わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

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統一ということ(4)

2023-04-11 08:57:08 | 癒し
       (前日からの続き)
人というのはね、見える人も聞こえる人も
感じる人もいろいろあるけれども、いろいろな
能力をもってればもってる程、不自由ですよ、
逆にね。
ちょっと持っちゃうとね、把われちゃって、
大変なことになるんだけども、そういうものは
全部、必要があるからこそ見させる、聞こえ
させるものでね。
そんなものは、生命に全然関わりがない。
永世の生き通しの生命というものは、見える
とか聞こえるとか、どんな才能があるかないか
とか、お金も地位も、何にも役に立たない。
ただ素直な生命になる。
それだけでしょ。
神様に素直になる。
それだけですよ。

そこへ目指してゆくんですからね。
そこが大目的だから、そこへ向かって、我々
いろんな想いを抱いたままでいいから、
お願いしますといって統一に入っちゃうと、
いつの間にか気持ちが良くなって、何だか
訳わからなかったけど、先生の口笛にのって
気持ちよかったと。
ああ良かった良かった、それが一番いいんです。
そうやっていく内に、何だか憂さがとれる、
何だか憂うつな気持ちがちょっと明るい方へ
向いていくと。
それでいいんです。

人間の想い煩い、業というものはね、習慣の
もんですからねえ。
60年生きてりゃあ、60年の分があるんですよ。
前生の分から言えば、何百年の分がある訳ね。
その塵を払い落とす祈りではあるけれど、
その想い習慣というものもしっこいからね。
だから、自分の中に、ああ高められなかった
と思えば、それが業になる。
高められるかどうかというのは、神様の方で
ちゃんとして下さるもんでしょ。
だから、それはそれで任せておいて、
任せるというのは楽なんですよ。
任せるというのは、こんな楽なことはないのね。
神様に任せたら、いつ死のうが生きようが
いいんですよ。
もう任せちゃったんだから、何にも言うこと
ないでしょ。
ね、仕事の心配もいらない。
将来の心配もいらない。
お金の心配もいらない。
本当はそういうものなんですね。

だけど、世の中に生きている以上、そういう
訳にいかないから、いろんな煩いが出てくる。
本当はそうですね、だからそこを見透して、
神様というのは我々を愛して下さる。
聖書にあるけど、一日の煩いは一日で充分だ、
もうあんまりくよくよするなという、そういう
イエスの言葉があるけれど、あれと一緒なんです。
ずっと引きずっていけば、それが業になるの。
だから、業にならない内に消していただいてね、
ああ消えてゆく姿だと思ってね、ああ消えました、
ありがとうございますと言って、そういうおもいで
統一をふんわりなすってらっしゃれば、
そうすれば、いつの間にかあなた方の光が
益々輝いてね、そして、自分のためにも人の
ためにもなっていく。
そういう人にいつの間にかなっていただくように
なるんです。
分かりましたね。
それじゃあ。
           昭和63年8月26日