わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

想いと言葉(13)

2020-10-02 09:47:13 | 癒し

     (前日からの続き)
祈りというものは、強制できるものでは
ございません。
それは、その国の人々の民族性や信条や、
あるいは宗教や習慣や風土、その違いが
ございますので、これは何も強制できる
ものではない。
ただ我々は、その人々の中に眠っている、
あるいは気付いてはいても弱い気付き方
である、世界人類が平和でありますように
という、元々の根元の祈りの芽を、あるいは
ピースポールによって、あるいはステッカー
によって、あるいは白光誌を手渡すこと
によって、それを呼び醒(さ)ます。
その役割りをするのであります。
ですから、その手渡すということは、すでに
私がそこで働いて、その人を通して一番いい、
その人が生き易いやり易い方法で、
この祈り言がその人の生命の中に生活の中に
生き方の中に入っていく様に、守護霊守護神
さんと倶(とも)に私が働いていくという
ことでありまして、その点で皆さんは、
本当の意味において繋(つな)ぎの役を、
後は五井先生がしてくれるから大丈夫だ
というそのくらいの軽い気持ちで、しかし、
本心開発のためにこの祈り言が絶対に
人類のために必要なんだという、そういう
自信と覚悟をもってこの運動を広めていって
いただきたい。

そうすることによって実は、想いとか言葉
とかいうものが、その想念の汚れという
ものが浄められていくのであります。
想いとか言葉とかいうものがどうしようも
ないやり切れない暗いものだという歴史が、
そこで段々段々縮められていくのであります。
実は、言葉の光明化、想いの光明化という
ことをやっていかなければ、我々本心本体の
一体化というのは出来ないのでありまして、
この身さながらに神様の生命である、
神様から流れ来たっている真理、愛と一体
なんであるという、その遠大な目的という
ものを達成するためには、やはり、この
世界人類が平和でありますように、日本が
平和でありますように、私達の天命が完う
されますように、守護霊様守護神様
ありがとうございます。
というこの完全な愛と平和のお祈りを唱える
ことによって、我も他人(ひと)も一体に
なる。
そうして、神様の生命とすこやかに一つになる。
ということを信じていくことによって、我々
個人の想いも苦しみも、また救いとられていく
訳であります。
            (つづく)