わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

統一ということ(2)

2023-04-09 08:56:27 | 癒し
      (前日からの続き)
禅をやってる坊さんたちでも同じことです。
自分の中に仏がいるんだというとね、
皆自力本願になっちゃって、何か傲慢無礼
のように思いますけれどねえ。
あれだって一つの真理でしてね、自分の中に
仏がいるんだってことは、自分は小宇宙なんだ
ということと一緒なんです。
その宇宙というものを自覚して、その宇宙の
広がりといいますか、もっと言葉をやさしく
言えば、自分がその神様からいただいている
宇宙の光でもって、皆さんに少しでも
やわらいでいただくということ。

例えば、自分の笑顔とか、あるいは、
自分の作った料理を食べてもらって喜んで
もらうとか、そういう、要するに人に仕える
ということ、奉仕ということなんです。
奉仕というものは、ただお金を出すとか、
何十万何百万献金するとか、そういうことでは
ないんです。
霊妙なやさしい愛の波動でもって、どれだけ
人に接してゆけるか、それが奉仕であり、
大きく言えば、それが統一なんですね。

だけども、なかなかそういうふうには、
人間は聖人じゃないから、なりにくいでしょ。
だから、統一会とか実践会とかいろいろな
会の名前をつけますけどね、勉強会とか、
何とか道場といってそこへ行くのは、自分の
中の本来の心の朗らかな所へ降りて、そこで
光を出して洗ってもらってね、そうして
高められてまた帰る。

これは、言葉で言ってますからね、こんな
ご大層な言葉になるけれども、やはり、我々
というのは何で存在できてるかというと、
神様のひびきによって存在できてる。
そのひびきというものは何かというと、
神様の愛である。
だから、愛深い人になるということが
一番大事なんです。
この世の中に生きていくためには、
知識・知恵も要ります。
常識も良識も要りますが、一番大事なのは
愛ですね。
多少礼儀がどうだこうだ言っても、そこに
本当に労わりの気持ちというものがない
ことにはね、これは宗教も祈りも何にも
あったもんじゃないんです。
例えどこの宗教に入っていてもいなくてもね、
愛深く人に接することができた時に、その人は
本当にやさしく強い神様に愛される人
なんですよ。
おろがむ心といいますかね、
天地万象拝む心、そういうものがその人には
もう備わってるんですね。
備わるというのは、何も天性というものでは
なくって、その人が、自然な自分の心の流れに
従って生きていった結果、そうなる。
だから、その人だけにできることじゃなくって、
皆そこを目指して祈っていくでしょう。
          (つづく)