小学校1年生か2年生の時だった。
テストがあり、その問題の中にこんな設問がありました。「信号機の色は、青・黄・赤の3色です。」馬鹿な私はこの〇×問題に躊躇なく×をしました。
テストがあり、その問題の中にこんな設問がありました。「信号機の色は、青・黄・赤の3色です。」馬鹿な私はこの〇×問題に躊躇なく×をしました。
そのテストが返されてきて、見てみると信号機の問題のところに赤でバッテンがしてある。この時のショックは私にとってはとても大きなものでした。持って帰ったテストを見た親が何と言ったか覚えてませんが、世の中の常識では、信号機は赤色・黄色・「青色」なのだということを言われたような気がする。でも、もう私の心の中は興奮状態でまともに聴いていなかったのではないでしょうか。
確実に覚えているのは、このテストが採点されて返ってきてから、5段階の通信簿はほぼオール2(体育と音楽だけが5あるいは4です。)でした。それが小学4年生まで続きます。私は友達と野球チームを作り野球漬けの毎日を送る。授業中の先生の話はほぼ聞いておらず、昼休みや放課後に何をして遊ぶかを考えてぼ~としていたことを覚えています。
5年生になると土日に仲間が校庭にやってこない。野球ができない。どうしたのだろうか?と仲間の家に寄って連れて行こうとしたら、母親が出てきて、息子はもう野球はしない!と言うではないですか。
そうか!みんな勉強やらされているんだ!と気づき私も勉強を始める。
多分この信号機の色事件が私の人生ではじめてのつまずきだったのだろうと思い出されます。そして遅すぎた勉強をはじめるのです。
しかし、神様は何のためか?何故私に同じことを再び経験させるのか?不思議です。
それは中学2年生の時。修学旅行に行ったのですが、これを最後に私は家族と共に山陰へ引っ越すことになっていた。山陰地方ではちょうど天気が悪く、瀬戸内海の海の色に慣れていた私は緑色の海を経験して強く印象に残っていたのです。
図工の時間に、修学旅行の時の絵を描くことになり、海の色を緑色にしていると、若い先生は私の絵を見て「海は青だろう?」と言った。
何と私はその後の図工の時間に態度が悪く通信簿に「1」をつけられてしまった。転校前の悲しい悲しい思い出となりました。
しかし、神様は何のためか?何故私に同じことを再び経験させるのか?不思議です。
それは中学2年生の時。修学旅行に行ったのですが、これを最後に私は家族と共に山陰へ引っ越すことになっていた。山陰地方ではちょうど天気が悪く、瀬戸内海の海の色に慣れていた私は緑色の海を経験して強く印象に残っていたのです。
図工の時間に、修学旅行の時の絵を描くことになり、海の色を緑色にしていると、若い先生は私の絵を見て「海は青だろう?」と言った。
何と私はその後の図工の時間に態度が悪く通信簿に「1」をつけられてしまった。転校前の悲しい悲しい思い出となりました。
思い出ぽろぽろ!
今回はもう一度
思い出ぽろぽろ!
この信号機の色については、物語としてこちらでも掲載しています。
思い出ぽろぽろ!
この信号機の色については、物語としてこちらでも掲載しています。