりませんが

家族で知らない土地に引っ越して子供たちが学校生活に慣れるようにとか

実家から離れてしまうことで実家に手伝いに行けないことが気になったりで

主人と口喧嘩が多かったのを覚えています。

前の晩にけんかして 朝起きたときに胃の辺りに不快感があって無意識にみぞおちに手がいくようなこともありました。


ストレスとか頑張りすぎることとかが自律神経と関係してるようです。

そう考えると自覚する症状はなかったけれどきっと低体温だったのではないでしょうか?


少々体温が低くてもなにも困らなかったんですよ きっと。

寒いとか暑いとか普通に感じてると思っていましたから…


でも、主人とエアコンの使い方でもよくケンカしていましたね~

主人は暑がりで本当に手のひらとか温かくて 手汗も出る方でした。


私はエアコンの風が当たるところにいるとすぐに寒くなりますし

頭痛やお腹が痛くなったりもします。

腿やお尻はとても冷たくてそれが普通なんだと思っていました。


最近までそういう風に低体温を放置してきてしまったのは本当に残念なことです。

もっと早くから改善しようとしていれば何か違っていたのかもしれません。


体質自体を個人の努力で改善することができるなんてことも知りませんでしたから

今、これからが始まりなわけです。


糖尿外来でも がんセンターでも採血をするのですが

私はほとんど一度は失敗されるんです。

採血する人が下手なわけではないと思います。

ほかにも多くの人の採血をしている人ですからね


上手な人でも私の手を触ったらすぐに温める用に用意してあるホットバッグを二つくらい持ってきてくれて

手のひらで握らせてくれてもう一つを手首の辺りに乗せてくれます。

これで少しは血流が良くなるようです。

かなり循環が良くないのかしばらく摩ってもらったりしてようやく血が採れるのです。


おふろで暖まろうと湯船に浸かっていて

そろそろ温まったかな?と膝裏あたりを触ってみるのですがまだひんやりしている、なんてこともよくあります。

湯船の温度は41度。

でも私が浸かるとお湯の温度が下がってしまうようです。追い炊きをしてしっかり温まらないとすぐに冷えてしまいます。


おふろから上がって気持ちよくお布団に横になって寝付いても朝方足先が冷たくて目が覚める事も多いです。

ふくらはぎが冷たくなっているのでハイソックスかレッグウォーマーをして温めないと足が攣ってしまうこともあるんです。


冷えをこれだけ自覚するようになったのはごく最近の事。

一人で生活するようになったから気が付くようになったのかもしれません。


どんなに寒くても自分が起きて部屋を暖めなければ寒いままだし

自分しかいないから余計に寒さが身に染みるってことでもあるし

一人の暮らしっていうのはこういうことなんだな。と自分に言い聞かせるように体を温めるんです。


今こうして低体温の事を書いていて気が付いたのですが

主人は膵がんでしたがずっと体温高めな人でした。

病気がわかって2か月少しで亡くなってしまいました。

体温の変化などについて注視していなかったので今となってはあいまいな記憶でしか思い出すことができません。


がんと低体温の関係性、絶対ではないのかもしれません。

主人は本当に進行の早い膵がんでしたから 私の病気と比較するには違いすぎるのかもしれません。


とにかく私にできることは今から体質改善をする!ということのみなのです。




まずは体質改善!

2017年02月05日 | 日記
治療をしないとは言っても本当に何も努力をしないということではないんです。

自分の体質をよく見極めること。

改善できる点を見つけてできることを考える。

病院に行かなくてもできることがあるはずなんです。


まず一番は気持ちの面。

長いこと私は考え込む性質で性格だからと思ってしまえばそれまでの事だけれども

この際今までの自分の性格の短所を治していきたいと考えます。

でもなかなか難しい!50年以上の考え方を急に変えるのは本当に難しいです。

どうしても自分の今の状況や心境で悪い方に偏りマイナス思考で行動してしまうのです。

しかもそれを自分の中に溜め込んでウジウジ考え込む・・・

これは本当に良くないこと。

ちょっとくらい嫌なことがあっても忘れちゃえ!気にしない!

パパがいなくなってばあちゃんも逝っちゃってアンバーもお空に行っちゃって

あぁさみしい~~

さみしいのは確かだけど私には娘たちがいる!孫も二人もいる!

わんこも4匹もいるしにゃんこは19歳にもなったんだ!

