わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

さやけき生命(続き 7)

2011-09-26 12:30:51 | 癒し
     (前日からの続き)

 自分が生きているんじゃないんです。
 我々は生かされているんです。そのことを
皆んなが忘れてしまう。すべてが神様の器
であって、もう神様に預けてしまえば、
そこから、その人の個性を使って、声を
使って身体(からだ)を使ってね、その人の
それなりの働きが、神様から、お前これを
やれ、あなたこれをやって下さいというのが
出て来るわけですよ。だけど、自分なんか
どうも働きがうまく出来ないとか、うまく
印が組めないからどうしようとかで焦る。
 焦るのは自分がやろうと思うから焦るのね。
 自分というのを消していく。自分という
ものが消えていった時に、ただあるものは
神様の光だけが残る。我々は光なんだから、
光というのは自在なんだから、自由
なんだから、その自由な生命のままに
動いてゆけば、何事も出来るんです。神様が
なさしめて下さるわけですね。

 ですから、私がやろうと思ってはいけない。
 私が責任を負おうなんて思わなくて
いいんです。そんなものは神様の方で、五井
昌久という人間を通してなされる。「お前、
人類の業を背負え」と言われて、私が
負ったんですから。もう歯をくいしばって、
目をむいて、そういうことをやる必要は一切
ない。四次元の光も降りたんだから。まだ
追いかけて、業を背負うなんてことは
しなくていい。ただ、その人が受け持た
なきゃいけない宿題というものはありますよ。
 固有に消してゆかなければいけないものが
来るかもしれない。痛みとして来るかも
知れない。あるいは、生活不安として来る
かも知れない。しかしそれは、あなたが
あなたの借金払いをしているんですよね。

            (翌日へ続く)