言葉で説明しつくせないことが、この世の中や、
人間には沢山あります。
よく、あの人は論客だという言葉を耳にします。
たしかに雄弁な人の言葉は、ちょっときくと
耳にさわやかなものです。
しかし、どんな理論家でも、また、すぐれた
思想や哲学でも、たとえば、人間やいのちという
ものを突きつめてゆくと、どうしても答えが出て
こなくなってしまうのです。
なぜかと申しますと、これは、私たちのいのちや、
人間の存在というものを科学的に説明しようと
するからであって、究極まで参りますと、
おのずから言葉にならない世界に突きあたる
のであります。
そこで、ここからが宗教の領域ということに
なるのでありますが、シュヴァイツァーが、
生命への畏敬といったあの言葉は、科学者として、
また、一人の人間として、実に真理の的を得た
言葉だと思うのであります。
人が、科学の究極まで人間というもの、いのち
というものを、それぞれの分野で追いつめた
その時に、生まれるものは、畏れをもった沈黙
でありますが、生命の畏敬という彼の言葉は、
この沈黙の前に、人間が発した尊い言葉である
と思うのであります。
ところで、ここまでのことではなくても、
人間には、いわくいいがたい想いというものが
ありまして、それは言葉では表わせない
ということがいくらもあるのであります。
(つづく)
人間には沢山あります。
よく、あの人は論客だという言葉を耳にします。
たしかに雄弁な人の言葉は、ちょっときくと
耳にさわやかなものです。
しかし、どんな理論家でも、また、すぐれた
思想や哲学でも、たとえば、人間やいのちという
ものを突きつめてゆくと、どうしても答えが出て
こなくなってしまうのです。
なぜかと申しますと、これは、私たちのいのちや、
人間の存在というものを科学的に説明しようと
するからであって、究極まで参りますと、
おのずから言葉にならない世界に突きあたる
のであります。
そこで、ここからが宗教の領域ということに
なるのでありますが、シュヴァイツァーが、
生命への畏敬といったあの言葉は、科学者として、
また、一人の人間として、実に真理の的を得た
言葉だと思うのであります。
人が、科学の究極まで人間というもの、いのち
というものを、それぞれの分野で追いつめた
その時に、生まれるものは、畏れをもった沈黙
でありますが、生命の畏敬という彼の言葉は、
この沈黙の前に、人間が発した尊い言葉である
と思うのであります。
ところで、ここまでのことではなくても、
人間には、いわくいいがたい想いというものが
ありまして、それは言葉では表わせない
ということがいくらもあるのであります。
(つづく)