私はこの子たちを毎日楽しく暮らせるようにしてあげないといけないし

それを楽しまなくちゃダメなんだ~!って

今まで悲しいことが重なって辛かったけどここから階段上っていくんだ~!って

自分を励ますように考え方を切り替えられるようになってきました。

そりゃ、たまらなく悲しいときもありますよ。

波が打ち寄せるように悲しみに引き込まれることもあるんです。

そんな時は思いっきり泣くことにしています。

誰にも迷惑かけませんし心の靄も晴れるような気がします。

涙が乾けばまた切り替えてわんこたちのおやつ作りしたり散歩に行ったり・・・


あと体質の中でも低体温がとにかく気になりますね。

がん細胞は35度くらいがお気に入りらしいですから私の体温では居心地いいんでしょう

平熱をあげることも目標ですしたまに体をじっくりと温めるようにしています。

一番いいと思うのは陶板浴。

車で15分くらいのところに陶板浴のできるところがあるのもラッキーなことですよね!

少し前には鍼灸にも通っていたのですがかなり頻繁に通わなければ効果が持続しない感じだったので費用がかさみすぎて断念しました。

鍼灸だけで体質改善しようと思うから頻回に行かないとならないのでしょうか

身体を動かすようにしたりほかにも何か工夫して体温を上げられれば月に1~2回の鍼灸は健康維持に役立つとは思います。

今のところは陶板浴に通う方が費用は抑えられるので鍼灸の方はお休みです。

毎日わんこら4匹連れて近くの公園をぐるっと歩いてくるのですが

運動してるとは言えないくらいの短時間だしわんこのペースなので日光浴にはなっているかな?という程度。

それでも毎日歩くだけでもリズムができて体調良くなりそうな気がします。


あと、朝起きたらお湯を沸かして少し冷まして白湯を飲みます。

お腹の中からじんわり温まって朝のけだるさもなくなる気がします。

私の場合少し貧血もあるのでネットで鉄瓶を購入してみました。

白湯は鉄瓶で沸かしたお湯をいただいてます。

金属のやかんよりお湯が優しい感じがします。


それから少し前から自分で豆乳ヨーグルトを作って毎日食べています。

豆乳を醗酵させて毎日スプーンひとさじを翌日の種として空容器に入れ、豆乳を注いでぐるぐるかき混ぜて室温に置くだけ。

同じことの繰り返しで毎日生きた乳酸菌を摂れているのです。

おかげでお通じは滞りなく花粉症も軽くなっています。

今年の春、花粉症の出方がどうなるのか ちょっと楽しみでもあります。

地味なことでも続けて行けば今までの体質が改善されていくのを感じられます。


肝臓の中にまで良い影響が届いてくれるかどうかは分からないけれど

自分なりに良さそうなこと、続けられそうなことを見つけては試す

最近はそれが趣味のようにもなってきました。


治療をしないという選択

2017年02月04日 | 日記
アフィニトールで副作用が出て冠動脈塞栓術の治療を受けた。

これで終わり。
ではなくて治療を繰り返す必要がある。

理屈では分かってるのですが明らかな自覚症状がない病状なのになぜそんなに治療し続けなければならないのか?


そもそも初めに膵臓の腫瘍ができたのはなぜだったのか?

それが肝臓に繰り返し再発するようになって何年も経っている。

その間に糖尿病が進み、服薬では無理となってインシュリン注射が欠かせない毎日。

糖尿病外来で毎月約一万円かかってしまう。

それにプラスしてがんセンター通いで医療費がかかる。

アフィニトールを始める時に高額医療費の申請をして初めから提出すれば一定額以上の支払いをせずに済む。


自分に都合よく考えた私は糖尿外来とがんセンターが合算されてその対象になるものだろうと思っていたけれど

実際は病院ごとに別に計算されるし、外来と入院も別。

結局のところ一定額までは払わなければならないのですから通院先が二か所以上ある人は負担も大きいです。


夫を亡くし主人の遺族年金だけが収入の私のような場合、基準になる額も下の方。

だけど払っていたら大変です。

食費を削って病院に行くなんてことにもなりかねません。


お金のことだけではありません。

身体にどのくらい効果があって どのくらい負担があるのか。

私の病気には明らかに効果があるという治療法が確立されていないのですから

かかる費用の割には・・・ 

しかも何度も繰り返す必要があるなんて事になるのでは無理です。

体に負担になっているのは自分自身で経験済み。

若いときなら違っていたのかもしれませんが

何度も手術で切っている肝臓は強い薬をうまく取り入れられないのではないかと思っています。

消化するのも時間がかかっているから副作用の出方が遅いし長引く。

きれいな血液を作るのが本当の仕事なのにうまく働ける場所がどの程度残っているのか?

下手すれば肝臓機能も落ちてしまうという不安がとても大きいです。


そういういくつかの理由があって私は治療をしたくないと考えているのです。